第54話 穢れの狩人エヴァン 5

 死ぬことのない呪い。

 目的を果たすか、その身がダムドとなるまで。


「それが、不死新カカロスとの契約だ」


 不死なる力には、当然ながら代償があるのだろう。

 すでにエヴァンの体は、穢れの毒によってひどく蝕まれている。

 もしも、死に瀕するたびに、その身に穢れが蓄積していくとしたら。いずれ人ならざるもの「ダムド」となることは避けられない。


 悲痛な面持ちで、ルイスは言う。


「貴公……よこしまなる神と契りを交わしたのか……!」


 その問いに、エヴァンは答えることはなかった。


 代わりに異形の左腕を振り上げる。

 月に届けとばかりに、高く。

 左腕に繋がれた、穢れの怪異メムシスが吠える。虚ろな口腔で。くぐもった音で。


「行くぞ……!」


 高く振り上げた、メムシスの腕が振り下ろされる。


 アリアとルイスは二人同時に飛び退くことで、異形の腕を避ける。


 クォーツの花が散り、真紅の花弁が辺りに舞う。


「もう……やめて……ください」


 消え入りそうなほど儚い。でも、戦いの中でありながら、よく通る声でシスティナが言った。


「アリアも、ルイスさんも……あなた・・・も……もうこれ以上、傷つかないで欲しい……」


 無言でシスティナを見つめるエヴァンの瞳は熱に浮かされたように焦点が合わないが、しかし眼光だけは鋭い。

 それはシスティナへの決別を意味する強い意思であり、自らを蝕む穢れの呪いに耐えている苦悶の表情のようでもあった。


 エヴァンとシスティナ。互いに望まぬ宿命を受け入れ、悲痛な決意を抱えている。


 でも。

 だからこそ。


 わかってしまった。

 彼の、本当の望みに――。


「だから……わたしは……」


 システィナの言いかけた言葉を、アリアがさえぎる。


「システィナ!」


 びくんと肩を震わせて、少女は言葉を飲み込んだ。


「あなたは、どうしたいの……?」


 聞かなくてはならない。

 そして、彼に伝えなければならない――。


「それは――」

「教えて、あなたの本当の願いを」


 システィナはうつむいて、瞳を震わせる。

 その言葉を口にすること自体が罪だというように。


「言って……!」


 アリアが切実な声を絞り出すと。

 やがて、張り詰めた弦が切れるように。こらえることができなくなったシスティナが、言葉をこぼした。


「わたしは……生きたいです。アリアと……これからも、生きていたいです……っ!」


 すると、気のせいかもしれないけど――。戦いの中で、エヴァンが小さく笑みを浮かべたような気がした。


「でも、アリア……やっぱりこのままじゃ……」

「いいんだよ、システィナ。私はあなたのために戦う覚悟はできてる。たぶんルイスも」

「……当然だ」


 弱ってはいたが、それでも迷いなく言い切るルイスの声が心強かった。


「エヴァン……あなたは?」


 システィナを殺すことが目的であることはもちろん知っているが、大事なのはその奥にある真意だ。

 それを確かめずに、戦うことなんてできない。これが殺し合いであるなら、なおさらだ。


「教えて。あなたは、本当はどうしたいの?」


 たとえ、これが最後になってもいい。

 そう願うアリアの必死な呼びかけに、エヴァンは戦いの手を止めた。


「俺は……」


 少し間を置いたあと、おもむろにエヴァンは口を開いた。




 二年前のことだった。

 あの日、クォーツ村は壊滅した。たった一人の少女の手によって。




 炎を上げて崩れ落ちる瓦礫の中からフェリシアを助け出したエヴァンは、村を襲う穢れの怪異との戦いに身を投げ出した。

 この町を守る自警団の長として、村を襲う怪物を倒さなくてはならない。そして何より、システィナの育ての親として、怪物に捕らえられた彼女を救わなければならない。


 怪物の、目につくものすべてを破壊せんと伸びる無数の触手は、いくら斬り払ってもキリがなかった。


 徐々に劣勢になり。やがてエヴァンの体は怪物の巨大な腕によって鷲掴みにされてしまう。


「くそ……!」


 穢れの怪異の腕の力は強く、いくらもがいても抜け出すことはできない。それどころか、このままでは体が押し潰されてしまう。

 怪物が、倒れているフェリシアへと目を向ける。

 彼女の良質な魔力に引き寄せられ、それを喰らうべき獲物と判断したのだろう。

 無数の触手によって自警団たちを蹴散らしながら。動けないフェリシアに、怪物は腕を伸ばしていく。


「や、やめろ……!」


 エヴァンが悲痛な声を上げたとき。

 触手の群れの中央に捕らえられていたシスティナの体が光に包まれた。

 溢れ出る強大な魔力。それが青い稲妻となって、辺りにほとばしる。


(これは……!)


 魔力の奔流は、暁天へと向けて湧き上がった。

 爆発するように巻き起こる巨大な青の光柱は、穢れの怪異を飲み込んで焼き尽くしていく。

 巻き込まれる直前に解放されたエヴァンは、赤い炎が燃え上がる地面に投げ出されながら、転がるようにしてそこから離れた。

 そして背後を振り返ると、そこには。


(光の……竜、だと……!)


