第9話
その日、優花はいつもとなんら変わりなく登校した。
いつも通りの時間のアラームで起きて、いつも通りの朝ご飯を食べて、いつも通りの制服でいつも通りの道を通って学園へとやってきた。
普段となんら変わりないその”いつも通り”を繰り返していただけに、彼女が異変に気づくのは早かった。
彼女自身に向けられる目線。いつもは羨望やら見惚れているものだというのに、今日は違う。彼女を疑うような目線。不確かな情報を訝しんでいるような、曖昧な感情が見え隠れするその目線達は懐疑的、と表現するのが正しいのかもしれない。
いつもとは違う様子に優花も状況を疑い始める。
なにか変なものでもついているのだろうか?今日の制服におかしいところでもあったのか?はたまた___
そう考えたところで彼女の脳裏には一抹の不安がよぎる。まさかとは思っていたが、確認してみないことにはわからない。
優花は教室へ向かうその足取りを早める。できるだけ焦りを見せずに、かつ慎重な足取りで。
教室に入るとやはりと言うべきか、クラスメイト達の視線が優花に突き刺さる。それと同時に彼女は確信した。何かが起こっていると。
次に彼女が視界に捉えたのはクラスメイト達のスマホ。この令和の時代にスマホを持っていること自体はおかしくは無いのだが、問題なのは全員がスマホで《なにかをみている》ということだった。
教室を見回してみると、もれなく全員がスマホを手にしている。そしてそれに釘付けになっている者、画面と優花を交互に見る者、優花と目が合わないように体を背ける者。三者三様だ。
「ちょっと貸して」
優花は近くにいた男子のスマホを半ば無理矢理奪い取る。彼女はその画面に映し出された映像に目を見開いた。
『全く、全員揃って馬鹿みたいよね。私が完璧美少女だとか、理想の女とか言っちゃってホイホイ騙されるんだから。…あんたもその一人ね』
「…は?」
それは間違いなく、あの倉庫での自分だったから。
「隠し撮り?」
結那から提案された作戦。それは優花の根城である校舎裏の旧倉庫に彼女を呼び出してそこで悪行を吐かせて証拠を抑えてやろう、という作戦だった。
「えぇ。これなら安全だし、証拠も確実に手に入るわ」
「いや、そうとは思えないんだが…映像だけじゃ確証には至らないだろ」
この案に結城は疑問を抱いていた。
この時代では映像なんてもの簡単に作り出せるし、AIによる偽装工作だった出来る。それだけに映像という証拠だけでは不充分だと考えたのだ。しかし、結那はニヤリと笑う。
「それを利用するのよ。その”不確実性”を」
結那は推理小説のラストシーンのように論説を組み立てて行く。
「不確実な情報はどこにだって溢れているわ。人の噂。古代の文明。どこで撮影されたかもわからない心霊映像。どれも確実性に欠けるものばかりだし、嘘だと言われたらそう認めざるを得ない部分もある。でも、そこにはミステリーが生じる。だからこそ、人は不確実性に惹かれるの。不確実だからこそ、その謎を追い求めようとするの」
「…成る程」
「っ!!」
優花は思わずスマホを手放してしまった。まさか自分がこんな失態を犯してしまうとは。慢心ゆえの失態は彼女に取って致命打になりゆる一手だった。
それと同時に優花は振り向く。そしていつもの席に座っている結城に掴みかかった。制服の胸ぐらを両手でつかみ、近くのロッカーへと押しやった。
「お前ふざけんなよ!!!」
「おいおいどうした?なんでそんなに怒ってる?」
「しらばっくれんじゃねぇ!!!てめぇがこの動画を…」
掴みかかられてもなお結城の余裕は崩れない。むしろ、彼女が激昂したことに喜んでいるようにも思える。
「あの動画がどうかしたのか?…もしかして、あの動画で言ってたやつって、全部本当なのか?」
結城の言葉で優花ははっとした表情になった。この状況でのこの態度はあの動画の内容を認めてしまっているということになる。失態に焦ってさらなる失態を重ねてしまっていたことに優花はこの時ようやく気がついたのだ。
それと同時に、結城の術中にはまってしまっていたことにも気づく。彼の表情は不敵な笑みを浮かべていた。
「な…最初からこれを狙って…」
「なんのことだ?俺は朝来たらこんな動画が出回っていたから事実確認をしようとしただけなんだが…」
「お前…!」
既に勝機は無いと感じ取ったのか、優花は再び結城に掴みかかろうとする。しかし、彼女の手は横から入ってきた結那によって止められた。
「なっ!?」
「手をあげるなんてらしくないわね。もうむきになっちゃったのかしら?」
「うるせぇっ!…お前らか、お前らのせいで…!」
優花の表情はみるみるうちに歪んでいく。皆の前で取り繕う仮面を被った彼女はもうどこにもいない。
普段の取り巻きも今日は息を潜めている。自分達が関わっているとは思われたくなかったのだろう。鎧をすべて引き剥がされた彼女を守るものはもう何一つとして残っていなかった。
苦し紛れの反撃と言わんばかりに優花は結城を睨みつけた。
「お前はきっと後悔する…お前を理解してくれる人間なんてこの先一人として出てこない。私が最後だったんだ!」
その言葉が結城の心にぐさりと音を立てて突き刺さった。体を無数の針で刺されるような痛みが結城を襲う。分かっていても、彼の口からは反論の言葉がでてこなかった。
「…貴方になにが分かるというの」
間に入った結那が口を開いた。思わぬ行動に結城は目を見開く。
「貴方に彼の何が分かるっていうのよ。散々弄んで、ろくに向き合おうともしなかったくせに」
抑え込んでいてもなお震えているその声からは静かな怒りが感じ取れた。優花は今、結城のために言葉の槍を手にしている。
突きつけられた言葉に抗うように優花が叫ぶ。
「それのなにが悪いって言うのよ!騙されるほうが悪いんじゃない!!!」
「…そう。騙される方が悪いのよ」
「…あ…」
結那の言葉の槍は無情にも優花を突き刺した。反論する勢いも失い、彼女の顔は絶望の色に染まっていく。足はガクガクと震え始め、発する言葉を失い、顔は青ざめていく。
「おい、何があった!優花!」
騒ぎを聞きつけてか、担任の教師が駆け寄ってくる。優花の肩を揺さぶるも、彼女からの応答は無い。
担任の教師が優花を回収した頃には彼女の瞳は絶望の色に染まっていた。
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