第16話 打ち上げ、社長の部屋

Prostプロースト!」


 三人でそう言って乾杯した。

 桃っぽいような洋梨っぽいようなフルーティーな香りにきめ細かい繊細な泡と強すぎない余韻。スッキリしていて飲みやすい。


「ペリエジュエ、グランブリュット。これのもっと高級なラインがあるんだが、ボトルも美しいし抜群に美味しい」

「これでも十分美味しいです!」


「欲がないなぁヒガシさん……社長さーん、明日はその高級ラインのベルエポとか、あわよくばアルマンドとかドンペリとか飲みたいでーす!」


 康貴が冗談めかして言った。するとレネが真面目くさった口調で言った。 


「ここはホストクラブでもキャバクラでもない」

「ケチだな〜。知ってんだぞレネの年収」

「公表されてるからな。ドイツ人は俺も含めてみんなケチだ」

「レネは飲食に関しては財布ゆるっゆるだけどな。さすがイタリアの血が入ってる」

「そのレベルの高価な酒はこんなプラカップではなくてきちんとしたグラスがいいな」


 早速康貴はデスクを陣取りPCを広げた。多分仕事をするつもりだ。


(社長、イタリアの血が入ってるのか……なんかわかる)


 彼はドイツと日本のハーフというには少しエレガントすぎるからだ。


「あいつは無視して好きに食べていいぞ。これがなくなっても他にもスナックもあるし」

「いただきます!」


 先ほどレネがくれた割り箸を割って、沙羅は生ハムを口に入れた。とろける油の風味と塩味に笑みがこぼれる。 

 

「社長のお仕事も上手くいったみたいですね。おめでとうございます」

「ああ、ありがとう。一つ契約を取り付けた」

「レネ、契約書見せてあげなよ」


 彼は腰を上げ、日本から持ってきたと思しきサンダルを脱いでベッドの上に上がると、その辺に放られていた書類ケースを取り出した。

 彼はその中から一枚のクリアファイルを取り出して沙羅に手渡した。


「SHの機械、うちで輸入販売してるだろ。あれは今まで在庫で仕入れていたが、委託販売になった。つまり在庫で仕入れないから売れるまで所有は先方。減価償却しないから価値が下がらない」


 彼はそのままベッドにうつ伏せで寝転がって、足をパタパタさせていた。


(……こんなにかわいい成人男性がいると困る)


「在庫で持っておくより断然リスクが下がったってことですね!」

「そういうことだ。最高だ。本当に嬉しい。あとは他にもあるが、これは半年後のお楽しみだ」


 あんまりその手のことには詳しくないし、沙羅は南方で輸入販売しているSHのレーザー装置について部署も違うし詳しくなかったが、在庫として仕入れてしまうとどんどん価値が下がっていくということだけは知っていた。


 レネはなおもカジュアルなTシャツとハーフパンツ姿でクッションを抱えながらベッドの上でごろごろシーツと戯れている。目に毒すぎる。やめてほしい。


 その時だ、PCに向かっていた康貴が情けない声を上げた。


「社長さ〜ん! なんか知らないけどまともなホテルがありません〜! ユースホステルと民泊アパートみたいなのしか出てきません〜」


 レネはむくりと起き上がった。


「一泊300ユーロ超えてもいい。400でも構わん」

「わーお、太っ腹!」

「ルフトハンザから補償されるはずだ。問題ない」


 沙羅はレネに契約書を戻した。彼はそれをしまってから沙羅の向かいの席に戻ってきた。


「明日はフランクフルト行くのは変わらずですよね?」

「ああ、とりあえず。ミュンヘンという選択肢もあるが……フランクフルトの方が選択肢が多い。もう日本の旅行会社なんて時差もあるしあてにならない。ヤスに任せるつもりだ。明日中に移動しよう。昼過ぎだな」


 すると、康貴がグラスを傾けながら解説してくれた。


「ANAかJALに変えようとしたんだけど空いてない。そもそも日本行き、インバウンド客でいっぱいだからなぁ……電車もストライキ入るっていうから、とりあえずフランクフルトには行こうってことにした。ここ10時にチェックアウトして、荷物預けたままちょっと観光がてら早めにお昼行って2時の電車。ヒガシさん的にはどう?」

「OKです!」


 すると、康貴がPCを片手にこちらに来た。ホテルの目星がついたようである。


「このホテルでいい? 駅近ではないけど、ショッピングモールのそば」

「いいぞ、好きに決めろ」

「私もどこでも大丈夫です!」

「じゃあここ予約しとく。とりあえず月曜朝チェックアウトにしとこう」

「ありがとうございます!」

「ヤス、ICEイーツェーエーのチケットも頼む。帰りの飛行機はぜっっったいにANAがいい。成田は嫌だ」


 確かに沙羅も成田は嫌だった。成田から立川まで帰るのは遠すぎる。できれば羽田に戻りたい。


「わがままだなぁ……あんたビジネスクラスなんだからそれくらい我慢してよ。直行便じゃなければ、南周りなら色々あるんだけど……」

「直行便は最低条件だ。トランジットありの南まわりでエコノミー? これだけ頑張った沙羅をあんなブロイラーの飼育小屋で20時間拘束なんてありえない」


(ブロイラー?)


