第28話 露天風呂と肉まん

 ムーア村の村長ゾシーに案内された一行は、二階建ての大きな建物へと着く。

 村長が『村一番の宿』と呼んだそれは、歴史を感じさせる木造建築だが、手入れが行き届いたのかちてはおらず、古びた印象を与えない。

 宿の周囲は他の場所よりも気温が高く、建物の裏から白い湯気が上がっているのが見えた。


「……温泉がき出ているようだな」


 ザガートがボソッと小声でひとごとを言う。


「ほう、お分かりになりますか。おっしゃる通り、ここは温泉宿です」


 魔王の観察眼に村長が感心しながら答える。


「千年の昔、ここは村も何も無い場所でした。ですがここを通りかかった商人が、地熱が高い場所を見つけて、掘ってみたら温泉が湧き出たのです。それで露天風呂を併設した宿屋を建てたら、あっという間に住人が集まってきて村が出来たのです」


 商人が露天風呂を作った事、それが村の成り立ちであった事実を教える。


「ここなら旅の疲れもえる事でしょう。ささ、どうぞ中へとお入り下さい。一週間程度の滞在でしたら、宿代は私が負担しましょう。スライム討伐の報酬だと思って下さって結構です」


 ゾシーはそう言って宿に泊まるよううながす。一行は村長に勧められるがまま建物の中へと入っていく。


  ◇    ◇    ◇


 建物に入ると、玄関のすぐわきにあるカウンターに、店主と思しき頭髪が禿げ上がった五十代の小太りの男性がいる。すでに村長と話は付いているらしく、ニコニコしながら一行を迎える。


 ザガートは男と話をしながら宿の台帳に記入を行い、その間に三人は先に奥へと進んでいく。廊下の突き当たりに『男湯』『女湯』と書かれた木製の引き戸があり、戸を開けると中は脱衣所になっていた。


 なずみはさっさと服を脱いで裸になると、一番乗りと言わんばかりに駆け出す。

 脱衣所の奥にある戸をガラッと開けると、目の前に大きな露天風呂が広がる。ゴツゴツした天然の岩にかこまれたそれは、二十人が入っても余裕がありそうなほど広いスペースだった。


「わぁーーーっ! 二人とも、見て下さい! 露天風呂ッスよ、露天風呂! オイラ、こんな大きいの見たの初めてッス!!」


 少女は興奮気味にはしゃぐと、大声で叫びながら風呂に向かってダイブする。ザッパァーーーンッ! と大きな音が鳴り、大量の水しぶきがビチビチとねる。


「コラ、なずみ! そんな大声ではしゃいだら、他の宿泊客に迷惑が掛かるだろうっ!」


 レジーナが慌てて年少の子供をしかる。常識ある大人の振る舞いをしようとする。


「へーきッスよ、へーきっ! ここに来るまでの間、他の宿泊客なんていなかったッス!」


 王女に怒られても、なずみは全く意にかいさない。気にせずプールのようにザブザブと泳ぎ始めてしまう。完全に興奮して舞い上がっている。

 彼女の言う通り、他に宿泊客の姿は見当たらない。スライムがいたせいで、しばらく村を訪れる旅人がいなかったのだ。


「全く……しょうがない子だ」


 レジーナはやれやれとため息をつくと、服を脱いで全裸になる。脱いだ服と鎧を脱衣所のかごに乗せて露天風呂の前に立つと、足からゆっくり湯船にかる。

 ルシルも彼女の後に続いて全裸になり、眼鏡を外して風呂に入る。


 三人の若い女性が温泉に浸かる。

 なずみは最初こそはしゃいでいたが、泳ぎ疲れたのか顔だけ水面から出して、ドザエモンのようにプカーッと浮かんだまま流される。

 レジーナは心身共にいやされてリラックスしたのか、全身だらんとさせて大股開きで岩に腰掛けたまま、胸元まで湯に浸かる。微妙に『オヤジ臭さ』がある。

 ルシルは両脚を閉じたまま、おしとやかに座る。


 しばらく言葉をわさぬまま風呂を堪能たんのうした三人だったが……。


「……」


 レジーナがけんしわを寄せて渋い表情しながら、ルシルの胸をじっと見る。王女のとなりにいたなずみも同じようにする。

 れたての新鮮な野菜の品定めをするように、二人して真剣な顔付きになる。ムチムチした肉付きの良いオンナの体を眺めながら、王女の口から「ムムムッ」と声が漏れ出す。


「ふ、二人とも何ですかっ! 人の体をジロジロ見出したりなんかしてっ!」


 ルシルは急に恥ずかしくなり、慌てて自分の胸を両手で隠す。彼女の胸はたわわにみのった果実、あるいは肉のスライムと呼ぶべき質感があり、動いた衝撃で弾力あるグミのようにボヨンボヨンと揺れる。


