第13話 セットダウン、スポーツバー
日曜は遅めに起床しカフェに行ったり、美術館に行ったり、テイクアウトしたケバブを公園で食べたりとまったりと過ごした。
ドイツ、特にフランクフルトはトルコからの移民が多く、ケバブ屋が多い。
公園そば、キッチンカーで出店しているスタンドにケバブを買いに行ったところ「日本人? ベトナム人?」と聞いてきて、お互い拙いながらも英語で少し話をしたらまけてくれた。
彼らはこの国では外国人だし、沙羅もそうだ。何か思うことがあったのかもしれない。
翌月曜は康貴の運転するレンタカーで出勤。
沙羅は再び機械の前にいた。さて、今度はこれのセットダウンと梱包をしなければならない。明日の午前中に搬出だ。
そして、この可愛い機械ちゃんは展示会でドイツ初お目見えするのである。
しかし、その前にやるべきことがあった。この日、月曜に沙羅は朝7時半にはSHにいた。
あくびを堪えながら会議室の椅子に座ると、南方精密のメイン担当マネージャー、シュミットがエスプレッソとチョコレートをくれた。これでも食べて頑張れということらしい。
それから、ゾロゾロやってきた営業職の若手の面々に挨拶をした。
午前中は日本とWebでつなげ、営業職に向けてのセールストレーニングである。
沙羅は小難しい技術的な話になった時のサポートとしてここにいた。ぼーっとしていると、スクリーンに見知った顔が映った。同期の前田である。
「前田ー! 頑張れっ!」
どう考えても緊張していたのでそう声をかけた。一通り挨拶などを済ませ、ちょっと日本語で失礼、と言った彼はなおも緊張した面持ちで「何かあったら助けてくれ」と沙羅に言ってきたので、彼女は「い・や・だ! 自分でなんとかしろ!」と言ってみせた。
ここで隣にいたレネが噴き出したのがまず前半のハイライトであった。
もちろん沙羅は的確に前田をアシストして見せた。そもそも前田は営業職の中ではかなり英語もできる方だし、プレゼンも見やすく優秀。
しかし、それでも沙羅がでしゃばる羽目になったのは、ここ、SHの営業職は結構突っ込んだことも聞いてきた。沙羅はなかなかに技術的なことも質問してくるものだと感心した。南方の営業は彼らを見習った方がいい。
昼をはさんで、沙羅は技術メンバーと機械のセットダウン、梱包を行った。ドイツに来て苦楽を共にした相方は、運送会社に運ばれて行った。あとは展示会場で再会するのみ。展示会の準備をする一部の面々もそのまま前日移動して行った。
午後、レネは先方の社長と話があると言って会議室にこもっていた。先週の夜だって会食をしていたはずなのに、何をそんなに話すことがあるのか沙羅にはさっぱりだった。
無事月曜の仕事は終わった。
展示会は水曜からだ。明日は午前中に移動、午後からはメッセに到着した機械の立ち上げの補佐である。
朝も早かった。今日でさようならの面々には世話になった挨拶をした。しかし数名にこの後スポーツバーに行こうと誘われた。スポーツバーなんて行ったこともないしまあいいか、とOKと気楽に答えた。
「今日はドイツ代表とフランス代表の親善試合だ。一緒にビール飲もうぜ」
そう若手に呼ばれた。沙羅は「それは楽しみだ」と心にもない演技をして、レネにそそそっと近寄って問いかけた。
「フランス戦とかそれ絶対荒れますよね? だって日本だって日韓戦とか隣国との試合だとなんか雰囲気違いますもん! 絶対国境隔ててる国ってあるじゃないですか色々色々色々!」
陸地を境にした隣国同士、島国よりよっぽどやばいに違いない。沙羅はそう判断した。
レネは心底面白そうに笑って見せた。
「大騒ぎかお通夜のどちらかだな。サッカーがある日はドイツ人は理性を失うから基本外に出ない方がいいんだが……まあ、何かのタイトルがかかっている代表戦でもなければブンデスリーガの試合でもない。そこまで荒れないだろう。安心しろ、俺もヤスも付き合う」
「えっ! 俺も行くの? 行くんですか!?」
「杉山さんも来るんですよ!」
沙羅は康貴の腕を引っ掴んで言った。すると彼はだるそうに言った。
「めんどくさ……まあ、端っこにいような、俺たち」
一度ホテルに戻り、スポーツバーに向かった。すると、技術部長が出迎えてくれた。
彼はニコラス・マーセック。そう、初日にレネに意地の悪い質問をしてきたあの男だ。
沙羅に対しても最初はずっとムスッとしていたが、今や何かあれば「ザラ!」と駆け寄ってくる。
