第15話 展示会、打ち上げの誘い

 展示会は9時から始まった。装飾したブースに機械をずらりと並べて、営業マンを立たせて機械を紹介、場合によっては商談するのである。

 特に沙羅がすることもない。

 日系の顧客が来ることなんてほぼないし、SHの人間に助けを求められたら説明する、少し実演操作するくらいである。

 端的に言うと、かなり暇であった。


(なんで私がここに……)


 でも、結構有力な引き合いもあるようだ。

 沙羅は営業職ではないので直接得るものはないのだが、それでも興味を持ってくれるのならば嬉しい。


 南方の機械はドイツの競合よりも価格としても安いらしい。そして日本製となれば品質は折り紙付き。なるほど円安もこういう場面では効果的かと納得する。

 それから、SHの営業職の皆との交流、これはこれで楽しい。


 だが疲れ切った状態の慣れない立ちっぱなしでヒットポイントはかなり削られている。

 レネはブースに来るVIP顧客と話し込み、そのまま会食にもつれ込んだりなどそんな日々が続いている。


(疲れてるだろうなぁ……)


 円安に乗じて欧州に売り込みをかけるなら、確かに彼はドイツ語のネイティブだし、基礎的な機械の説明もできる。うってつけである。

 しかし、南方精密のような大企業の社長が前線に立ち、こうも熱心に営業活動する姿は正直異例だろう。彼の姿は沙羅の目にかなり好印象に映った。


 三日目、最終日の朝のことだ。朝の8時に会場で機械の電源を入れていると、沙羅のスマートフォンがポケットで震えた。おいなんだと思ったら、なんと、航空会社のストライキで帰国予定の便がキャンセルになったという連絡だ。


「えええええ!」


 声を上げると、すぐそばにいたレネが歩み寄ってきた。


「何かあったか? 不具合か?」

「社長、帰りの飛行機ストライキで運休ですって!」

「なんだって?」


 レネも驚いた様子でスマートフォンを取り出した。そして小さくうめいた。


「流石にストライキでキャンセルは俺も初めてだ。ルフトハンザ、このタイミングで……沙羅は気にするな、こちらで帰りの手配はなんとかする。ヤスと相談してくる。とりあえず目の前の仕事だけこなせばいい」


 沙羅は二人に任せようととりあえず目の前の仕事の集中した。

 最後の日なのでSHの社長も視察に来た。先方の社長とレネはずいぶん話し込んでいたようであった。最後バックヤードにこもっていた。


(うまくいくといいなぁ……)


 帰りの便の運行会社がストライキとは正直どうしていいかわからない。しかも、飛行機と共に電車もストライキで止まるらしい。

 だが、康貴は結構頼りになるし、こちらにはドイツ語ネイティブもいると前向きに考えることにした沙羅はそのまま会期をやり過ごした。まあどうとでもなるだろう。


 機械のセットダウンも見守り、あとはトラックに乗せるだけという状態で皆に挨拶をして会場を後にした。

 これでドイツでの仕事も終わりである。よかったなんとか乗り切ったと彼女は安堵の息を吐いた。


 レネと康貴は一足先に先方幹部と食事に行っていたし、沙羅はそこらへんのケバブスタンドでハーフサイズのケバブをテイクアウト、適当に飲み物も購入しホテルに戻ってケバブを貪った。疲れからか、ダイナミクスの欲求不満からか、若干頭も痛いしあまり食欲がない。念の為、抑制剤を倍量飲んでおく。


(社長から連絡ないなぁ……)

 

 とりあえずシャワーを浴びようとバスルームに向かった。髪を乾かし終わってベッドに腰掛ける。


 薬も効いて気分も良くなってきた。ストレスと疲れでダイナミクスの欲求不満が顕著に現れているようだ。

 気分が良くなると、少々腹が減ってきた。夕飯が足りなかったのだろう。

 沙羅がスーパーで買った菓子やらスナックを漁っていると、スマホが鳴ったので飛びついた。


(杉山さんだ!)


「お疲れ様です! 東新川です!」

「ヒガシさん、お疲れ。こっちも全部済んでさっきノリノリのレネの買い物に付き合ってホテル戻った……全部うまく行ったよ。大成功」

「お疲れ様です……よかったです!」


 何か難しい交渉ごとをしているようであったが、どうもそれはうまく行ったようだ。本当によかったと沙羅は安堵した。


「で、9時からレネの部屋でプチ打ち上げと明日以降飛行機もあのザマだし作戦会議しようかって話してるんだ。レネは君は誘っても来ないだろうなって言ってるんだけど、来てくれたら嬉しい。あ、もちろん風呂に入っちゃったから嫌とかなんだとかあるんなら断ってくれていいよ? でも来てくれたら多分、さっき買ってたシャンパンが飲める……ハムとかチーズとかも色々!」


(シャンパンだって!?)


