第14話 またもやトラブル、高速鉄道

「……どうかしました?」


 ICEイーツェーエー、インターシティーエクスプレス。ドイツ鉄道、Deutsche Bahnドイチェバーンの高速鉄道である。


 沙羅は窓際の座席に座ってノートPCを広げていたのだが、向かいに座っていたレネの熱視線が刺さってきたのだ。


「……君はこんなところでまで仕事をしているのか? 別に何か食べてもいいし、休んでいてもいいし、せっかく窓際に座っているんだからぼうっと外を眺めても俺は何も言わない」

「いや、あの出張報告書を……やめます」


 沙羅はショートカットキーで保存をし、バタっとそれを畳んだ。

 彼女はPCをしまって、スーパーで買ったチョコレートウエハースを取り出した。潰れそうな気がしたから食べてしまおうと思ったのだ。


「こんなに社員に仕事するなって言う社長、います?」

「ここに」


 レネの隣に座っていた康貴がレネを指差した。


「人を指差すな」


 レネが言った。沙羅はひとしきり笑って、ウエハースを開けて齧った。美味しい。この国、本当にチョコレートが美味しいなと思う。これはドイツに来るまで全く予想もしていなかったことだ。


「沙羅、羊」


 レネの声に沙羅は外を見た。牧草地が広がり、羊が群れを成している。しばらくしたら馬もいるし、そして牛も。

 そのあとは一面黄金の麦畑だ。


 沙羅は地方出身なので水田は見慣れているが、ここまでの麦畑を見るのは初めてである。


「これ麦畑ですよね! すっごい!」

「だから仕事なんて後にしてのんびりしろと言ったんだ」


 日本だと平地ならば断続的にぽつりぽつりと民家があり、町が続くが、ひたすら牧草地! 麦畑! が続き、その後塊のような集落が点在する。

 日本の新幹線から見える光景とは風景がまるで違うのだ。


(おもしろーい)


 沙羅はその辺詳しくなかったが、街をぐるりと城壁で囲われている街があるとか聞く。陸続きの国だ。いろんな異民族が攻めてきたこともあるだろうし、日本とは状況が違うのだろうなと思う。  


 ぼけっと外を眺めて、途中で康貴が飲み物を買いに行ったので沙羅もくっついて行った。ラテマキアートを頼んで支払いをする。


「レネめっちゃ上機嫌だな……そろそろあの人のHeimatstadtハイマットシュタット、あ、ホームタウン、エアフルトだよ」

「週末、ご実家帰らなくてよかったんですかねぇ……」

「ヒガシさんの世話焼いてたからね。本当、あいつどうしちゃったんだろうなぁ……どう、うちの社長とか?」


 それはあれだろう。男女的な意味でどう? と言っているのだろう。沙羅はないわと思いながら、ラテマキアートを店員から受け取った。

 そしてこう杉山に言った。


「ないっすわ」

「即答〜!」


 杉山は自分用とレネに頼まれたCaféカフェ・ Crèmeクレーム、ポーションミルク付きコーヒーをオーダーしていた。

 普通のブラックコーヒーを頼むと作り置きらしいが、こちらはマシンの淹れたてが飲めるらしい。


 沙羅は早速ラテマキアートに口をつけた。熱すぎず飲むのにちょうどいい。


「脈ありだと思うな〜」

「それ以上言ってきたら、社長に杉山さんがセクハラしてくるってチクりますよ」


 そこで康貴もコーヒーを受け取った。車両を歩く道すがら、後ろの杉山はなおもしつこく問いかけてきた。


「えー、でも実際ちょっと聞きたい。あんなにいい男はそうそういないと思うのに、なんで即答でなしなのか。欧米系苦手とか? 日本人じゃないと無理な感じ?」

「デンジャラスな気配がします。あんな猛獣みたいなのは扱えません。近寄ったら大怪我しそう」


 ヒョウとかジャガーとか、しなやかなネコ科の動物を思わせる男だ。近寄ったらあっという間にやられる。 


「扱えないなんて……Domっぽいこと言うね?」

「……実際私はDomです。社長に余計なこと言わないでくださいよ!」

「へいへい」


 席に戻ると、「こんなもんか?」と言いながら、レネは康貴に4ユーロ渡していた。


「釣りはいらない」


 レネは釣り銭を返そうとした康貴をつっぱねた。


「え、セントいっぱいあるから引き取らない?」

「いらない」

「最後教会の募金箱にでもねじ込むかぁ……」


 本当に仲良いなぁと二人を観察しながら、沙羅がラテマキアートを口に運んだその時だ、列車が徐々に減速を始めた。

 レネが沙羅の方に視線を向けて口を開いた。


「乗り換えはないぞ」

「あーあ、またはじまったか」  

「また?」


 沙羅が天井を仰いだ康貴に目をやった時、列車は完全に停車した。


DBデーベーは……Deutsche Bahnドイチェバーンはまともに走れない。沙羅、覚えておけ。ストライキ予定だとかなんだとか言っているが、まずきちんと運行してから権利を主張して欲しいものだ」

