第6話 就任挨拶、ファクトリーツアー
結局、先方の社長など幹部ずらりと勢揃いの中、レネの社長就任挨拶が始まった。
(英語もまあすらすらペラペラ話すなぁ……)
トリリンガルか。恐ろしい。
英語と日本語、どちらが得意なのだろうか。
自分がいなけりゃこれもドイツ語でできただろうに、となんだか沙羅は申し訳なく感じた。
その後レネは改めて、と言った様子で自社の会社説明のプレゼンを始めた。昨今の業績や今後の展望、それに向けての協力の要請。検査装置と半導体関係や部品を作る加工機も製造しているので、取り扱いについても軽く言及していた。
沙羅はなるほどと感心しながら聞いていた。沙羅は測定機、つまり検査装置の部門にいるので、加工機やグループ企業が製造する家庭用の電化製品については正直今の状況がどうなのかもよくわかっていなかったからだ。
相手方のマーケティング担当者も会社説明と最近の取り扱い製品をプレゼンした。
シュレーダーアンドハーン、SHもメイン事業としては測定機や加工機を専門とするBtoBの機械メーカーだが、南方とはバッティングしないジャンルの工場向けの機械を扱っている。それゆえ、提携しているのだ。互いの機械を輸入し合い、代理店として輸入販売も行っているのである。
つまり南方精密はSHの機械を日本市場に輸入販売し、SHは南方精密の機械をドイツ市場に販売している。
そして話題は、この度沙羅がここまで遠路はるばるやってきた新製品に移る。
「沙羅、私がもし質問に答えられなければ助けてくれ」
「はい、何かあれば聞いてください」
今回の本題、南方精密の開発部の叡智を注いだ最新の汎用測定機。それにシュレーダーアンドハーンと南方精密のソフトウェア開発部門が共同開発した最新鋭の制御ソフトウェアと南方最新のオプションソフトウェアを載せるのである。
来週、小規模ながら展示会でドイツ初公開の予定だ。このハードとソフトウェア両方が頭に入っており、この度ドイツまで飛べたのは沙羅のみ。
先週日本から送った小型機がここのショールームに到着済みで、沙羅はセットアップ、調整方法、操作説明とそれからセットダウンをここのドイツ人に叩き込む。そして来週の展示会でもセットアップと会期中のフォローに行く。
そう、二週間の長期海外出張なのだ。
そして、新製品、マイスターザイザーの製品説明をレネが始めた。基本スペックから搭載可能オプション、売り込み予定の業界。
スライドも見やすい。さすが元大手銀行マン。本人がどう思っているか知らないが会長が自慢の息子だと言いたくなるのも頷けると沙羅は思った。
(フォローなんてほとんど必要ないじゃないか)
流石に内部の構造や特別発注の出荷時オプションに関しての結構意地の悪い質問が飛んだ時には沙羅が助け舟を出したが、彼はほぼ完璧であった。ここまでわかっていれば、明日からうちの営業マンになれる。
社長、若いけどなかなかすごいじゃないかと沙羅は心の中で素直に賞賛した。
「先程は助かった、リニアモーター仕様の話が出てくるとは思わなかった」
「いえ、機械構造なら任せてください。そのためにいるので」
ランチタイム。食堂に行けば、日本で言うところの定食が出てきた。
香ばしく焼いたチキンにはキノコがたっぷり入ったクリームソースがかけてある。付け合わせはスライスして、少し焦げるくらいに炒めたじゃがいも。それからサラダには松の実がたっぷり。
社内の人間はドイツの料理は微妙だの不味いだのボロクソに言って沙羅を脅してここに送り出したが、そんなことはない、結構美味しいんじゃないかと思う。
先方のドイツ人が全員席を外したタイミングで康貴がぼそりと言った。
「向こうの技術部長、社長のこと完璧にナメてますよね? なんなんですかあれ? 小難しい機械の構造だのなんだのの話は明日以降、機械のトレーニングに入ったらヒガシさんに聞けばいいじゃないですか」
確かにそれはごもっともである。機械の話をするために沙羅が来ているのだ。
「試したんだろうな? 仕方ない、俺は一族の青二才、しかも機械の話なんてできないド文系だと思われているはずだ」
普段の一人称、どうやら「俺」らしい。いいぞいいぞ、本性が見えてきた。
いやしかし、なんだろう、製造業で文系出身というのはコンプレックスなのかもしれない。沙羅の目に、彼が少々かわいく思えてしまった。
だが、この業界の社長が全員理系だとは思えない。社長の仕事は経営をすることであって、機械いじりの知識はそれほど必須とは思えないからだ。
むしろ、変に機械や製品の仕様にこだわりすぎる人間は会社を傾ける恐れすらあるのではないか。
