第53話 穢れの狩人エヴァン 4

 ――止められるものなら、止めて見せろ。

 その言葉とともに。


 エヴァンの肩から這い出るように姿を現した異形――穢れの怪異が、アリアたちに向けて巨大な前腕を振るった。

 ごうと風を切り、迫る巨大な影から、アリアは転がるようにして飛び退く。

 衝撃とともに地面がえぐられて散らしたクォーツの花弁が、その大量の真紅が視界を埋める。


「……この力は、俺も完全なる制御はできない。……悪いが、ここからは、手加減はなしだ」


 エヴァンの言葉。それは暗に、お前たちも手加減をするなと言っているようだった。

 ――殺し合い。

 最悪の展開を、もう止めることはできないのだろうか。


 アリアがためらっている間にも、エヴァンは幾度も異形の腕を振るい、アリアたちを薙ぎ払おうと攻撃を繰り返す。クォーツの紅い花弁を散らしながら。


「どうした。反撃しないのなら、このまま捻り潰すぞ」


「くそ……!」ルイスが異形の腕を避けながら、エヴァンへ向けて疾駆する。「仕方がない。応戦する!」


 エヴァンが振るう異形の腕へと、ルイスはすれ違いざまに槍の穂先で斬りつけた。

 痩せた見た目の割に腕は硬いようで、刻み込むことができたのはわずかな傷であったが、ダメージがあることを示すように、そこから黒い霧が噴き出す。

 だが、


「無駄だ」


 異形の腕につけられた傷から、あぶくのようなものが湧き出し、傷口が即座に修復される。

 そうして再生した腕が、ふたたびルイスを襲った。


 エヴァンが力を振るうたびに、クォーツの花が潰されていく。


 彼の妻であるフェリシアが、大切にしていた花なのに。

 その過去すら否定していくように。

 何も感じないはずはない。だけど、おそらくエヴァンはその痛みすら受け入れるべきものだと考えている。


 感じるすべての苦痛が、贖罪。

 彼が拒絶しているのは、自分自身だ。


 それが耐えられなくて、見ていられなくて、アリアは剣を構えて走り出した。


「エヴァンッ!!」


 異形の腕の一撃を、アリアはあえて前に飛び込むことで避ける。

 しかし、無数に散った真紅の花弁が視界を埋める中、振るわれたもう片方の剛腕は避けることができない。

 直後、アリアはルイスによって押し倒される。


「ぐあっ!」ルイスが、アリアをかばったことで腕の一撃によって叩き飛ばされた。


 それでもアリアは背後を見ることなく、夢中で前へと進んだ。ここで振り返ったら、二度目のチャンスはないかもしれないからだ。

 もう少し、もう少しでエヴァンに届く――。


「……甘い」


 金属のぶつかり合う、甲高い音が響く。

 アリアの放った剣の一撃は、エヴァンの鉈剣によって弾かれていた。


 エヴァンの左肩は怪物と同化しているため自由に動かすことはできないが、右腕なら問題なく使用できるらしい。

 体勢を崩したアリアへと、エヴァンは異形の腕を振るう。


魔力の矢マジックミサイル!」


 システィナの杖から放たれた光弾が、異形へ向けて飛翔。

 直撃し、炸裂する。

 穢れの怪異がのけ反り、アリアへの攻撃も中断された。


 その隙へと、アリアはまた反撃を仕掛ける。

 狙うのはエヴァン自身ではなく、生み出された穢れの怪異だ。

 とにかく今は、この恐るべき力を止めなくてはならない。

 エヴァン自身への攻撃は軽く躱され、いなされてしまうけど――的の大きい穢れの怪異なら。


「たああ!」


 一閃。

 聖銀の剣が、穢れの怪異の胴を深々と斬り裂く。


 直後、エヴァンが胸元を押さえながらうつむき、吐血した。


「ごふっ……!」


 怪物の傷は再生していくが、それに反作用するようにエヴァンは苦しげに肩で息をし始めた。


「エヴァン……!?」

「なに、驚くようなことではない。俺はこの怪物と同化している……よって、これが受けた傷は俺にもダメージが来るということだ」


 愕然とし、アリアの剣が止まった。




 エヴァンの体に、黒い痣が新たに浮かび上がった。

 もともとは左胸から肩の辺りまでだったのに、今では右肩や腹部、顔にまで痣が侵食している。

 この瞬間にも、体が穢れに侵食されているのだ。


「もうやめるんだ……貴公、このまま戦い続けたら、本当にダムドになってしまうぞ」


 ルイスの言葉。

 それにエヴァンはかぶりを振った。


「俺は彼女を殺す。たとえ、この身が穢れに飲まれようとも――」


