第4話 魔王救世主

 村に蔓延はびこるオークを『致死風デッドリー・エア』で全滅させたザガートだったが、そこに彼らのリーダーと思しき牛頭の男が現れる。その者はかなりの猛者もさであったらしく、オークを一撃死させた即死魔法も一切通用しない。


「俺の名はミノタウロス……魔王軍の幹部よッ!」


 ザガートの問いに、牛頭の男が誇らしげに答えるのだった。


「そうか……ならばお返しに、こちらも名乗らせて頂こう。ミノタウロスよ、とくとその胸に刻むが良い……俺の名はザガートッ! 異世界から来た魔王なり!!」


 律儀に名乗った相手への礼として、ザガートもまた自らの素性を明かす。


「異世界から来た魔王……だと!?」


 男の名乗りを聞いて、ミノタウロスの表情が一変する。顔には焦りの色が浮かび、ひたいからは滝のように汗が流れ出す。恐怖で体の震えが止まらなくなる。


 男の言葉を虚言だと一笑にすのは簡単だ。ミノタウロスだって、相手の力を見る前に出会ったらそうしたかもしれなかった。

 だが今は違う。自身に効かなかったとはいえ、牛頭はオークが一瞬にして全滅させられたのをこの目で見たのだ。それは男の言葉に十分な説得力を持たせるものだった。


「グヌヌゥ……けしからんッ! この世界において魔王を名乗って良いのは、我らが魔族のかしらたる大魔王アザトホース様、ただお一人ッ! それ以外の者が……ましてや異世界から土足で踏み入った者が、軽々しく名乗って良い肩書きではないッ!!」


 牛頭が大魔王の名を口にしながら、深くいきどおる。けんしわを寄せて、ギリギリと音を立てて歯ぎしりする。目をグワッと見開いた、阿修羅のような怒り顔になる。

 主君に強い忠誠を誓ったがゆえに、主君以外に魔王が存在する事を許せない思いに駆られた。


「そんな事よりミノタウロス、貴様に一つ聞きたい。貴様ら魔族の目的は何だ? 一体何の狙いがあって、人間の村を襲おうとする?」


 牛頭の態度など気にも止めず、ザガートが率直な疑問をぶつける。


 ゼウスが言っていた人間を襲う魔物というのが彼ら魔族である事は間違いない。彼らが対話や交渉によって歩み寄れる存在なのか、否応いやおうなく全滅させるしかない悪魔の集団なのか、それを彼らの目的を知る事によって確かめたかった。


「我らの目的だと? フフッ、知れた事よ! 我ら魔族、すなわち魔王軍の目的……それは人類を根絶やしにする事ッ! 劣等種族たるニンゲンを一人残らずこの世から消し去り、我ら魔族が支配する理想の世界を築く……大魔王オーバーロードは、それをお望みになられたッ!!」


 ミノタウロスが何を今更いまさらと言いたげに鼻で笑いながら、自分たちの目的を明かす。人類との共存はおろか、彼らの従属すら許さず、ただただ蹂躙じゅうりんし、破壊し、虐殺する事……それだけをいちに願う。


「そうか……」


 牛頭の言葉を聞いて、ザガートが残念そうにため息を漏らす。目を閉じて下を向いたまま、やれやれと言いたげに首を左右に振る。

 化け物はしょせん化け物か……そんな考えが頭をよぎる。


「貴様ら魔族の狙いが、人類を根絶やしにする事なら……俺はそれを阻止するがわに回らせてもらうッ!!」


 顔を上げて目を開くと、人類を守る事を高らかに宣言する。


「聞くが良い、ミノタウロスよ……俺の目的は世界の救済者となる事。英雄の名声を足掛かりとして、この世界に俺が支配する新たな王国を築く。そのためにも人類には生きてもらわねばならん……彼らの命は俺が全力で守るッ!!」


 胸の内に秘めたる野望を明かす。世界を救った後に自分の王国を作る事、それを成し遂げるには人類の存在が必要不可欠である事をく。


「人類を守る、だと? ブワハハハッ! 貴様、気でも狂ったか!? ニンゲンを守るために戦う魔王など、そんな話聞いた事も無いわッ!!」


 ミノタウロスが腹を抱えて大笑いする。完全に男の言葉を信じるにあたいしない虚言だと断ずる。


「ザガート、やはり貴様は魔王と呼べるうつわではないッ! しょせん異世界から来たいつわりの魔王ッ! それを今から証明してやるッ!!」


 改めて男を魔王と認めない考えにいたった事を伝えて、全力で倒す決意を固める。話を一方的に打ち切ると、大斧を両手で強く握ったまま男に向かって早足で駆け出す。


「我が斧のさびとなれぇぇぇぇええええええッッ!!」


 近接戦の間合いに入ると、天に向かって高々と振り上げた斧を全力で振り下ろそうとした。

 ブウンッと風を切る音を鳴らしながら迫る巨大な刃を、ザガートは避けようともしない。


「ッ!!」


 ルシルが恐怖のあまり咄嗟とっさに目をつぶる。男の頭が斧でカチ割られた瞬間を見たくない思いに駆られた。


 だが目を閉じた少女の耳に飛び込んだのは、男の悲鳴でもなければ、肉が叩き割られた音でもない。辺りがシーーンと静まり返り、物音一つしない。時折かわいた風がカラカラと吹き抜ける音だけがむなしく鳴る。




