第3話 オーク殺すべし

 ルシルとザガートが閑散かんさんとした荒野を歩いていると……。


「ああっ! そんな……」


 ルシルが突然悲鳴を上げて顔面蒼白そうはくになる。

 彼女の視線の先に村があったが、あちこちから火の手が上がっていて、住民の泣き叫ぶ声がこだまする。何らかの危機に見舞われている事を察するには、それだけで十分だった。


 二人が慌てて村の入口まで駆け付けると、武装したモンスターの集団が村を襲っている。


 その者たち、人間の大人より高い背丈をして、力士のように肥え太った体格をしており、露出度の高い軽装の鎧を身にまとう。手にはトゲの付いた金属製の棍棒メイスが握られている。豚の頭をして、ブヒブヒと鳴くけがらわしい獣人……オークと呼ばれる怪物だった。


 オークは視界に入っただけでざっと十匹以上いたが、村の大きさと、村全体に彼らが満遍まんべんなく行き渡っているであろう事からおお雑把ざっぱに計算して、百匹以上いるのではないかと推測できた。


「男ハ殺セッ! 女ハ犯セッ! 金目ノ物ハ全テ奪エッ! ヤツラニ何一ツトシテ残シテヤル事ハ無イッ! 金モ女モ、全テ俺達ノ物ッ! グッヒッヒッヒッヒッ!!」


 彼らのリーダーと思しき一匹が、下品な言葉を口走る。

 オークの群れは特に目標を狙うでもなく、無差別に村を蹂躙じゅうりんする。建物に火をけて棍棒で破壊したり、家の中にある金品や食料を強奪する。女や子供をさらおうとする者もいた。


 村の男性数人が武器を手に取りかんにオークに立ち向かうが、いかんせんが悪い。人間ごときの脆弱ぜいじゃくな腕力が、はがねのように分厚い肉を貫けるはずがなく、棍棒で殴られてゴミのように蹴散らされていく。オークに勝てる者など誰もいない。


「ああっ……」


 惨劇を目の当たりにして、ルシルが絶望に激しく打ちのめされた。生まれ育った故郷が焼かれて村人が殺されていく光景に、深い悲しみに染まる。

 完全に心が折れたように内股になってへたり込む。目にうっすらと涙が浮かんで、今にも泣きそうになる。


「お願いします、ザガート様っ! どうか……どうか村を救って下さい!!」


 やがてわらにもすがる思いで、そばにいる男に助けを求めた。


 虫のいい話だという事は、彼女自身にも分かっていた。今まで散々警戒する態度を見せたのに、自身の村が危機におちいった途端、手のひらを返したように頼ったのだから。断られても仕方ないという思いも、胸の内にはあった。

 でも今はこうするより他に手が無い。何の助けも得られなければ、村人が皆殺しにされるのは確実なのだ。もはやなりふり構ってなどいられない。


「村を救ってくれたら、なっ……何でもしますっ!」


 ……思わずそんな言葉が口をいて出た。

 何の報酬も提示せずにお願いだけするのは虫が良すぎると感じたが、かといって彼女が与えられるものなど何も無い。せめて自分を報酬として差し出すくらいしか思い付かなかった。それで村が救えるなら、いっそ自分はどうなってもいいとさえ思えた。


「何でもする……か。フンッ、悪くはない」


 少女の言葉を聞いて魔王が不敵に笑う。満更まんざらでもなさそうに得意げなドヤ顔になりながら、フフンッと鼻息を吹かせた。


「小娘……いやルシルッ! お前の願い、しかと聞き届けた! 村まで案内してもらった恩もある。受けた恩は必ず返さなければならない……この村は必ず救うと約束しよう!!」


 恰好かっこうを付けるようにマントを右手でバサッと開いて、腕組みしてふんぞり返りながら仁王立ちすると、少女の願いを聞き届ける事を全力で承諾した。初めて人に頼られた事に気を良くしたのか、妙にノリノリだ。


 二人がそうしたやり取りをしていると、群れの先頭にいた一匹のオークが彼らの方へと近付いてくる。


「オイ、ソコノツノエタ オ前ッ! 俺達ト同ジ魔族ダロウ! ダッタラ一緒ニ村ヲ破壊シヨウゼ! ナンナラ、ソコニイル巨乳ノ姉チャンヲ二人デ犯ソウゼッ! ブッヒッヒッヒッヒッ!!」


 ザガートを同族とみなして、破壊活動に加わるよう誘いを掛けた。フゴフゴと興奮するように鼻息を荒くして、口からはダラダラとよだれらす。呼吸するたびに豚の臭い息が男の顔に掛かる。