 熱に浮かされたような声。もう、エヴァンは自らの意識を保つだけでやっとなのだろう。

 愛する者を失った悲しみ。その心の空白は、決して埋まることはない。

 だからこそ、彼は――。


「安息の死は、その後でいい」


 野烏のがらすが鳴く。

 真紅の花弁が舞う空に、大きな月が雲間から覗く。


 システィナが、瞳を揺らしながらつぶやく。


「あなたも……死に場所を……」


 エヴァンは異形の腕を薙ぎ払うように振るい、呆然と立ち尽くしていたアリアの胴をしたたかに打ちつけた。


「ああ……ッ!」


 地面を転がり、倒れ伏したアリアの上に、真紅の花弁が降り注ぐ。

 四つん這いになって咳き込むと、口の中に鉄のような味が広がって、赤い雫がぽたりと花を濡らした。


 アリアは神花の霊薬の、最後の一口を飲む。するとすぐに傷が癒えて動けるようになった。

 直後に襲いかかる異形の腕。アリアは転がるようにして、その一撃から逃れた。

 やはりエヴァンは異形の力が制御できなくなってきているのか、先ほどより攻撃は苛烈で容赦がない。


「エヴァン……そんな力に頼ってまで、システィナを殺したいの?」

「……」


 答えが返ってくるまで、少しの間があった。


「そうだ。お前たち三人を相手取るには、この力が必要だ」

「どうして! だってそれは、かつて村を襲った穢れの怪異の力なのでしょう? だったら――」

「それでも、俺は……」


 エヴァンは頭を抱えながら苦しみ始める。

 うめき声を上げながら、がむしゃらに振るわれた異形の腕が、槍で身を守ろうとするルイスを力づくで突き飛ばした。


「ぐあっ!」

「ルイス、大丈夫!?」

「ああ……まだ、やれる……!」


 アリアのように神花の霊薬で傷を治すことができないルイスは、もう限界が近いはずだ。

 いくら彼が頑丈でも、血を流しすぎている。


(だめ……このままじゃ、私たちのほうがやられてしまう)


 エヴァンを止めるどころではない。

 システィナにもその状況は伝わったようで、瞳に涙を浮かべながらも、覚悟を決めた表情で呪文を唱える。


「アウラよ。万象たるマナよ、我が敵を射抜け……魔力の矢マジックミサイル!」


 魔力の矢が、エヴァンに向かって一直線に飛ぶ。

 エヴァンは異形の腕を振り払い、青い光弾をかき消そうとする。だが、硬い腕であっても炸裂する爆風までは防ぎきれず、エヴァンの体がよろめきながら後退する。


 そこへ、アリアは踏み込んでいった。


「はぁぁ!」


 圧倒的な技量を持つエヴァン。彼に生じた一瞬の隙を逃さないように。

 その胴へと目掛けて、アリアは剣を振り抜く。

 ――。

 肉を斬り裂く感触が、手に伝わる。


(え……?)


 遅れて、真紅の花弁と血飛沫が巻き上がった。

 斬れ味の優れたミスリルの剣は、エヴァンの胸元から脇腹までを深々と斬り裂いていた。


 ぐらり、と男の体が倒れる。


「エヴァン! ごめ、ん、なさい……私、私……!」


 たしかに絶好の好機だったが、それでもエヴァンであればアリアの全力の一撃を凌いでみせると思った。彼ならそれが可能だと。

 だからこそ、届かないからこそアリアは全力を持って剣を叩き込んだ。

 しかし、結果は違った。

 穢れに侵されて正気を失いかけているためにアリアの攻撃に対応できなかったのか、それとも――あえて剣を受けたのか。


 血を吐きながら、真紅の花畑の中に倒れようとするエヴァンの体を、アリアは慌てて抱き留めた。

 重い。死に行く人の重さだ。

 傷は深く、見るからに致命傷だとわかる。


「エヴァン……! 私、そんなつもりじゃ……」


 システィナとルイスも、口々にエヴァンの名を呼ぶ。


「気にする必要は……ない……」


 かすれた声でそう言うと、エヴァンは異形化していないほうの腕で、どんとアリアの体を突き飛ばした。

 そしてエヴァンは一人で立ち上がる。よろめきながら。胸元についた深い傷が、塞がっていく。代わりに、体中の痣をさらに濃く増やしながら。


「……続けよう」


 エヴァンは右手に鉈剣を構えた。呼応するように、左腕から生じた穢れの怪異が、その虚ろな眼孔がアリアたちに向けられる。


「貴公……これはいったい……」


 ルイスの疑問に、かすれた声で彼は答えた。


「この体は……目的を果たすか、ダムドと成り果てるまで死ぬことはない。……それが俺の呪いだ」

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