第55話 穢れの狩人エヴァン 6
「……エヴァン……」
システィナは込み上げてくる想いを隠しきれずに、まつ毛を小さく震わせながら、杖を構える。
アリアは剣を構え、地面を蹴った。
真紅の花弁を舞い散らせながら、エヴァンへと駆け寄っていく。
異形の腕による一撃を躱し、接近。肉薄。アリアが頭上から縦に振り下ろした剣を紙一重で回避したエヴァンは、反転する勢いで強烈な蹴りを放つ。
「うあっ!」
アリアは蹴りを受け、弾き飛ばされた。
衝撃で舞い上がる紅の花弁に紛れて、入れ替わるように槍を構えたルイスが姿を現す。
激突――交差する槍と鉈剣が、甲高い金属音をかき鳴らした。
「貴公……まだ戦い続けようというのか。その命と引き換えにしてまでも」
エヴァンは答えない。だが引かず、ルイスとの鍔迫り合いを続ける。
「この、わからず屋め!」
体はもう限界に近いはずのルイスが、このとき初めてエヴァンに競り勝った。
鉈剣を押し返されたエヴァンは、体勢を崩しながら後退する。
それは大きな隙であったが、ルイスには追撃する余力がなく、膝をつく。
代わりにシスティナの魔術がエヴァンに向けられる。
ごめんなさい。
システィナの唇が小さく動いた。
追尾し、炸裂した魔力が、舞い散った真紅の花弁を青い光で照らす。
「ぐっ!」
魔力の矢が着弾したのは異形の怪物のほうであったが、怪物へのダメージはエヴァンにも伝わる。
そこへふたたび、アリアが踏み込んだ。
横薙ぎに振るった
技量は圧倒的に相手のほうが上のはずだが、穢れに飲まれ、正気を失いかけているエヴァンの動きは先ほどまでの技のキレがない。
それでも片腕でアリアの攻撃を捌いているのだから、彼の力量は底が知れなかった。
さらに。エヴァンには左腕から生み出された穢れの怪異の力もある。
エヴァンは重心を移動させてアリアの剣を押し返すと、異形の腕を左右に二度振るった。
アリアは一発目はなんとか避けるが、二発目を胴に受けて薙ぎ払われる。
この一撃で内臓をやられたらしく、アリアは咳き込むと同時に血を吐き出した。
起き上がれないアリアをカバーするためにシスティナが魔術を行使しようとすると。
かしゅん!
右手の武器をクロスボウに持ち替えたエヴァンが、すでに
「――あっ」
鮮血が、真紅の花弁とともに舞う。
太矢は不意を突かれたシスティナの腹部を深く貫いていた。
よろめき、後退しながら、システィナはそれでも歯を食いしばって踏みとどまる。
「……生きたいと、願ってしまったから……」
こんな痛みで、倒れるわけにはいかない。
システィナは杖を両手で強く握って、魔術の呪文を唱える。
「アウラよ。万象たるマナよ、形あるものすべてを貫け。
システィナの杖の先端が青く光り輝き、大きく、太く、強力な魔力弾がそこから発射された。
エヴァンは穢れの怪異が持つ異形の腕によって防ごうとしたが、凄まじい魔力の槍を押し止めることはできず、怪物の体を焼きながら貫通。
月と花の真紅を照らす青い光が、エヴァンへと届いた。
「ぐおおっ!」
高密度の魔力の直撃を受けたエヴァンが、がくりと膝をつき、倒れる。
異形の腕によって威力を軽減したとはいえ、システィナの持つもっとも威力の高い魔術をその身に受けて無事で済むはずがない。
だが。
それでもエヴァンは立ち上がった。
魔力の槍によって焼かれた傷が塞がっていき、代わりに全身の痣が増える。
穢れが進行していく。
「まだ、やるというのか……貴公!」ルイスが悲痛な声で叫ぶ。「このままでは、本当に戻って来れなくなるぞ……!」
辺りは暗く、エヴァンの目元は影となってよく見えない。
しかしその口元には、かすかに笑みを浮かべているのが見えた。
「構わない……」
エヴァンは言った。その声は今までよりもさらに低く、かすれていた。
「それでも俺は、役目を果たす。……彼女を殺す」
「……馬鹿野郎!」
ルイスは槍を支えに立ち上がった。
アリアも。悲しみを押し殺して、立ち上がった。
まったく、本当に困った人だ。
だけど、悲しみを終わらせるにはこれしかないから。
エヴァンは手に持っていた鉈剣を地面に落とした。
その無事だったはずの右腕までが、異形へと変わっていく。闇の中で、彼の目が赤く爛々と輝く。
「がぁぁ!」
獣のような声をあげて、エヴァンが襲いかかってくる。
それは恐ろしく強大であるが、彼が正気だった頃に発していたほどの重圧はない。
「エヴァン!」
アリアは応戦した。
傷だらけで血に染まったルイスとシスティナも、最後の力を振り絞る。
その二人をフォローするために、アリアは何度も異形化したエヴァンからの攻撃を受け、吹き飛ばされ、泥を被る。
だが、倒れない。
ここで倒れたら、本当に悲しい結末しか待っていないから。
穢れに蝕まれ、ダムドとなってほとんど正気を失っているエヴァン。
――打ち倒し、トドメを刺さなくてはならないのだろうか。