 ゴブリンと比べて友好的ではあったが、やはり品性下劣な化け物だという印象に変わりはない。


「……仲間ではない」


 ザガートがボソッと小声でつぶやく。貴様らと一緒にするなと言いたげに、あからさまに不快感を抱いているのが伝わる。


みにくいオーク共、貴様らの腐った脳みそでも理解できるように、親切に自己紹介してやる! 我が名はザガートッ! 異世界から舞い降りた魔王なり!!」


 正面に右手をかざすと、自分が異界の魔王である事を高らかに宣言してみせた。


「ハァ? 異世界カラ来タ魔王? チョットオ前、ナニ言ッテ……」


 オークは男の言っている意味が全く理解できず、チンプンカンプンになりながら首をかしげた。完全に相手の頭がおかしくなったと思っている。


「地より生まれし者腐れ落ち、大地にかえらん……致死風デッドリー・エアッ!!」


 困惑する豚頭を無視してザガートが攻撃魔法を唱える。

 魔法名を口にした途端、男の手から黒い霧のようなもやが放たれて、オークにまとわり付く。


「ウッ……ウギャァァァァアアアアアアーーーーーーッッ!!」


 豚頭の口から、この世の終わりと思えるほどの絶叫が放たれた。

 黒い霧に触れた途端、オークの体が強酸に触れたようにドロドロに溶かされていき、みるみるうちに皮膚も内蔵も溶け落ちて骨だけになる。肉が溶けた液体は瞬時に蒸発して、後には肉片も残らない。


 黒い霧は次々に他のオークへと襲いかかって、村中に魔物の悲鳴が響き渡る。

 やがて数分とたないうちに、百匹ほどいたオーク全てが白骨死体に変えられた。



 致死風デッドリー・エア……それは魔法耐性の低い下級モンスターを確実に死へと追いやる、悪魔の呪法。

 黒い霧の正体は、有機物を高速で分解する空気感染型バクテリアの集合体であり、一度触れたら逃れるすべは無い。

 効果は村全体に及ぶが、術者が明確に敵と認識した者のみを襲い、村人には一切被害を及ぼさない。

 まさに『れいな殺戮』を行う魔法と呼べるものだ。



「………」


 オークが惨殺されていくさまを、ルシルが無言で見届けた。

 ゴブリンの時は恐怖で足がすくんだものの、二度目だけあってさほど大きな驚きは無い。体が溶かされる苦痛でもがいて死んだ彼らをあわれむ感情が全く無かったわけではないが、それでも村が救われて良かったと安堵する気持ちの方が大きかった。


 ザガートが敵でなくて良かった……心底そう思わずにいられない。


「おおルシル、無事だったか!」


 ルシルが物思いにふけて立ち尽くしていると、村の男性数人が彼女の元へと集まってくる。村を守るためにオークと戦った者達の生き残りだ。


「あの方が、私の命を助けてくれて……」


 少女がそう言いながら魔王を指差した時、突然ドスンドスンッと大きな音が鳴る。

 村の奥の方から、大きな人影がザガート達に向かって歩いてくる。よほど重量があるのか、歩くたびに村全体が揺れんばかりの地響きが鳴る。


 その人型の怪物は背丈四メートルほどあり、引き締まった屈強な体付きをしている。上半身は裸だが下半身は毛で覆われており、皮膚は赤茶色に染まる。手には両手で振り回すタイプの大斧が握られていて、首から上には牛の頭が付いていた。

 いくの修羅場をくぐり抜けた猛者もさのような精悍な顔付きをしており、オークより知能が高そうに見えた。


 黒い霧が牛頭の男にまとわり付いたが、何度触れても男の体を分解できない。


「フンッ!」


 逆に男が鼻息を吹かせながら斧をぶん回すと、それにより巻き起こった突風が霧を吹き飛ばしてしまう。


(ほう……致死風デッドリー・エアが通用せんとは。どうやら、それなりに骨のある魔物が出てきたようだな)


 黒い霧に打ち勝てた相手の強さにザガートが深く感心する。これまで殺してきたザコとの格の違いを見せ付けられて、思わず声に出してうなる。


「そこの頭にツノが生えた男……貴様が、俺の部下をやったのかッ!」


 あごに手を当てて考え込んでいた魔王に、牛頭の男が問いかけた。村を襲った魔物のリーダーであったらしく、部下を全滅させられた事に激しくいきどおる。


「いかにも……貴様こそ、さぞかし名のある魔物とお見受けした。名を聞こうか」


 ザガートは全く恐れる事なく、冷静な口調で相手の名を問う。

 魔王の問いに、牛頭の男が自信ありげにニヤリと笑う。


「俺の名はミノタウロス……魔王軍の幹部よッ!」

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