 ルシルが恐る恐るまぶたを開くと、予想外の光景が視界に飛び込んできた。


「なん……だと!?」


 ミノタウロスが驚きの言葉を発する。表情は一瞬にして青ざめて、体中に冷や汗をかいて、手足の震えが止まらなくなる。あまりの恐怖に鳥肌が立つ。


 少女の目に映った景色……それは牛頭が振り下ろした斧の刃を、男が素手で止めていたものだった。自分の倍以上ある背丈の大男が振った鉄のかたまりを、それも片手だけで……。


 ミノタウロスは斧を力ずくで前に押し込もうとしたが、いくら腕に力を込めてもビクともしない。まるで山をも超える巨人につかまれてしまったかのようだ。


「俺を魔法しか能の無い男だと思っていたなら、考え違いもはなはだしい……」


 ザガートが斧を手で掴んだままニヤリと笑う。表情に余裕の色が浮かび、完全に相手を見下した強者の態度を取る。


「フンッ!」


 かつを入れるように一声発すると、ミノタウロスを掴んだ斧ごと片手で軽々と持ち上げて、空に向かってポイッと放り投げた。


「ぬおおおおおおっ!!」


 宙に投げ出された牛頭が大きな声で叫ぶ。なかばパニックにおちいりながら必死に手足をバタつかせたものの、どうにもならず重力に任せて落下し、ドスゥゥーーーーンッと音を立てて大地に激突する。その衝撃で村全体が激しく揺れて、大量の砂ぼこりが空に舞い上がる。


「グヌゥゥ……」


 ミノタウロスが悔しげにうなり声を上げながら、ゆっくりと立ち上がる。体中に付いた砂や泥を手でパンパンッと叩いて払いのける。全身を地面に強打した痛みがあったはずだが、深手を負った様子は無い。


「貴様ぁ……よくも……よくもこの俺様に、土を付けてくれたなぁ……この魔王気取りの、ニセモノめがぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーッッ!!」


 地面に投げられた事に牛頭が声に出して激高する。体に受けた痛みよりも、砂を付けられた事に深くいきどおる。戦士として誇りをけがされた思いに駆られて、到底相手を許せない気持ちになる。

 目は真っ赤に血走り、興奮した猛牛のように鼻息を荒くさせて、ひたいにビキビキと血管が浮き出た。


「殺すッ! 絶対に殺すッ! 貴様をバラバラに引き裂いて、見せしめにさらし者としてくれるわぁぁぁぁああああああッ!!」


 死を宣告する言葉を口にすると、斧を地面にぶん投げて素手で突進する。腕を左右に大きく広げて両手をグワッと開いたポーズのまま、相手に掴みかかろうとした。首を絞めようとしたか、力任せに握りつぶそうとしたようだ。


「ゲヘナの火に焼かれて、消しずみとなれッ! 火炎光弾ファイヤー・ボルトッ!!」


 ザガートが敵に右手の人差し指を向けながら魔法を唱える。

 すると男の指先からなしくらいの大きさの煌々こうこうと燃えさかる火の玉が、牛頭に向けて放たれた。

 ミノタウロスに触れた瞬間火球がダイナマイトのように爆発して、彼の全身が一瞬にして炎に包まれる。


「ズギャァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」


 超高熱の炎に体を焼かれた痛みでミノタウロスが絶叫する。死のダンスでも踊るようにジタバタともがき苦しんで暴れたが、やがて力尽きたようにガクッとひざをつく。


「ダッ……大魔王……ザ……マ……」


 無念そうに主君の名を口にすると、地に膝をついたまま息絶えた。

 彼を焼いた炎が鎮火すると、黒焦げの死体だけが残る。その死体も完全に炭化したらしく、一陣の突風が吹き抜けると灰となってボロボロと崩れていく。そのまま風に流されるように跡形もなく散っていった。


「フハハハハッ! 俺の火炎光弾ファイヤー・ボルトは、火炎龍嵐ファイア・ストームのおよそ十倍の火力ッ! 如何いか致死風デッドリー・エアに耐性があろうと、こればかりは耐えられまいッ!!」


 ザガートが腰に手を当てて嬉しそうに高笑いしながら、魔法の威力を得意げに語る。自身の力を見せ付けられた事に心の底から満足した笑みを浮かべて、気分が高揚したあまり鼻歌までうたいだす。


「……」


 勝利の余韻にひたる男を、ルシルが複雑な表情で見つめる。敵の命を奪って残酷に笑う魔王に対する恐怖と、村が救われた喜びとが糸のように絡み合って、何とも言えない心境になる。


 それでも少女は心の何処かで、圧倒的すぎる暴力にかれた気持ち、胸がゾクゾクして全身の細胞が沸き立つ興奮すら覚えた。いけない事をしてしまった時に覚える背徳感にも似る。

 ルシルは自分の中にそんな感情があった事にかすかに戸惑う。


 彼女だけではない。一連のやり取りを彼女と一緒に見ていた村の男性達も恐怖とけいの念を抱く。異世界の魔王と名乗った人物が自分達を救った事に深く困惑する。


「……魔王救世主ダークロード・メサイヤ


 村人の一人が、ふいにそう口にした。

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