第11話 朝食会場、観光ガイド

 翌朝8時、沙羅は朝食会場にいた。

 ハムやチーズの種類が豊富で、それからパンも美味い。目玉焼きも目の前で焼いてくれて、焼き立てを受け取る仕組みだ。ずっとこのホテルに滞在しているが、飽きることもなく楽しめている。


「見つけた。おはよう」


 トレーを持ったレネがやってきた。その足取りは軽い。沙羅を見つけて心底嬉しそうだ。

 変な声が出そうになった。

 ヘアセットをしていないので結構長めの前髪が額に落ちており、普段より少々若く見える。


「おはようございます!」

「ここ、いいか?」

「はい!」


 四人がけのテーブルに座っていた沙羅の向かいにレネは腰を落ち着けた。

 彼は、休日だからか開襟のダークカラーのシャツを着ていた。


「昨日はありがとうございました、美味しかったし助かりました」

「口に合ったようだな、安心した」


 そう言って微笑んだ男は、グラスのオレンジジュースを口元に運んでから食事を始めた。トレーの上の皿の上にはハムやチーズ、それからサラダなどたんまりと盛られていた。


(細身に見えるんだけどそんなに食べるのか……)


「あのビール、すっごく美味しかったです」

「あれは俺も気に入ってるWeizenヴァイツェンだ。値段は高めの方だが、その辺のスーパーでも買える」

「そうなんですね! 帰りに買って帰ります」

「同じWeizenヴァイツェンでも、Franziskanerフランツィスカーナーあたりなら日本でも簡単に買えるが、Eldingerエルディンガーはそうはない。土産としてはいい選択だ」


 あっという間に、向かいの皿の上の食べ物が消えていく。ペロリと、という言葉が本当にふさわしいくらいよく食べる男だ。


「ヨーグルトとフルーツでも持ってくるかな……」


 彼が席を立とうとすると、すかさず店員が近寄ってきて確認ののちに皿を下げる。そしてレネは皿に山盛りのフルーツとヨーグルト2パック、それからコーヒーを持ってきた。


(胃にブラックホールでも飼ってるのか……?)


「で、今日はどうする? 郊外に行きたければ車を出そう。特にここに行きたい、というものがないが出かけたいとなればおまかせプランも提案できる。ホテルでゆっくりしたければそれでもかまわない」


 レネは淀みなくそう言ってみせた。せっかくだから出かけたい。


「せっかくなので、お願いします」

「よし、最高のプランを提案しよう」

「ありがとうございます!」


 そう礼を言った時だ、日本語が飛び込んできた。


「おはよう。デートかぁ〜俺は基本ホテルにいるから車乗るなら事故らないようにだけ気をつけて楽しんできてくれ」


 康貴である。彼はレネの隣の席にトレーを置いて腰を下ろした。休日ゆえ仕事モードではないのか、自社の社長相手にかなり砕けた口のきき方をしている。

 一人称も「俺」だ。これがこの男の素の姿だだろう。


「おはようございます……で、デートって」


 デートという単語に沙羅がうろたえていると、レネが呆れたように言った。


「ヤス、セクハラで俺の担当外すぞ」

「俺を外されたら困るのあんただろ? ヒガシさん、楽しんできて。せっかくだからアウトバーンで二百キロくらいでぶっ飛ばしてもらうといいよ」

「そのスピードでどこに行くっていうんだよ」

「アイゼナハとか?」

「ここから二百キロはあるぞ。しかもあんな田舎……」

「メルセデスで二百キロで飛ばしたら単純計算1時間で行けんじゃない?」

「お前、小学校の算数からやり直してこい」


 ずっと二百キロ出してるわけもなく、どう考えても一時間では無理だろう。


「杉山さんはホテルで終日のんびり、ですか?」

「うん、基本的には。夜になったらSub嬢のいる店でも行くかなとは思うけど。どこぞのシャチョーさんの仕事の振り方が横暴すぎてストレスフルだから、パーっとプレイでもしてくるかなってちょっと思ってるんだよね」


 ということは、康貴はDomなのだ。プレイ≠性行為ではあるのだが、両者は密接でもある。朝っぱらから明け透けすぎる気もする。


「朝からプレイの話をするな」

「へいへい。ま、そんなわけで俺、夕飯はパス」

「わかった」


 沙羅もそのあとデザートをとってきて、最後はカプチーノを持ってきた。今日と明日はハイプレッシャーな仕事から解放される。仕事はそこまで嫌いではないが、それがこんなに嬉しいだなんて。


(社長と一緒はちょっと緊張するけど……)


 でもきっと、一人でいるより楽しめるはず。


「まじでアイゼナハ行ったら? 俺ヴァルトブルク城、結構好きだけど。やっぱチューリンゲンの城、見てもらいたいじゃん。普通の女の子だったら二百キロも長距離運転とかドン引きするだろうけど、ヒガシさんは自分でもそれくらい仕事で普通に運転するでしょ?」


 アイゼナハとかいうところの名物は、どうやら城らしいと沙羅は察した。

 確かに、二百キロの運転なんてしょっちゅうではないがたまにする。工具箱やら宿泊の荷物やら色々と持っていると、新幹線や在来線を乗り継ぐよりも社有車で移動したほうが遥かに楽なのだ。


「そうですね……でも合計四百キロはうちの規定アウトですよ。それを社長にさせるのはいかがなものかと」


 南方では、一日に四百キロ以上運転する場合は上長の許可を取らなければならないのだ。


「日本より飛ばせるから運転時間は短くなる。それに、今日はプライベートだ。沙羅はそんなこと気にしなくていい」


(せっかく負担にならないように考えてるのに……)


「社長まで杉山さんみたいな算数できない発言しないでくださいっ!」

「違うか? 日本で二百キロ走るよりは確実に短く済むぞ。アウトバーンなんて、普通に走っても時速百四十キロ百五十キロは当たり前に出すからな」

「……新東名の百二十キロを軽々超えちゃうんですね、普通に走ってても」


(意味わからない……)


「買い物がしたいなら土曜の今日のうちにしておくべきだが……日曜はレストランやら美術館、博物館、観光施設しか空いていないし」


 二人はわいわい理想の観光プランを練り始めて、そして沙羅が「買い物はそんなに興味ない、大きめのスーパーにでも行ければいい」と言ったので問答無用で車をぶっ飛ばして城を見に行くことになった。


「社長、すんっごい嬉しそうなんですけど……」


 エスプレッソを取ってくるとノリノリで腰を上げたレネを見送ったあとに、沙羅は康貴に小声で言った。


「チューリンゲン州、つまり日本で言うとこの自分の生まれた県の世界遺産だからまぁ……見せたいよね。って言ってもヴァルトブルクって洗礼された美しい城っていうより、田舎の質実剛健で堅牢な城塞って感じだけど」

「なんかこう、おとぎ話に出てきそうな白っぽいキラキラした城よりもそういう方が格好いいですよね!」

「そう言うと思った〜。多分レネもそれを見越してる。ヒガシさんなら綺麗な教会のステンドグラス見せるよりヴァルトブルクの方が刺さると思ってる」


 そんなことを話していたらレネが戻ってきた。


「楽しそうだな、なんの話をしてた?」

「内緒でーす!」

「言うようになったなぁ……」


 そう言ったレネであったが、なおも彼は機嫌よさそうだ。彼はエスプレッソの小さいカップを口元に運んだ。


 気難しそうに見えて、その上プライドも高そうで面倒臭そうに見えるかもしれないが、きっとものすごく優しい人なのだ。

 沙羅はそう思って、カップの底の冷めかけたカプチーノを飲み干した。

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