「先ほども申し上げましたが、技術的な話をするために私はここに来てます。全部ぶん投げてください」
「心強いな」
「その代わり、私は世界情勢とか金融関係……日銀があれしたこれしたとかEUの総裁が何したとか、税制のこととか、日本語ならともかく英語だとぜんっぜんわかりません。最後何のお話をされてるのかさっぱりでした。やはり経営者だなぁと思いましたよ」
レネは最後、先方の会長とずっと世界情勢の話で盛り上がっていた。
彼は一瞬逡巡するような仕草を見せたのち、こちらを真っ直ぐ射抜いてきた。
「一つ頼みがある……日本に帰国したら、ショールームで機械のことを教えてほしい。その日は丸の内出社だ」
「ええ〜! 満員電車じゃないですか。私立川住みですよ?」
「9時に来なくていい。ボーナスは現物支給だ、その日のランチは奢ってやる、もちろんポケットマネーで」
「なら……行ってもいいですかね?」
「なかなか言うようになったな?」
すると、康貴がコーラを飲みながら言った。
「ええ〜もうデートの約束ですかぁ? 仲がいいですね」
「本社に行くだけですってば」
「次からかってみろ? セクハラで首にしてやるぞ!」
康貴が楽しそうに笑っていた。ちょうどそのタイミングで担当者が戻ってきたので日本語タイムは終了となった。
食事の後はファクトリーツアー、つまり工場見学だった。
まず初めにアッセンブリのライン、組み立て工場を見学した。レネは思いのほか、組み立て時の調整用の機械に興味を示していた。
「これは?」
「これはオートコリメーター、非接触で角度を見るものですね。部品の位置だとか傾きだとか、その辺の最終調整に使うのかと思います」
「こっちは?」
「これは接触式の高さ測定機です」
(私じゃなくてSHの人に聞けばいいじゃん! ドイツ語で!)
まあ答えられるのでいいのだがと沙羅は日本語で説明してやった。日本語の専門用語を覚えねばと思っているのかもしれない。手帳とペンを渡してきて、漢字で書いてくれと言われて書いてみたりする。
(この男はまず、自社の工場見学から始めたらどうなの?)
だがはっとした。それをわかっているからこそ、まずショールームで機械を教えてくれとわざわざ頼み込んできたのだろう。自分の弱いところをおそらく的確にとらえているのだ。
それから大型の加工機でボディを削る現場を見たり、基盤の修理工場を見たり、ショールームを見学させてもらったりとあっちに行きこっちに行き解説してもらいながら見て回る。
「これは日本じゃできないな」
在庫を積んである倉庫にて、レネは呆れたように言った。
「無理ですねぇ」
そう同意した沙羅に康貴が被せるように言った。
「今すぐここから逃げ出したいんですけど? これ震度三でも崩壊だろ?」
「確実に崩壊だ」
体育館のような広さの建屋、天井まで棚が並び、ひたすら部品やら機械の筐体やらが積んであった。
これが地震のない国の感覚なのだ、沙羅はちょっぴり怯えながら面白いなぁとスマホで写真を撮りまくった。
工場見学が終われば、先方の社長と会長、それからマーケティングトップ、担当窓口と皆で会食だった。
レストランはステーキハウスで、ガーリックバターが乗っていた。赤ワインと一緒に、それはそれは美味しくいただいた。
帰りにタクシー呼ぼうと言ってくれた会長に対し、せっかくだからトラムに乗って帰るとレネが言った。
彼は券売機に向かった。呼ばれて沙羅も小走りで追いかけた。
彼はわざわざ英語の表示にしてくれ、沙羅にチケットの買い方を丁寧に教えた。そして三人分のチケットを買うと、手渡してくれて乗り方を教えてくれた。
明日からこの二人はいない。西ドイツの取引先や南方の工場を巡り、また金曜の夜にフランクフルトに戻ってくる。
「明日から頑張れ。うちの会社をよろしく頼む。何かあればいつでも何時でも電話を寄越してほしい」
なんだか最後に握手を求められて、それで互いの部屋の間で別れた。
カードキーで部屋に戻り、綺麗にベッドメイクがされているベッドにばたりと仰向けに転がった。
右手を目の前にかざす。彼の手はがっしりとして肉厚な大人の男の手だった。
「社長、思ったよりいい男じゃん……」
明日から迎えはない。それを見越してトラムの乗り方を教えてくれたのだ。
「参ったなぁ……」
絶対に近寄りたくなかった。もし今後親子のパワーゲームが始まったら、きっと若様の肩を持ってしまう。それだけは確信を持った沙羅がいた。
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