第50話 穢れの狩人エヴァン 1

 びゅん、とクロスボウから発射された太矢ボルトがシスティナ目掛けて飛ぶ。

 その一瞬にルイスが動いた。


「おおお!」


 ルイスは槍を振るって、勢いよく飛んできたボルトを弾く。

 踏み込みと剣戟の衝撃によって、真紅の花弁がふわりと舞った。

 神業かみわざのような芸当。

 それに動じることなく、エヴァンは悠然とした動作でクロスボウに次の矢をつがえる。


「戦うしかないのだな……」


 ぎりりと歯噛みしながら、ルイスは槍を構えた。


「アリア。覚悟を決めるんだ」

「そんな……」


 エヴァンと戦うなんて。

 ためらうアリアを、エヴァンが鋭い視線が一瞥いちべつする。


「邪魔をするならお前たちも殺すと……そう言ったはずだぞ」


 試すような口ぶりで。


「アリア、お前はどうするんだ。このまま大人しく見ているのか、それとも…………お前も俺の前に立ちはだかるつもりか?」


 アリアは思いまどった。


 どうすればいい。

 エヴァンと戦うなんて、嫌だ。

 でも――システィナが死ぬのは、もっと――。


 心が決める前に、いつの間にか体が動いていた。


「……何のつもりだ」


 鋭い眼光で、エヴァンは睨みつけた。

 両腕を広げて、その身を盾としてその怪物システィナの前に立ち塞がる少女を。


「やめて……エヴァン! お願い……」


 これでは、悲しいだけだ。

 エヴァンは、本当はシスティナを殺したくなんてないのだと思う。

 だって、彼はこんなにつらそうで、苦しそうなのだから。


「こんなことしても……過去は戻ってこないから」


 システィナの優しさを知るエヴァンが、それでも彼女を手にかけようとするのは。

 残酷な運命を受け入れることが、その痛みが――。

 彼の「贖罪」だから。


「……そんなことで、俺が止まると思うか?」


 ――かちり。

 クロスボウの矢先が、アリアの胸元に向けられる。


「エヴァン……」

「剣を構えろ。アリア。その怪物を守るのではなかったのか?」


 背後で、システィナが膝をついた。

 絶望の色に染まった表情で、いまにも消え入りそうな声を発する。


「やめて……アリア…………わたしは、もう……いいから……」

「お前もだ。システィナ・・・・・


 語気を強めて、エヴァンは言い放った。


「いつまでそうして、友を・・盾にしているつもりだ」


 花弁が舞い飛ぶ薄闇に、鋭く光る視線をルイスへと向けた。


「そこの男は――お前のために、この俺と戦う気概のようだぞ」


 その言葉の通り、ルイスは槍を構えながら、じっとエヴァンを見据えていた。

 アリアをかばうように移動しつつ、いつ攻撃が来ても動けるように備えながら。

 

