第10話 再びの電話、夕飯デリバリー
(寝すぎた……)
まだ外は明るい。だが、とりあえず夜の9時より前だ。窓の外を見た沙羅はそう判断してむくりと起き上がり、枕元に放り投げてあったスマートフォンを手に取った。
「8時半!? やっばい、社長からなんか来てる!」
アプリを開けば、レネからメッセージがいくつか来ていた。ちゃんとホテルに帰ったか? とか、夕飯は食べたか? とか、会食は一人でなんとかこなしておく、とかそんなのだ。
沙羅は慌てて返信を打った。「すみません、ずっと寝てました。今起きました!」という内容である。一瞬で既読になってなんと着信が来た。
「うっわぁぁぁぁ! だから電話いらないってば!」
沙羅はそんな独り言を発しながらも大慌てで電話に出た。
「おはよう」
「……おはようございます?」
「こちらは今会食が終わったところだ。君、何も食べてないんだろ?」
「……はい、そのままホテルに帰ったので」
「今から食事に出るのも面倒だろう。これからスーパーに寄るから何か買っていってやろう。駅のスーパーならまだやってる」
「はいぃ?」
変な声が出た、何を買うというのだ。
「それとも、これから食事に出るつもりだったか?」
「いえ、流石にそれは……」
実を言うと、目覚めた時点で沙羅もふと空腹を自覚し困っていたのだ。外に出るのは面倒だ、でも、今夜は何かまともなものが食べたい。昨晩はスープで済ませてしまっていたからだ。
「適当なサンドイッチとかサラダとかその辺になるだろうが……何か苦手な食べ物は?」
「本当によろしいんですか? 特に苦手なものはないです」
「果物も? アレルギーとかないか?」
「はい」
「悪いが……そうだな、30分くらいかかると思う。部屋のインターホンを押す」
そう言ってぶつりと電話は切れた、沙羅はとりあえずしわくちゃになった仕事用のシャツを脱ぎ捨て、手持ちの部屋着に着替えることから始めた。10分後に来るとかよりよほどありがたいと彼女は思った。
何だかかよくわからないし事情も知ったこっちゃないが、この部屋に弊社の社長がピンポンするようだ。
「化粧直そう……」
沙羅はまず、化粧を直さなければならないことを思い出した。そして、持ってきた服の中で直視できるレベルの部屋着に着替える。
気づけばもう20分近く経過していた。
(社長に夕飯の買い物させるとかよく考えるとあり得なくない!?)
ふと冷静な頭になりその考えに至った沙羅は、腹をすかせた動物園のライオンよろしく室内をうろつき回った。
寝ぼけた頭で買い出しをお願いしてしまったが、普通に考えてどうかしている。
(社長、何買ってくるわけ!?)
完璧にやらかしたと頭を抱えて、落ち着かなくてテレビをつける。ニュースと天気予報を言葉もわからないまま見ていると、インターホンが鳴った。
ドアスコープから覗くとレネがいたので、沙羅は迷うことなくドアを開けた。
「お疲れ様です」
「ゆっくり休めたか? 口に合うことを願ってる」
本当にそれだけだった。その一言の後、紙袋を手渡して彼は背を向け「じゃあな」と言った。
「社長! ありがとうございます、ここまでしていただいて」
「構わない。明日、一緒に出かけよう。また連絡する」
そう言って彼は手をひらひら振って消えていった。今回は何階に泊まっているのだろうかと、沙羅はレネを見送った。
(やっぱり明日出かけるんか……)
フランクフルトは近代的な商業都市。欧州中央銀行の本部があるドイツ金融の中心地だ。ヨーロッパっぽくはあるが、特筆して古めかしい街並みがあるわけでもなく、場所によっては猥雑な路地もあり、ケバブ屋など移民の経営する飲食店も多い。郊外に連れて行ってくれるのだろうか。少し楽しみになってきた。
沙羅は早速レネが買ってきてくれたものをテーブルに並べた。
紙袋に入ったサンドイッチは、プレッツェル生地の茶色くて丸いパンにモッツァレラとトマトが挟まっていた。プラスチックの丸い容器には、葉物野菜や色鮮やかなパプリカ、きゅうり、チーズなどが入ったサラダとポテトサラダが入っていた。トッピングにグリルチキンが添えてある。
お湯を注げば出来上がるスープは、パッケージにホワイトアスパラが描かれている。小さなカップにはカットフルーツの盛り合わせ。
そして、底には500mlの瓶ビールが一本。ヴァイスビアと書いてある。小麦ビールである。ソムリエナイフもあった。これで開けろということか。
あともう一つパッケージが入っていた。入浴剤だ。一ミリも読めないが、バラが描かれている。
これを買って30分。早い。仕事のできる男だ。
「モテる男のチョイスだなぁ」
明らかに女性が好きそうなものを選んでいる。沙羅もヘルシーな夕飯に胸が弾んで、せっかくだから風呂に入ってさっぱりしてから食べよう思い立った。
サラダとフルーツ、ビールを冷蔵庫に入れてシャワールームに向かった。せっかくだ、入浴剤をありがたく使おうとバスタブに湯をため始めた。
忙しすぎてシャワーで済ませることも多かったが、やはり湯に浸かると違う。風呂から上がった沙羅は、改めて夕飯とすることにした。
冷蔵庫からサラダとビールを取り出して、とりあえずビールを開けた。グラスに注ぐと少し濁った色合いだ。泡はもっちりとしている。
「いただきます!」
まずはビールを一口。濃厚でコク深い。苦味はほぼ全くなくてフルーティー。泡がものすごくきめ細かくて、文句なしに美味しかった。沙羅の中で革命が起こった。こんなビール、知らない。
母親への土産にしよう。
「エル……ディンガー?」
エルディンガーヴァイスと書いてある。おそらく。
ビールを片手に沙羅はモッツァレラとトマトのサンドにかぶりついた。パンはかみごたえがあって、期待を裏切らない美味しさである。やはり、この国のパンは美味しい。
フォークを取り出し次はサラダ。ポテトサラダは日本と違い、どことなく酸味を感じる。そして、潰した芋でなくスライスした芋である。
そして、またビールを一口。
「センスいいなぁ、社長……」
実に恐ろしい男である。何か欠点はないのだろうか。
(実は運転がど下手くそとか……)
もしそうなら、呼吸困難になるくらい笑える。だが、康貴が社長は運転がうまいと言っていたのでそれはなさそうだ。
そういえば、明日出かけようと言われたがどうしようか。おそらく、朝食の時間くらいに連絡が来るだろう。
ビールがあまりにも美味しくて、500mlあっという間に飲み終わった。フルーツをつつきながら、尚もレネのことを考えた。
(表に立って仕事するのも似合ってるし、Domにしか見えないんだけど、なんかSubっぽいんだよなぁ……)
だがあの男がDomに《
その上、Domに褒められて嬉しそうにしている姿なんてもっと考えられない。
(気のせいかな……)
「ごちそうさまでした、社長」
スープは寝る前にでも飲もうか。沙羅はゴミを手早くまとめた。
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