アリアは以前、同じようにダムドになった人物と出会ったことがある。そのときはトロイという、アリアの弟の晴人によく似た青年が、ダムド化した人間に引導を渡したのだ。
今度は、アリアが。
同じことをしなければならない。
できるだろうか。エヴァンを。
短い間だけど、お世話になった彼を。
この手で。
「フェリシアアアッ!!」
怪物の左腕が、異形の右腕が周囲を薙ぐたびに、生き残ったクォーツの花が散り、地面に積もった花弁が舞い上がる。
闇の中を紅の花弁が舞い踊る。
「
炸裂する青い光が辺りを照らす。
その爆発に紛れて、ルイスの槍が左腕とつながった穢れの怪異を貫いた。
「アリア、いまだ!」
無防備になったエヴァンへとアリアは疾駆して距離を詰める。
少女が振るう剣を、男の異形の爪が弾く。
一瞬のうちに爪と剣が何度も打ち合わされ、少しずつ少女の剣が男を追い込んでいく。
爪と剣では刃の長さが違う上に、左腕が怪異とつながっている今、懐に入られた男は右腕しか使えない。いくら彼が人間離れした身体能力を有していようと、タカが外れた強さであろうと、少女の剣を受け続けるのは無理があった。
アリアの剣が、エヴァンの右腕を深々と斬り裂く。
ルイスの槍とシスティナの魔術が、エヴァンの左腕の異形の怪異へと叩き込まれる。
そして返す刀、魔力を込めて光りを放ったアリアの剣が、エヴァンの胸元へと突き刺さった。
「――がはっ」
悲しみを振り切るように、アリアが剣を引き抜くと。
エヴァンはドス黒い血を吐き出しながら――仰向けにどうと地面に倒れた。
ひらり、ひらりと――。
天に舞上った真紅の花弁が、降り注いでくる。
戦いの果て、地に倒れた男の前で、アリアは膝をついた。
「エヴァン……」
黒い霧が男の体から溢れ、夜空へと上っていく。
ダムドとなった彼の体が、霧となって消えようとしているのだ。
「そうか……終わったんだな……」
夜の静寂に。
ルイスとシスティナの二人が駆け寄ってくる足音が響く。
「貴公……。責任を取るためとはいえ、こんな道しかなかったのか……?」
言葉を返そうとしたエヴァンが小さく咳き込み、黒い血を吐いた。
「そうだな……だが、俺にはこの方法しか思いつかなかった……光など、何も、見えなかった」
ルイスは拳を握り締め、声を震わせる。
「……貴公はそれでいいかもしれない。だが……。システィナにはこの先、貴公のような存在が必要だ……必要、だった……。なのに……」
エヴァンはわずかに瞼を伏せて。
「そうか……」
ルイスはそれ以上、何も言わなかった。眉を寄せ、歯噛みしながら顔を背ける。
システィナは、倒れているエヴァンに覆い被さって。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……」
何度も謝罪する。
そんなシスティナの震える背に、エヴァンはそっと腕を回した。
「システィナ……」
「……はい」
「いい友を持ったな」
驚きに見開いたシスティナの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「お
「……ああ」
エヴァンは小さく笑みを浮かべると、ベルトポーチからロケットペンダントをシスティナに手渡す。
「フェリシアの……形見だ」
「お義母さんの……」
「システィナ……生きろ。……どんな過去だろうと、乗り越えて…………俺のようにはなるな……」
システィナはかぶりを振った。
「できない……そんなこと……」
わたしはそんなに、強くないから。
「……大丈夫だ……お前には……友が……」
そのとき。
エヴァンから湧き上がる黒い霧が、
風が吹き、真紅の花弁たちを巻き込みながら。
瘴気の竜巻が、アリアたちの目の前に立ち上った。
「なに……? これは……!」
途端、エヴァンはうめき声を上げながら、地面を転がるようにして悶えた。
「――ぐおお!」
「エヴァン!」
「ぐ……穢れの力が……抑えられない。……お前たち、今すぐここから離れろ……!」
黒い瘴気の渦が、いっそう激しくなる。
エヴァンの体がその渦に飲まれていき、姿を変えていく。
その肩の肉がやぶれ、ねじれあった
漆黒の稲光が辺りに撒き散らされた。
「鎮まれ……! お前は俺とともに滅びるんだ。メムシス……!」
エヴァンは抵抗するも、その体は異形へと姿を変えていくのを止めることができない。
虚空から、月の見える夜空から、あるいは遥か上位の空間から、声が響き渡る。
『このような結末など、我は認めぬ。……安寧の死などは存在しない。穢れに塗れた不滅あれ……!』
重い。
その声の重圧に押しつぶされるように、アリアが、システィナが、ルイスが膝をついた。
「これがお前の呪いか……不死神カカロス!」
真紅の花弁が瘴気の奔流によって飲まれていき、体中が激しく痺れるような衝撃と地響きが巻き起こる。
そして雷鳴が轟き、ほとばしる稲妻とともに
――異形が、姿を現した。
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