ダメ人間量産型お嬢様

染谷市太郎

だってお前が

 ライブハウスで音と光、そして熱狂の中心に立つ男。その姿を幸里は一心にみつめていた。

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いで世間の注目を集めるロックバンド、そのリーダーであるレンは全身を使ってギターをかき鳴らし声を震わせる。曲に乗り熱のこもった視線を観客に向ければ、ファンの女の子たちは黄色い声を上げる。

 だがレンの視線は観客を通り越し、その向こう、機材やスタッフに紛れて立つ幸里を貫いた。

「あ……!」

 息をのんだ瞬間、男はにやりと口角を上げる。その計算したようなパフォーマンスに幸里はぎゅっと胸の前で手を握った。その仕草や服装は落ち着いた品があり、ライブハウスでは浮いていた。

 だが、このライブハウスを取り巻く熱狂の中心であるレンにとって、誰よりも一番のファンであると幸里は自負していた。

 なぜならその証拠に彼女は、誰よりもレンの近くで応援し彼を支えている恋人であるのだから。


 最後の曲が終わり、挨拶を残した後、レンは舞台裏に消えた。

 それに合わせて幸里もライブハウスの裏口に向かう。足早に向かうその体はライブの興奮とこれからの期待で鼓動が高ぶっていた。

「ふふっ」

 思わず笑みもこぼれる。だって今日は、幸里にとってレンと結ばれた日であり、そしてレンにとって最も喜ばしい日になるのだから。

 ライブハウスの裏口はすぐそこだ。ドアの前で、彼の背中を見つけた。

「レ……っ」

 駆け寄ろうとした幸里は、しかし呼び声を喉奥に引き止めた。とっさに物陰に隠れてしまう。

 喜ばしさは鳴りを潜め、今度は緊張で心臓が破裂しそうだった。


「嬉しいよ、今日は記念日だ」

 幸里の視線の先、レンの言葉は幸里には向けられていなかった。

 その言葉と視線は、幸里ではない女の子に向けられていた。ライブハウスの雰囲気によく似合った、まるで雑誌のモデルのようなオシャレな女の子。彼女もレンのファンだ。

 レンはついには女の子の肩を抱き、体温が感じられるくらいの距離で体を近づける。

 そして、女の子の耳元で彼女にしかわからない声量で囁いた。何を言ったのかなんて聞こえなくてもわかる。いっぺんに喜色に満ちた女の子の肩を抱いたまま、レンは裏口に消えた。




「それで、追いかけなかったの?」

 友人の言葉に幸里はこくりと静かにうなずいた。

 そのしおらしさに、困ったものね、と幸里の友人は額を抑える。

 レンの浮気現場を前に、幸里はどうすることもできず、ただ一番親しい友人の家に転がり込むしかなかった。

 家には帰れない。なぜなら、幸里はレンと同棲していて、そして、レンは必ずその家に浮気相手を連れ込むからだ。

「さっさと切りなよ、彼女の家をラブホ代わりにしてる不貞野郎なんて」

 と強い言葉を使いながらも、友人は幸里の前にカモミールティーを差し出した。

「……ごめんね」

 眉を下げる幸里に、友人は盛大に大きなため息を吐く。

「あんたが謝ることじゃないでしょ」

 でも、と友人は言葉を切る。

「あんた、一生あのヒモ男の財布になるつもり?」

「レンくんはヒモなんかじゃ……ちゃんとお仕事しているし……」

「仕事?! ロックバンドなんてどうせライブハウスでギター弾いて十代の女の子にちやほやされてるだけでしょ?」

「あぅ」

「だいたい同棲してる部屋の家賃あんたが出して、生活費もあんた持ち、そのうえ家事もあんたがやって、ついでにお小遣いも渡して?! なんだったらバンドの活動費もあんたが出資してる!

しかも! そうやって世話してるあんたのことを顧みず、同棲してるマンションに浮気相手を連れ込んでる!!

これがヒモ男の不貞野郎じゃなければ一体何なのよ!!!」

「へぅ」

 まくしたてる友人に、幸里はなおさら肩をすぼめた。

「まったく……」

 友人は縮こまる幸里を前にこめかみを揉んだ。


 だいたい、あのヒモ男も悪いが、幸里も幸里で問題がある。

 第一に幸里は裕福だ。金を持ちすぎている。

 実家が太い上に本人もそこそこの給料をもらっているため、自分ともう一人を養うことは簡単だ。

 その上彼女は、金銭感覚と奉仕精神の蛇口がバカになっている。

 散財癖があるというわけではない。むしろ貯蓄はするほうだ。いわゆるお嬢様だというのに家事全般を完璧にこなせるし、物持ちもいい。

 だが反面、ここぞというときに思い切り財布の紐を緩めてしまう。

 例えば、募金箱に財布の中身を全て突っ込んだこともあるし、おいしかったからとクラスメイトに単価千円のお菓子を配ったこともある。クラウドファンディングを聞きつければ目標金額を丸ごといれ、気に入った企業があれば筆頭株主になり、好きな作家にはファンレターと共に小切手を郵送した。