 一対の翼に四本の脚、鋭い歯の並んだ大顎に、力強い角――竜だ。

 青い魔力で生み出された巨大な竜が、そこに顕現し、暴れ回っていた。

 目につくものすべてを破壊しようと、逃げ惑う人々を相手に稲妻をまとった爪や牙を振るい、青く燃える吐息ブレスを吐き出して焼き尽くす。


 少女が、うわごとのように言葉をつづる。



「たすけなきゃ……わたしが……」


 システィナ。光の竜を顕現させているのは、暴走する彼女の魔力だ。


「落ち着けシスティナ! 魔物はもういない! 終わったんだ!」


 呼びかけにも反応せず、光の竜は暴れ続ける。すさまじい魔力の奔流にとても近づくことができない。

 竜がその顎を開き、蒼い光線で薙ぎ払うと、村中から赤い火の手が上がる。

 その光と火に村人たちは次々と巻き込まれ、命を落としていく。


 やめてくれ。

 もう、やめるんだ――。


 突然の惨事に混乱する中、エヴァンが祈るようにつぶやいていると、青と赤の炎の中を進む人影が見えた。

 全身を血に染めた、ボロボロのその姿は、エヴァンの愛する人である、魔女フェリシアだ。


 その姿を見たシスティナは、頭を抱えながら苦痛を訴えるように悶え始める。

 光の竜がさらに激しく暴れて、とても近づける状態ではなくなった。


「こうなってしまったのは、すべて私の責任……」


 蒼い光の奔流が吹き荒ぶ中、フェリシアは魔力の障壁を作って身を守りながら、システィナへと近づいていく。


 やめろ。

 ――声が出ない。

 危険だ。頼む、戻ってきてくれ。


「……私とあなたの、背負うべき罪です」


 魔女が告げる。傷だらけになってもなお輝く美貌と声。

 そんな彼女を、暴れ回る光の竜の前脚が弾き飛ばした。


「――ェリシア!!」


 炎の中に叩きつけられたフェリシアは、血を吐きながらも立ち上がり、その強大な魔力を解放した。

 血のつながっていない母と娘。わずかに色合いの違う、二つの蒼光が激しくぶつかり合う。

 フェリシアの魔力とシスティナの光の竜が鍔迫り合うように互いに力を相殺する。


「システィナ……かならず私があなたを助ける……たとえこの身が朽ちても、あなたに呪いをかけることになっても……」


 魔女は少女へと手を伸ばした。

 そして。育ての母として、これまで何度もそうしてきたように、システィナの体を優しく抱きしめる。

 その身が魔力の光によって焼かれていくのもいとわずに。


「やめるんだ……このままでは、死ぬぞ!」


 煙と炎に炙られてかすれた声は、果たしてフェリシアに届いたのか。

 魔女は、エヴァンに微笑みかける。




 そのとき思い出したのは、幸せだったかつての日々だった。

 無愛想な男を愛して、ときに笑顔をくれた優しい少女。

 ともに旅をする中で愛しあい、結ばれ、クォーツ村に住むようになってからも、長く同じ時を過ごした、たった一人の存在。




「私は、あなたに呪いをかけます。これから起こる悲劇が、最小限に止まるように。……あなたが背負うべき咎として、その大きな魔力を、あなたの中に封じ込めます」


 フェリシアがシスティナを抱きしめ続ける。その身を蒼い炎で焼かれながら。

 魔女の鎖によって光の竜は縛られ、もがき狂いながらも、その姿が徐々じょじょに薄れていき、やがて砕け散るようにして光の竜はかき消えた。

 魔女と少女は、互いに抱き合ったまま倒れる。


「フェリシア……! システィナ……!」


 エヴァンは血を吐きながら、這うようにして二人のもとへと近づいた。


 システィナは胸を上下させて、弱々しく呼吸をしていた。気を失っているだけで、どうやら無事らしい。


 だがフェリシアは――。


「フェリシア……目を開けてくれ、フェリシア!」


 この炎の中にありながらも、抱きしめた体からは体温が少しずつ失われていく。

 エヴァンはかすれた声で、天に向かって慟哭を上げた。




 炎が届かない安全な場所にシスティナを。

 そこから見えない位置にフェリシアの亡骸を置いて、エヴァンは村の中を見て回った。


「誰か! 誰かいないのか!?」


 返事が返ってくることはない。あの光の竜は、目に映る命すべてを壊して回ったのか。

 村から逃げおおせた者がいるかも定かではないが、少なくとも村の中には生存者はいないようだった。


「なぜ……こんなことが……」


 村を一周してきたエヴァンは、フェリシアの亡骸を抱きながら膝をついた。

 視界がぐらぐらと揺れる。

 悲しみの洪水に溺れ、やがて感情が凍りつくと、ふと一人の少女が目に入った。


 エヴァンの他に、村で唯一生存した少女。


「システィナ……お前が……」


 お前が、いなければ……。

 剣を手にして、エヴァンは立ち上がった。

 気を失っているシスティナへと、一歩一歩、近づいていき。

 剣を振り上げる。

 が、そこまでだった。


「くそ……!」


 振りかぶった剣を、彼女へと突き刺すことはできなかった。


「俺は……これから、どうすればいい……」