 飼育小屋と言っているので、ニワトリのブロイラーことか? と沙羅は内心首を傾げた。確かに狭いところに詰め込まれてひたすら機内食を食べさせられ、電気を消されて寝て……ニワトリ小屋っぽいかもしれない。


「俺もエコノミーなんだけど……俺はいいんかよ」

Sheißegalシャイスエガール

「ヒガシさん! この人俺のことクソほどどうでもいいって言ったよ! ひどくね?」

「せめてただのくらいにしてあげたらどうです?」

「……Egalエガール。ともかく、飛行機は旅行会社に任せておけ。お前もこっちきて飲めよ」

「うっっ俺は早く帰りたいんだ……」


 帰りたい理由でもあるのだろうか。沙羅はもう足掻いても無駄だな、この二人に全部任せておこうという心情になっていた。


「帰りたい理由だってどうせキャバクラに行きたいからだろ?」

「違うっ! ガールズバーだ!」

「俺に言わせれば一緖だが。そんなもんに課金してないで彼女でも作れよ」

「うるせぇよレネだって彼女いないくせに!」


(彼女いないのか、意外だ……)


 ぼーっとしていても彼女には困らなさそうなのに、と沙羅はグラスに手を伸ばして酒を飲み干した。するとすかさずレネが注いでくれた。彼はついでに自分のグラスにもシャンパンを注ぐ。


「意外ですね」

「こいつすっっごい女の趣味おかしいから。だからなかなか彼女できない」

「おかしいって言うな!」

「……おかしい?」

「レネはとにかく自分に寄ってくる女が嫌い。塩対応の女を追いかけて口説きたいタイプ」


 沙羅は心底同情したくなった。この造形美に寄ってこない女性なんて、男嫌いか同性愛者か白人嫌いくらいなものではないだろうか。


「……それはなかなか難しいのでは? 社長、日本人女性ホイホイな見た目してません? ぼーっとしてても群がってきますよ」 

「だよね? でも彼女欲しいって昨日も言ってたしぃ? ヒガシさん、誰かいないかなぁ?」

「沙羅、こいつのおふざけに付き合わなくていいぞ。ヤスは黙れ」


 レネはそう言ってハムとチーズをパンに乗せてかじった。沙羅もハムを一枚口に入れてもしゃもしゃ咀嚼した。彼女はレネの言葉を無視して腕を組んで割と真剣に考えた。  


「うーん、他にどういう好みなのかによりますねぇ」

「レネは標準くらいの体型で、背が大きい分にはあんまり気にしないはず。顔にはあんまりうるさくなくて、学歴は気にしないけどちゃんと働いて自立してる頭のいい仕事できる格好いい女性が好きなタイプ」

「勝手に話を進めるな。二人とも人の話を聞け」


 ならば友人の早紀がいいのではと思った。


「ああ、じゃあ一人お勧めできる友人が。大学の同期ですが、一年間イギリスに留学していたので年齢は一つ上です。つまり今年30。中学までドイツで育った帰国子女なので話も合うのでは? 英語よりもドイツ語の方が得意だって言ってましたよ。外資系コンサル勤務」


 沙羅はスマートフォンの写真フォルダを漁った。先月、友人の結婚式に出席した時の自分とのツーショット写真を見せた。身長がわかっていいのではと思ったからだ。


「ふぅん?」


 彼はスマホを受け取って、興味深そうに拡大している。妖艶な笑みを浮かべた。おお、いい手応えかと思った時だ。


「これは結婚式?」

「そうです」

「君、着物を着るのか」

「そっちじゃなくて私の隣を見てください!」


 確かに沙羅は着物姿だった。母が若い頃着ていたものである。せっかくだから来て欲しいと母に言われて折れたのだ。まあ確かに、パーティードレスを毎度買うよりは安い。草履も母のものの鼻緒をすげ替えるだけだった。


「いいな、着物似合うな」

「だからそっちじゃないですってば!」

「この着物、自分で着たのか?」

「流石にそれは無理です。母に着付けてもらいました。だから私のことはいいんですってば!」


 沙羅とレネがああだこうだとどこか噛み合わない会話をしていると、康貴が終わったー! と言って万歳するように伸びをした。


「ホテルとICEイーツェーエー予約完了。二人にもメールしたから後で見ておいて。ま、ヒガシさんは俺たちにくっついて来ればいいだけだから気楽にね。じゃ、ちょっと外でタバコ吸ってくる」   


 康貴が喫煙所でタバコの煙を燻らせながら「あれはレネ、完璧火がついたな。他の女紹介されちゃなぁ……」とぼそりと言ったなんて夢にも思っていない沙羅がいた。


 彼女にとってレネは多少は気になる存在だが、未だ異性という認識ではなく、止まりであったのだ。

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