第12話 アウトバーン、山の古城
「じゃあ、ヤスが言ってたチャレンジをするか」
「チャレンジ?」
レンタカーの助手席で沙羅が首を傾げた時、運転手であったレネはウインカーを出した。まさか、と沙羅は焦りを覚えた。
車線変更、ギアをチェンジ、急加速。
息つく間も無くベンツタクシーの後ろにつけた。
(待って待って待って待って!)
「ちょっと待ってちょっと待ってくださいっっ!」
マニュアル車ならではの滑らかな加速。レネは面白そうに笑った。
「大丈夫まだ180キロだ」
「全然大丈夫じゃないです! 死ぬっ!」
死ぬなどと喚いている沙羅であったが、目の前のベンツはどうやら200キロ超えているようだ。二人のレンタカーをぐんぐん引き離していく。
更にレネは加速した。隣の車線の車をビュンビュン追い越していく。
「大丈夫だ、今何か起こったら俺も一緒に死ぬ」
「一緒に死ぬとか全然大丈夫じゃない……っ!」
沙羅は半ば悲鳴のような声を出した。もう敬語なんて頭からすっぽ抜けている。
「でもほら、全然前のメルセデスタクシーに追いつかないだろ。もう見えなくなった。あれは多分240くらい出てる」
「え……これもベンツってことはそのくらい出るってことですか?」
「試したことはないが、多分いけるだろ。やるか?」
(何を言ってるの!?)
「……プラスドライバーとマイナスドライバー、どっちで刺されたいですか!?」
「南方精密社長、女性技術員にドライバーで刺される。トップニュースだな」
レネは心の底から楽しそうに笑っていた。確かに南方は現在のプライム上場、つまり、かつての東証一部上場の大企業だ。家電も製造しているので一般人も社名をよく知る企業である。騒ぎになるのは確実である。
「成人済み小学生男児」とでも言わんばかりの振る舞いをする男に沙羅はふざけんなと思った。
結局、彼は180キロくらいのスピードで走り続けた。
昼食は道中カジュアルなイタリアンに入った。ドイツではピザはシェアせずに、一人一枚、なぜかナイフとフォークを使って食べる。
「なぜかわからないが、こういうものなんだよな」
「そういうことってありますよね……本場とちょっと違う文化」
突然アウトバーンを爆速で走り出した時は心底驚いたが、なんだかんだ文句は言いつつも結構ドライブも楽しめた。
普段自分が仕事で長距離も運転する立場なのではじめこそ助手席で落ち着かなかったが、彼は気を遣って仕事以外のさりげない話題を振ってくれて結構楽しかった。
(困る……)
銀行員時代は営業だったらしい。普通にコミュ力お化けだ。
こんなデキる男と二人で出かけてしまったら、今後日本のそこいらの男とデートできなくなるではないか。
(絶対にこの人彼女の一人や二人や三人くらいいるでしょ……)
沙羅は心の中でこっそりため息を吐いた。
かくしてたどり着いたヴァルトブルクは山の上にある堅牢な砦だった。沙羅は山の中腹から城を見上げた。
茶色っぽい煉瓦と木組の城塞は、きらびやかな城というよりは戦略上重要な位置にあった城郭のそれである。
せっかくなので、二人は駐車場から歩いていくことに決めた。
「めっちゃめちゃ砦って感じですね! ゴツい、格好いい!」
「地味な城だ。だが、ルターが聖書をドイツ語に訳した城として有名だ」
「それは普通にすごいのでは……」
「ついでにこの街はバッハの生まれた街だ」
「誰ですか、田舎って言ったの……」
「チューリンゲンは旧東ドイツ、かつては栄えていたかもしれないが、今やど田舎だ。それは間違いない」
他に何か裏話ありますか? と沙羅はレネを見上げた。「そうだなぁ」と彼は言ってこう続けた。
「バッハは小川という意味だな」
「……小川さん?」
レネは重々しく頷いた。
「親近感爆上がりですね!」
「小川という名字は日本にも多い。面白い共通点だ。名字といえば、君の名前は本当に困ったものだ」
「まあ私のは長すぎるので……サインが苦痛です」
Higashishinkawa。ローマ字でサインするのがしんどい。メールアドレスが長い。客先では一発で覚えられるが、ある意味不便である。
「君の名前はshiが連続なのがきついな……俺は
(俺はって言ったから、南方はビジネスネームか……)
きっと彼は国籍はドイツのままだ。そんなことだろうと思っていた。だが沙羅はそんなことおくびにも出さずこう聞いてみせた。
「由来とか、意味はあるんです?」
「商人という意味だ。
「今も事業をしているからあながち間違ってないですね。他にはどんな職業ネームがあるんです?」
「ミュラーやシュナイダーなんかそうだ。粉屋に仕立て屋。シュレーダーアンドハーンのシュレーダーも仕立て屋」