「新幹線の爪の垢を煎じて飲めよ。いや、東海道新幹線はあの運行管理、どうかしてるけどな?」


 確かに東海道はどうかしていると沙羅も思った。康貴に完全同意だ。

 しばらくすると、のろのろ走り始めた。そしてまた止まった。それを何度か繰り返す。

 窓の外に目を向ければ、白とチョコレート色のぶち模様の牛がのんびり草を食んでいる。のどかだ。


「のどかですね……」

「ドイツは工業国をイメージすると思うが、EU屈指の酪農国だからな」


 ああ、だからチーズも牛乳も安いしバターも美味しいし、それからヨーグルトが濃厚で最高なのだなと納得がいった。ベリーの入ったヨーグルトなんて絶品なのだ。


 そして、ついに車内放送が始まった。


「まじか」


 そう康貴が心底うんざりしたように言った。


 レネは窓辺に頬杖をついて外を眺めていた。まるで現実逃避でもするように。なんだか西洋の美しい絵画のようだ。

 陳腐な言葉では表せそうにない、尊い芸術品。そのような言葉がぴったりである。


 そんな時だ、ドイツ語の放送は英語になった。焦っているのかなんなのか、しどろもどろ話している。沙羅は思わず康貴を見つめた。


「焦ってんのか? ひっでぇ英語だな。わかった?」

「次の駅で止まるから、降りてすぐ後に来た電車に乗れって言いました?」

Perfectペルフェクト!」


 レネが人差し指を立てた。パーフェクトという意味だろう。

 沙羅は一度降りるのかと憂鬱になりながら冷え切ったラテマキアートを飲み干した。杉山は皆のゴミをテキパキと纏めると、自分のビジネスバッグを片手に大型荷物置き場に向かった。沙羅はその背中に礼を言う。


 レネもだるそうに腰を上げ、席の後ろに横倒しにされていたスーツケースを引っ張り出している。


 新幹線のように全ての席が一方方向を向いているわけでないICEイーツェーエーは背中合わせの座席が存在する。背中合わせの座席は隙間ができるのでその間に荷物をおけるのだ。結構便利だなとこれは素直に感心した。


「もうすぐですか?」

「ああ、3分もしないで着くな。普通に走れば」


 沙羅も腰を上げた。自分も荷物を出さなくては。

 それを手で制され、大人しく座席に戻る。


「ありがとうございます」

「気にするな、俺がやる方が早い」


 かくして三人はエアフルトの中央駅ハウプトバンホーフに降り立った。


「ご実家、この街なんですってね」

「そうだ……ここで降ろされるなんてな。結構綺麗な街なんだ。時間があれば案内できるんだが、本当に惜しい」


 康貴も言った。


「こここそ、本当のドイツって感じの街。おすすめだよ。知名度は低いけど!」


 すぐ後ろに来た列車に急いで乗り込む。

 結局ライプツィヒに到着した時には1時間ほど遅れていて、三人とも急いで食事をしホテルに荷物を預けた後はそれぞれ仕事に向かった。


 沙羅はメッセの機械立ち上げに合流、レネと杉山はレンタカーでドレスデンの取引先に向かった。


 遅れて申し訳ないと思いながら立ち上げをしている面々に小走りで合流すると、ブースの着工は遅々として進んでいないし、電気工事も済んでいない。

 

(日本の展示会だったらあり得ない……)


 結局そこでもやれどの機械が立ち上がらないだの電気が来ないなど沙羅はテスターを持って走り回り、結局SHのトラブルを助けてあげたりした。

 SHの機械も一部南方で取り扱いがある。輸入して代理店として販売とサポートをしているのだ。部署としては沙羅の所属とは別部門だが、そちらのヘルプをしても印象は悪くないのではないかと判断したからだ。


 そして18時過ぎ、レネから電話が来た。


「まだ会場にいます」

「うちの機械のトラブルか?」

「いや、色々放っておけなくて……」


 結局、合流して食事に行ったのはもう20時近かった。


「沙羅がそこまで頑張ることはないだろう」

「でも向こう、入社すぐの若手ばっかりで予期せぬトラブルだったみたいですし、一番表に出すメインの機械だったので。足を止めてもらわなきゃ、うちのも見てもらえないかもじゃないですか」


 沙羅はシュニッツェル、薄く叩いた仔牛肉のカツレツにナイフを入れながら言った。クタクタであんまり食欲もないが、こういう時こそ食べなければ。

 レモンを絞ったそれは軽くサクサクとしていて風味もいい。やはりドイツの料理は自分の口に合っているなぁと思う。


「ヒガシさん、無理はしないように。君営業じゃないんだよ?」

「そうだ。ヤスみたいにもっと適当に働けよ、給料分以上は働く必要ないんだぞ。働き損だ」

「え、何言ってんの社長さん? このヒガシさんのうちの会社への貢献っぷりを見て給料上げてやろうとか思わないの? 働き損? 鬼! 悪魔! 下手な営業マンより金を産んでるって!」

「手順があるんだ手順が! ワンマン経営の町工場じゃないんだぞ!」


 いつものように漫才を始める二人を見ながら沙羅はグラスの白ワインを傾けた。華やかな香りの辛口ドイツワインだ。確かリースリング、と言っていたか。


 ワインは確かに美味しかったのだが、この頃になると彼女のDomとしての欲求はかなり限界に来ていた。


 目の前にいる自社の社長にコマンドで命令し、実際にそれに従ってくれたらどれほど嬉しいだろうか。


 例えば、椅子に腰掛けている沙羅が《Comeカム》と言って、そばに来てくれたら。《Kneelニール》と命じたならば、足元に跪いてくれたなら。その上膝に擦り寄ってこちらを見上げてくれたりしたら……。


(だめだだめだあり得ない……)


 必死に自分を自制する。展示会は明日から、気を抜いてはいられない。

 この頃になると、沙羅はレネがSubであると確信を持っていた。根拠はない、Domの安っぽい感、というやつである。 

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