 システィナの瞳から一粒の涙が、真紅の花が咲いた地面へとこぼれ落ちた。


「わたしは……罪人です。わたしの命のために、誰かが傷つくなんて間違っています。エヴァン……あなたも」

「そうか。ならば……」


 お前が生きていることによって、これ以上、誰かを傷つけたくないのなら。


「――大人しく自害すればいい」

「…………っ」


 システィナの肩が震える。

 アリアは怒りで顔が熱くなるのを感じた。


「そ、そんな言い方……!」

「お前は本当は、死など望んでいないのだろう」

「わたし……は……」


 システィナが、ぽつりとこぼすように言葉を発した。


「生きて……つらくても生きて、罪を償わないと……いけないから……」

「そう言って、お前はどれだけの人を傷つけてきた? どれほどの罪を償うことができた?」

「それは……」


 今度こそ、いい加減に頭に来て、アリアは身を乗り出した。


「やめて! なんでそんなこと言うの?」


 あなたは、システィナの義理のお父さんなのに。

 エヴァンは小さくため息をつき、ふたたび鋭い眼光をアリアに向けた。


「これで最後だ。アリア、剣を抜け。戦う気がないのなら、二人ともそこで大人しくしていろ」

「…………」


 なぜ――こんなことになったのだろう。

 もう、どうしようもないのだろうか。


 アリアは唇を噛み締めながら、目元をぬぐって、剣を構えた。


「……それでいい」


 背後にいるシスティナに、アリアは小さく声をかける。


「……立って、システィナ」

「アリア……」

「私は、あなたに生きていてほしい。何よりも、エヴァンにあなたを殺させたくない……!」


 それだけは――。

 絶対に、だめだ。

 システィナがエヴァンに殺されてしまうこと。それは一番悪い結末だから。


「エヴァン……私は、あなたを止める! 止めてみせる!」




 空をおおっていた雲が晴れ、満天の星と、赤く染まった月が顔を出す。


 覚悟を決め、アリアが剣を構えると。

 ふわり。真紅の花弁を舞い踊らせながら、エヴァンが踏み込んできた。

 その手には鉈によく似た剣をたずさえて。


「くっ!」


 片手で振るわれた鉈剣の一撃を、アリアは両手で握りしめた剣で受けた。

 重い。アリアは歯を食いしばって、なんとか踏みとどまる。


 最初の一撃を防がれたことを確認したエヴァンは、コートをひるがえしながら距離を取る。

 直後にクロスボウから太矢が発射され、追撃しようとしたルイスの出鼻を挫いた。

 ルイスは槍で太矢を弾き返したが、すでに体勢を立て直しているエヴァンからは隙を見出せずに踏みとどまる。


 今の一瞬のやり取りだけでもわかる。エヴァンは強い。気を抜いたら、彼を止めるどころではなく、逆にこちらがやられてしまうだろう。


「アリア! ともに協力して……あのわからず屋を止めるぞ!」

「う、うん!」


 エヴァンが動く。鉈剣を振りかぶり、システィナのもとへと。

 彼の目的はあくまでシスティナを殺すことだ。

 アリアとルイスは数の上では有利だが、代わりに茫然自失で動けずにいるシスティナをかばいながら戦わなくてはならない不利がある。

 せめてシスティナが生きる意思を見せてくれたら。いっしょにエヴァンを止めるために戦ってくれたなら。


 迫りくるエヴァンに向けて、ルイスが槍を振るう。おそらく峰打ち、というより柄や穂先の腹の部分を使って殴りつけようとしたのだろう。

 その一撃を、エヴァンは鉈のような剣で受ける。

 ルイスは両手で槍を振るっているのに対して、エヴァンは片手だ。ルイスだって常人よりずっと強い力があるのに、エヴァンのそれはもはや人間離れしていた。


 そのまま、幾度か刃を交える二人。


 剣戟のたびに、真紅の花弁が闇夜に舞う。


「ルイス!」


 手練同士の打ち合いに思わず一瞬だけ見入ってしまったアリアだったが、ルイスが劣勢なことに気づいて駆け寄る

 エヴァンの攻撃の手が一瞬だけ止まったように見えた。アリアの動きに気を取られたのだろうか。その隙を突こうと、ルイスが槍を大きく振るう。


 風圧によって花弁が舞い散る中で、しかしエヴァンはルイスの動きを冷静に見ていた。


 直後、闇の中にエヴァンの姿が消えた。

 そう見えるくらいに速く、エヴァンは槍を回避しながら、ルイスの背後へと回り込んだのだ。


「お前たちの戦い方は、実直すぎる」


 わざと隙ができたように見せて、攻撃を誘った――。

 そう気づいたときには遅かった。エヴァンはルイスの背に、剣の一撃を浴びせる。


「ぐああ!」


 鉈のような剣は鎧を砕き、ルイスの背を深く斬り裂いた。

 どさり、と花が咲く地面へとルイスは膝をつく。

 それを見届けることなく、エヴァンは迫るアリアを横目で確認すると、そちらへと鉈剣を振るった。

 アリアはとっさに剣で受ける。重い一撃だった。体重の軽いアリアは簡単に吹き飛ばされてしまう。花畑の中に倒れ込み、真紅の花弁を散らしながら受け身を取る。

 かしゅん!

 エヴァンはアリアへとクロスボウを向けて引き金を引いた。風を切りながら飛ぶ太矢がアリアの脇腹へと突き刺さる。


「あうっ!!」


 激痛にアリアはうずくまった。急所は外している――いや、外されたのだろう。一瞬、意識が飛びそうになった。

 お腹から地面へと血が流れていく。


「……こんなものか」


 悠然と。

 動きの止まったアリアとルイスを尻目に、エヴァンは武器を手にしてシスティナへと近づいていく。


「この程度の力では何も守ることなどできない――ならば、宿命に従うのが道理だろう」

「アリア……ルイス、さん……」


 システィナの瞳が揺れる。

 きっと、自分のために友が傷ついてしまったことを、なげいているのだと思う。

 システィナのせいじゃないのに。だって、彼女を守ると決めたのは、アリアとルイス自身なのだから。


 このままで終わるわけにはいかない。

 痛みをこらえてアリアは立ち上がった。ルイスも、よろけながら身を起こす。


「……まだやるのか?」


 背を向けたまま、エヴァンは上体だけで振り返る。


「実力の差がわからないわけではあるまい」

「それでも……諦めるわけにはいかないよ」


 アリアは腹部に刺さった太矢を抜いて、神花の霊薬を一口飲んだ。

 腹部の傷が癒える。これでまだ戦える。


「……次は死ぬぞ」

「負けない。システィナは生きるんだ。私たちといっしょに!」

「そうか」


 かち……と、エヴァンはクロスボウに太矢を番える。


「ならば……死んでも恨むなよ」


 コートを翻して、エヴァンはアリアたちのほうへと振り返った。

 直後に風が吹き、真紅の花弁が舞い飛ぶ。

 勝者など生まれるべくもない、死闘が始まった。

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