「幸里、あんたほんとにこのまんまでいいと思ってるわけ?」

「……でも、レンくんはやさしいし、かっこいいし、それに今度こそはちゃんと最後まで頑張ってくれるかもしれないから」

「まだそんなこと言ってんの」

「レンくんの夢は世界一のロックスターになることなの。私、レンくんのパフォーマンス好きだもの。だから応援したいんだ」

「夢ねえ……最後までそいつが夢を追い続けるのか。最後まであんたが応援をし続けるのか。どっちの寿命が長いのか」

「もちろん。私は最後まで応援するよ」

 にこりと微笑んだ幸里の言葉に嘘偽りはない。

「ごめんね、お話聞いてもらって」

「また帰るの?」

「うん、そろそろ大丈夫だと思うから」

 てきぱきと帰り支度を済ませた幸里の背中に友人はこぼした。

「今度はもつといいけど」




 幸里のマンションはライブハウスから程近い。

 玄関ドアの前に立ち、深呼吸をしてなんでもない顔を作る。

「よし!」

 手を掛けようとしたドアノブはしかし、内側から勢いよく捻られ、玄関ドアは壊れてしまうのかというくらいに開け放たれた。

「糞野郎がッ!」

 汚い言葉を吐いて飛び出したのは、あの女の子だった。出会い頭に幸里にぶつかる。涙をたたえた目がそのまま走り去った。

 幸里はそろそろと静かに部屋のなかにはいった。

 リビングに顔を出せば、ソファーに体を沈めるレンの姿があった。

 上裸ではあるが、情事の後ではないと幸里にもわかる。シャワーを浴びたあとが残っていた。

 アルコールの入ったグラスを握りしめ、レンはゆっくりと幸里へ顔を向ける。

「レンくん、また女の子を泣かせたのね」

 幸里が責めるのは、不貞よりも女の子のことだった。

 連れ込んでその気にさせたはいいものの、結局レンは女の子に対しキスのひとつもくれてやらなかったのだろう。そして手のひらを返したような言葉を投げ掛け、女の子を怒らせた。

 その流れが幸里には手に取るようにわかった。

「てめえ、どこ行ってやがったんだよ」

 だがレンはそんなことはどうでもいいとばかりだ。

「お友だちのところ」

「男か」

「女の子。高校の頃からのお友だち。レンくんも会ったことあるでしょう?」

「知らねえ」

 苛立たしそうにローテーブルにグラスを叩きつけた。

「俺に断りもなく勝手なとこ行くんじゃねえよ! 俺があんな安い女に本気になるとでも思ってんのか?!」

「そんなことないよ……ごめんね」

 頭をかきむしりながらガンガンと声を響かせるレン。そのプロとしての声量を真正面で間近に浴びながら、幸里はそっと手を伸ばした。

「レンくんはトップスターだものね」

 幸里はレンの大きな手に重ねる。その体温に力を緩めたレンは、しかし頭をふりかぶって離れた。


「ふざけんじゃねえ! ふざけてんじゃねえぞおい!!」

 レンは暗い目で幸里を睨んだ。

「プロ? トップスター? 全部お膳立てしておいてふざけたこと抜かしてんじゃねえよ! 全部お前が用意したものだ。全部。俺の立場も、功績も、何もかも!」

 このマンションも、揃えられた家具も、服も、何もかも幸里の金で成り立っている。

 そして、レンのバンド活動も。

 その功績は全て幸里の人脈と金ありきだ。

「だから怒ってるの?」

 幸里はレンを優しく撫でた。

「でも、私は力を貸しただけ。今のレンくんは、レンくんの実力だよ」

「っ……」

 レンは反論しようとも、幸里の嘘のない目を見て言葉が喉を通らなかった。

「レンくんはこの世で唯一の存在だよ」

 幸里はレンを抱き締める。まるで怖がる子供をあやすように。

 レンは震えながら、幸里の細い手を振りほどけなかった。

「ライブで歌ってるときはいい。なにも考えがなくなるから、なにも疑うこともねえ。

だけど、舞台から降りたとたん、目の前にあった全部がハリボテになる。俺はお前の手の上で踊らされてるんじゃないかって、本当にそうだったらいいのにって」

「私はレンくんが全力で歌えれば、それでいいもの」

「そうだ、お前はそう言う。お前はそうやって、きれいなままだ。

女に手を出して、お前に怒られるんじゃないかと思って安心して、けどお前はなにも言わずに許すんだって思い出してぞっとした」

「私はレンくんが夢を追ってくれればいいもの」

「嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

なあ、ちゃんと怒ってくれよ。

俺が浮気するなって、他の女といるなって、甘えるなって、お前を見てろって。

なあ、怖いんだ。俺は、このままお前といたらダメになる。ダメになるのに、なのに離れられねえ」

 だって、離れたらどうなる。幸里のお膳立てのない自分にどんな価値がある。嘘だとしても、一度でも味わってしまえば、手放せるはずがなかった。

 例えば、彼女が支援した者たちはどうなった。

 例えば、財布の中身を全て突っ込まれた慈善団体は募金の集金力を過信して金策を誤った。

 単価千円のお菓子を配られたクラスメイトは舌が肥えて菓子が食べれなくなった。

 クラウドファンディングは金を持ち逃げされた。

 筆頭株主になった企業は他の株主の言葉を聞かなくなった。

 小切手を送られた作家は小説を書くことを辞めた。

 そうやって、幸里の支援でどれだけの人間たちが腐り果てたか。満たされ過ぎた資源は夢への渇望を諦めさせる。

 そして夢を追わなくなった者に幸里は興味を無くす。

 梯子を外されたものたちが落ちるのはどこまでも深いどん底だ。甘やかされ過ぎて、這い上がる方法も忘れてしまったどん底。

 そこには落ちたくない。そのためには、幸里の甘く溢れる愛に曝され、自立心を腐らせながら、夢というものを追い続けなければならない。

「もうやめてくれ」

「大丈夫だよ」

 レンの叫びを幸里の甘く優しい声が包む。

「私はちゃんと、レンくんのことが大好きだから」


「だから、ちゃんと頑張ってね」

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ダメ人間量産型お嬢様 染谷市太郎 @someyaititarou

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