シュレーダー氏とハーン氏が共同で立ち上げたので社名がシュレーダーアンドハーンになったらしい。
「ハーンはなんです?」
「ハーンは雄鶏。多くはないが動物の名字もある。フックスやヴォルフなんかがそうだな。キツネにオオカミだ」
「雄鶏! 動物シリーズもあるんですね。あ、そういえば、大学の時に鯨って名字の人いました。日本もあまり聞かないですけど、動物名字、いるっちゃいます」
「それは珍しいな……日本では動物の名字は知る限り聞いたことがない」
雑談をしながら城を目指す。
六月のドイツは日本と違って結構涼しいが、山道を登っていると汗が噴き出した。でも、飛行機で移動し、ずっと仕事ばかりしていた身体にこのくらいの運動はちょうどいい。
たどり着いた城であるが、近くで見ると無骨なだけでなく、これはこれで美しい。木組と白い壁のコントラストが目に鮮やかだし、四角い塔も三角の屋根も結構おしゃれでかわいい。普段日本で見ることのない造形に沙羅は目を輝かせた。
入場料を払って、せっかくなので見学ツアーに参加した。日本語のパンフレットはもらえるが、ガイド言語はドイツ語。
「できる限り通訳するが、日常やビジネスで使わない言葉だと少し不安だな」
「大丈夫ですよ。そこまでお気遣い頂かなくても」
「気にするな、せっかくだからチューリンゲンの城を見てもらいたい」
きっとこの人にはこの城なんて、日本で言うところの小学生の社会科見学で訪れる場所だろうに沙羅に付き合ってくれた。
先週は国内を巡り、先々週はアメリカ、きっとこの週末は慣れたドイツでひと休みしたかったに違いないのに……。
(社長って本当いい人だな……)
見学コースは質素な「騎士の間」から始まった。石造りの部屋は簡素で無骨、その次は「食事の間」。やはり質素な空間だったが、ここには大きな暖炉があった。
城は石造り。ひんやりした空気が肌をなでた。
真冬はさぞかし寒かっただろうと沙羅は考えた。
「この辺って真冬何度になるんですか?」
「最低気温なら、マイナス20℃以下だな」
(凍死する……)
北海道と緯度が変わらないと聞いたことがあった。沙羅は動揺して目を泳がせた。寒すぎる。
それを聞くと、考えも変わると言うものだ。ここは山の頂上、きっと吹きっさらしの風が打ち付けて、この城も凍てついた石造の要塞に姿を変えたはずである。
その後は一点息を飲むほどの豪華絢爛で煌びやかな装飾。天井も壁も豪奢なモザイクに覆われている。部屋の名前は、「エリザベートの間」。
(来てよかった……)
色付きのステンドグラスもらでんも金箔も美しい。
無骨な要塞にこのように美しい部屋があるとは思いもしなかった。
ガイドの言葉は沙羅にはわからなかったが、レネは的確なタイミングで日本語に通訳してくれたと思う。間が上手い。
その上彼は英語も驚くほど流暢に話す。相当な努力を重ねたに違いない。
(そこまでして会長に……そりゃそうか)
自分と母親を捨てた父親に復讐をしたいか。でも沙羅にはわかった。自分自身も母子家庭だからだ。
父親は幼い頃に亡くなった。沙羅は本当に苦労した。いや、母に相当苦労をさせた。田舎育ちなのに、一丁前に都心の理系の大学になんて進みたいと言ったものだから。
(わかる……わかっちゃうな……)
自分は父親に息子であると認めてすらもらえなかった。そればかりか、妻との間の長男、彼からしたら兄のことは溺愛してその挙句、兄は出来が悪くて勘当、最後は自分に尻尾を振ってきた。
許せないだろうなぁと沙羅は思いながらスーヴェニアショップを巡った。
夜、レネはドイツ料理屋に連れて行ってくれた。道中、沙羅がどんな酒が好きか丁寧にヒアリングしてくれた。大きめのスーパーで沙羅が土産を買うのを手伝って一度ホテルに戻り、それから徒歩でレストランに向かった。
六月にしては天気も良くさっぱりとした暑さがあった。彼は軽めの赤ワインをすすめてくれた。
「シュペートブルグンダー。フランスで言うところのピノ・ノワールという品種だ。軽いし少し冷やして美味しく飲める」
合わせた料理はリンダーロラーデン。薄切りの牛肉にピクルス、マスタードなどを乗せて巻いた煮込み料理だ。
ワインも飲み口が軽くて食事にもばっちりであった。初夏の気候にさっぱり美味しい赤ワインであった。
こんなに充実した一日なんていつぶりだろうか。
沙羅はホテルに帰りベッドに入ってからも今日のできごとが脳裏を駆けめぐり、なかなか寝つけない夜を過ごした。
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