「いや……何でもない。ただ急にメロンが二つ食べたくなっただけだ」


 レジーナが空を眺めながらすっとぼけた顔をする。


「オイラ、肉まんが食いたくなったッス!」


 なずみは食欲が湧き上がった事を告げる。


「もう、二人とも酷いっ! 人の体をメロンだの肉まんだのに例えたりなんかして! あんまりですっ!」


 ルシルが顔を真っ赤にして怒り出す。自分の体を食べ物に例えられた事に、馬鹿にされた気分になる。腹を立てたあまり、仕返しとばかりに風呂の湯を手でバシャバシャと跳ね飛ばして、相手に掛ける。


「うわっ! やめてくれルシルっ! 次からはサーロインステーキか、とりのもも肉に例えるから、どうか許して欲しい!」


 王女が慌てて弁解する。だがルシルの怒りが収まる事は無く、二人はお湯を掛けられ続けた――――。




 五分が経過した頃、ルシルがお湯を掛けるのをやめる。急に疲れたように黙り込んだ後、クスクスと小声で笑い出す。

 レジーナとなずみもつられたように笑う。三人の少女が「ウフフ」「アハハハハ」と大きな声で笑い、場がなごやかな雰囲気に包まれる。これまでの事を水に流す空気になる。


 そうして楽しそうに笑っていたが……。


「それにしてもザガートのヤツ……一体いつになったら、私達をのぞきに来るんだっ!」


 レジーナが突然そんな事を口走る。二人は急に何を言い出すんだとビックリする。


「普通こういう冒険者パーティの女連中が風呂に入ったら、その仲間の若い殿方が覗きに来て、キャッキャウフフでラッキースケベな出来事が起こるものだろう! 城の本棚に置いてあった小説にそう書いてあったぞ! にも関わらず、いつまでっても魔王が覗きに来ないじゃないかっ! これはどういう事だ!!」


 王女は本で読んだ定番のシチュエーションについて力説し、その通りにならない事に憤慨した。れんなイベントが起こると期待したのに、何も起こらなかった事にイラついたようだ。


「もうチンタラ待ってなどおれんッ! 向こうが来ないなら、こっちから敵地に攻め入るのみッ!!」


 覗きに来る気配の無い魔王にしびれを切らし、レジーナが露天風呂の一角にある岩壁によじ登ろうとする。岩の頂上を伝って男湯に行こうともくろむ。

 それほど急な斜面になっていない岩肌を、全裸の女性がガニまたになりながらゴリラのようにヒョイヒョイと登っていく。


「王女様、やめて下さい! はしたないです! うぶっ」

あねさん、やめるッス! これじゃ王女じゃなくてじょッスよ!!」


 二人が慌てて仲間を止めようとする。暴れる王女の足をつかもうとして、顔を何度もゲシゲシと裸足はだしで踏まれた。


「止めるな二人ともッ! 私は何としてもザガートの魔剣ラグナロクを目に焼き付けると、そう心に誓ったのだ! そのためならば、どんな危険もいとわない!!」


 王女が絶対に魔王のイチモツをおがむのだと息巻く。もはや王族としての誇りなど、あさっての方向にぶん投げたようだ。

 仲間の制止を振り払うと、岩壁の頂上に登り、サルのように移動しながら反対側へと移る。

 意気揚々と男湯のスペースに侵入したレジーナだったが……。


「なん……だと!?」


 目に映り込んだ光景にぜんとなる。


 彼女が侵入に成功した時、男湯には誰も入っていなかった。ザガートのモノらしき銀色の毛がプカプカと浮かんでおり、入浴したらしき形跡はあったが、人の影も形も無かった。魔法で姿を消した訳ではなく、本当に誰もいなかったのだ。


 男は風呂に数分ほど浸かった後、さっさと上がっていた。彼の中に女湯を覗こうと思う気持ちなど一ミリも無かった。


「いっ……いないじゃないかぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」


 王女の絶叫が旅館内にこだまする。彼女の声は遠くの森まで響くほど大きく、それを聞いたカラスの群れは化け物の雄叫びか何かと勘違いし、ギャーギャー鳴きながら慌てて飛び去ったという。

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