 何のために生きていけばいいのか。




 降り出した雨が、村の炎を鎮火していく。

 エヴァンは村の外へと向かった。

 愛する者の亡骸を葬るため。彼女の好きだった、クォーツの花畑がよく見えるところへ。

 墓石を作り、埋葬する準備ができたエヴァンは、フェリシアの亡骸を運び出すために村へと戻ったのだが。


「システィナ……?」


 少女の姿が見当たらなかった。目覚めたのだろうか。

 いったい、彼女はどこへ――。

 気にはなったが、今はまだ、あえて探す気にはなれなかった。

 どんな顔をして、彼女に会えばいいかわからない。

 自分は何も、守ることができなかった。


 エヴァンはフェリシアの亡骸を抱えて、もう一度、作ったばかりの墓のある場所へと向かう。


「お前の好きだった場所だ……せめて、ゆっくりと眠ってくれ。……フェリシア」


 埋葬を終え、こしらえた墓石に向かって祈った。

 どのくらいの時間、そうしていただろうか。

 祈りを終えたエヴァンはまた村へと戻ると、今度は村人たちの墓を作った。数が多いため、フェリシアのように手をかけてやることはできないが。

 死体が残っていない者もいたが、目に映る限りは埋葬した。


 それからまた、フェリシアの墓のもとへと戻る。

 真紅の花弁の舞うその場所で、エヴァンは座り込んだ。


 もう、ここでいい。

 ここで終わりでいい。

 フェリシアのいない生など、何の意味があるのか――。




 そうして死を待っていると、さまざまな記憶が蘇ってくる。


 システィナとフェリシア。三人で、慎ましくも幸せだった日々の記憶。


 システィナ。

 ああ、そうだ。彼女はどうなる?




『ねぇ、エヴァン』


 まどろむ記憶の中、フェリシアの声が鮮明に脳裏に響く。


『もし、私に何かあったら、あの子を……システィナのことを、お願い』




 最初から懸念があった。フェリシアと二人でシスティナを引き取ったそのときから、彼女がまた・・魔力を暴走させてしまうのではないかと。

 その可能性から目を背け続けてきた。

 魔力を制御する術を身につければ、きっと暴走は抑えられるというフェリシアの言葉に。その優しさに酔って。


 もしこのままシスティナを放っておいたら、また犠牲者が出るだろう。

 止めなければならない。たとえそれが、娘のように大切に思っていた存在だとしても。

 この手で――。


「俺は……この手で、システィナを殺さなくてはならない」


 悲劇は繰り返させてはならない。

 エヴァンは立ち上がり、フェリシアの墓石を後にした。




 しかし、村中を探してもシスティナは見つからなかった。

 彼女の足取りを掴む手がかりはない。

 エヴァンはシスティナの行方を探して村の外へと出た。

 そのときから、エヴァンの贖罪の旅は始まった。




 歩き続けた。

 抱えきれぬほどの悲しみを背負い、ただ一人の娘を殺すために。

 大切なものを何一つ守ることができなかった、自らを責め続けた。

 かつて自分とフェリシアが愛情を注いだ存在をこの手にかけなくてはいけない、その矛盾に迷い続けた。


 絶えることのない苦悩。

 押し殺した感情。悲しい決意。

 その在り方が、邪神の興味を引いたらしい。


 不死神カカロスの神影しんえいは契約を求めてきた。

 加護を与える代わりに、システィナを殺すという目的を果たせ。

 傷口がうずいた。これまでも何度もあった。どうやら、穢れの怪異に乗り移られ、体を蝕まれているようだ。


「……あの娘を殺すためならば」


 エヴァンは不死神カカロスと契約を受け入れた。

 それが、安息のない道だとしても。


 死に損なった男にとって、

 それだけが、生きる意味だから――。




 そうしてエヴァンは穢れに身をやつした。

 迷いも苦悩も飲み込み、狩人として幾日いくにちも旅を続け。

 ようやく――見つけ出した。


 システィナ。




 ――あなたは、どうしたいの?


 その問いの答えを、エヴァンは口にした。


「終わらせたい……この宿命を……」


 初めて彼が言葉にした、自らの願い。

 アリアは目元を拭い、ぎゅっと唇を噛んだ。


 決着をつけなければならない。

 システィナか、彼か。

 どちらかの死でしか終わることがないとしても。


 エヴァンの肩や胸元を覆っていた痣は、今ではもうほほにまで侵食している。

 ダムドについて詳しくないアリアにも、彼に残された時間が少ないことが察せられた。


「わかった……終わらせよう……ここで」


 理想の結末には、ならないかもしれないけど。

 せめて悲しみだけは、ここで終わらせなくてはならない。


「……ああ」


 夜の闇に、野烏の声が響く。

 その多くを散らしたクォーツの花畑に、降り積もった真紅の花弁が風で舞う。

 花と同じく赤く染まった月の光が、穢れに染まった男の姿を照らした。

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