どうやらドイツ語はSの発音が濁るらしい。ザラと呼んでくる人間が結構多い。
彼はここ数日、気遣いを欠かさず、何かあればお菓子をくれるいいおっちゃんと化していた。多分あれだ、彼は日本で言うところの下町の町工場の頑固親父なのだ。
最初慣れないものに警戒こそすれ、懐に入ると存外優しい。そんな男である。
「あいつ、沙羅にべったりになったな……ここまで調教するとは」
「いや、調教とか言わないでくださいよ」
調教という言葉にはさすがに思うものがある。彼女はDomだからだ。
SubはパートナーであるDomに
そうは言っても、Collarはチョーカーやネックレス、場合によってはブレスレットなどでもいい。
でも、沙羅はあまりDomらしい振る舞いは得意でない。能力的には強いにも関わらず。だからしばらくずっとパートナーもいない。リードするのが苦手な彼女はSubにモテないのだ。
沙羅は困ったように曖昧に笑った。
「ファミリーネームからして、ルーツはチェコあたりだ。彼も苦労してきたんだろうな、最初のアレは水に流してやろう。昨日は沙羅をやたらめったら褒めてきたし。俺もドイツと日本以外にもイタリアだの北欧系アメリカなんだのごちゃごちゃ色々混ざってるしな」
(ヨーロッパを牽引するドイツとかフランスとかその辺に比べたら、色々あるんだろうな、中欧で色々目まぐるしかった国のはず)
結局、スポーツバーでは適当に軽食を摘んでドイツ代表が勝利する場に立ち会った。皆サッカー好きなんだなぁと紗羅は感心しながらおめでとうとハイタッチした。
「明日以降も頑張れ。またドイツに来た時はよろしく。困ったことがあったらメールさせてくれ」
「もちろん。じゃあまた、ニコラス! ありがとうございました」
マーセックと沙羅は握手をして別れた。
沙羅はファーストネームのニコラスと呼んでいた。彼がそう呼んでくれと言ったからだ。
「仲が良くなれたようでよかった。彼は君のことを本当に褒めていた」
帰り道レネがそう言った。確かにニコラスとレネは最後立ち話をしていた。
杉山も含め、みんな酒が入っているので歩きである。ブリティッシュパブで、ポテトフライやピクルス、フィッシュ&チップスで腹はいっぱい。腹ごなしにちょうどいい。
「はい、みんなとも仲良くやれているので、明日からも上手くやっていけそうです」
「ザクセンは旧東の中でも産業の中心地だ。うまく行ったらいいな」
水曜からの展示会はライプツィヒで行われる。フランクフルトの東、約三百キロに位置するライプツィヒはザクセン州に属すが、州都、ドレスデンよりも大きな都市だ。
ドイツ名だたる自動車メーカーの工場を擁する、東ドイツでも屈指の街と聞いている。
「本当は営業が一人でも二人でも顔を出すべきだったんじゃないか? ヒガシさんがかわいそうだ」
「会長が経費を抑えろって言ったんだ。仕方ないだろ。俺だってあいつには表立って楯突けない」
最後度数高めの蒸留酒……確かシュナップスとか言っていたものを飲まされたので頭がほわほわしていた。なので、沙羅は思わずこう言った。
「自分はしょっちゅうヨーロッパとかアジアの工場に行ってるくせに」
「本当だ。遊びまわりすぎなんだ、あの野郎」
「そりゃあ現場見に行くのはいいですよ。上が現場を理解するのは大事です。でも、取引先行ってなんだかんだ交渉するのと、自分んとこの工場行ってチヤホヤされるんじゃ意味が違いますよね! 重圧が」
あ、しまった言いすぎた。そう思ったが、レネは「そうだな」と言って微笑んでいた。
「ほんっと、出張の内容をわかってくれるよな。まじで」
康貴がポケットに手を突っ込みながらそう言った。それにレネがすかさず反応する。
「俺たちもよく遊んでるとか言われるからな」
「遊べるもんなら遊びてぇ……今のだって接待じゃんか」
昼間、おそらく彼らはかなり重要な交渉をしていたはずなのだ。
上手くいったのかどうなのか沙羅には知る由もなかったが、上手くいっていてほしいと願うばかりだ。
「明日早いが、寝坊するなよ?」
「レネがこの中で一番朝が弱い気がする……」
「うるさいぞヤス!」
本当に仲がいいなぁとこっそり笑う。二人とはホテルのエレベーターで別れた。
沙羅はほとんど終わっていた荷造りの仕上げをしてシャワーを浴びて早々にベッドに潜り込んだ。
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