「シャンパン飲みたいです! 夕飯食べたんですけど、なんか小腹が空いちゃって」


 これがキモいおっさんに下心丸出しで呼ばれたとかだったら絶対に行かないが、二人に限ってそれはない。よし行こう、シャンパンを飲もう。そう沙羅は決意した。


「え! まじで来る?」

「行きます! 部屋はどちらですか?」


 沙羅はレネの部屋を聞き出して、とりあえず手持ちのTシャツの中からまともなものに着替えた。「給料UP」とプリントしてあるネタTシャツである。


「今こそこれしかないでしょ」


 ジャスト9時、かくして沙羅はレネの部屋を訪問した。


「ようこそー! あ、今レネ、フロントにワインクーラー借りられないか交渉しに行ってる」


 出迎えたのは康貴であった。


「そうなんですね、失礼します!」

「それおもしろTシャツだね。いいね。レネ大爆笑しそう」

「社長、結構こういうのノってくれますよね?!」


 沙羅は日本から使い捨てスリッパを持ってきていたので、入り口で靴を脱いで律儀に履き替えた。


 テーブルの上にはマスカットのような緑のぶどうとチーズとハム、スナックにバゲットっぽいパン、それからワインが2本置いてあった。

 沙羅が部屋に入り、1分もたたずにレネは戻ってきた。片手にステンレスっぽいワインクーラーを持っていた。

 彼も日本から持ってきたらしいサンダルを履いていた。


 彼は沙羅を認めて、その瞬間に目を見開いた、そして康貴に詰め寄って、ドイツ語で何か捲し立てた。


『なんでここに彼女がいるんだ?』

『え、呼んで欲しそうにしてたじゃん』

『来てほしいのと実際に呼ぶのかは別だろう! 一歩間違えたらセクハラだ。だから呼ばなかったんだ! 彼女の立場からしたら俺たちに呼ばれたら断れないだろ』

『え、まずかった? 悪い!』


 沙羅はもちろんのこと全く理解できなかったが、なんとなく内容を察した。セクシュエレなんとかと言ったからだ。沙羅は自分自身では気づいていなかったが、抜群に耳がいいのである。

 おそらくレネはセクハラになるのを恐れていると悟った。


「あ、あの〜」


(やっば、真に受けて来ちゃダメなやつだったか……ふざけて変なシャツ着てきちゃった) 


 沙羅としては、二人で盛り上がるくらいならば混ぜて欲しかった。年齢も近いし、沙羅からしたら変な警戒心はない。

 女性だからといって、セクハラになると排除されるのが一番嫌だ。


 普段沙羅は仕事仲間との飲み会を好むタイプではないが、ここまできて仕事を乗り切ったんだから、乾杯の一つもしたいではないか。そういう気分であった。


 しかも、彼らのようなイケメン軍団が自分のような十人並みな容姿の人間を異性として考えるというのがまずもって考えられない。下心なんてあるわけがない。

 レネは言うまでもないが、康貴もかなり容姿が整っている。日本でかなりモテまくっているだろう。

 そう考えた沙羅は一切の警戒心も持っていなかった。


「帰った方がいいですか? せっかくだから打ち上げしたいなって……明日以降のことも話し合いたかったですし」


 その沙羅の言葉に、康貴の肩のあたりを引っ掴んでいたレネが彼女の方を見た。そして噴き出した。


「給与……UP?」

「基本給上げてくださーい!」

「そうだなぁ、年金とか考えたら基本給……くっ! 腹が痛いっ!」

「ダメなら一緒にシャンパン飲みたいでーす!」


 なおも笑っていた男であるが、テーブルに氷の入ったワインクーラーを置いて、沙羅に一人がけソファを薦めてきた。


「そうか、三人で飲むか」

「飲みましょう! 社長も仕事うまく行ったんですよね? あの、本当に邪魔なら帰りますが」

「君のおかげだ。君が自分自身の意志でここにいたいなら追い出しはしない。それに俺たちの断りなく帰りたければいつでも帰っていい」


 レネは自身の背後にあるドアを親指で指した。


「私のおかげ……は言い過ぎかと思いますが、飲みたいです!」


 レネの向こうにいる康貴が手を合わせて口パクで「ありがとう」と言っているのが見えた。


「こんなことならもうちょっと高いのにしておけばよかった」

「あんまり高いと自分で買って飲んでみるとかできないので……」


 彼はシャンパンボトルを持ち上げた。


「これは日本でも買える。日本だと八千円くらいか? 気に入ったらなら日本でも飲んでみるといい」 

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