第49話 悲哀の村クォーツ 3

 無情にも、時間だけが過ぎていく。

 村を散策している間に太陽は頂上を通り過ぎ、反対側へと傾き始めていた。

 いまだ解決の糸口は見えていない。


「システィナ……」


 アリアはただシスティナに寄り添っていた。

 それしかできないから。

 せめて、あなたを必要としている人間もいるんだってことを、わかって欲しかった。


 少し休憩をしようと三人で村の廃墟に腰掛けていると、ルイスがおもむろに口を開いた。


「アリア……」

「なに、ルイス?」

「私は……やはりシスティナを死なせたくはないと思う。これは、たぶん理屈ではなく……」


 仲間だから。友達だから。

 彼女の優しさを知っているから。自らが犯してしまった罪に、心を痛めていることを知っているから。


「うん……私もだよ」


 ルイスの、伏せた長いまつ毛が揺れる。


「だが……あの狩人、エヴァンにもまた事情があるのは確かだ。譲れない想いを持っているはずだ。だから――」


 もしシスティナを守るという選択をしたら。

 その罪を許すというのなら、彼と真っ向から対立することになる。


「そうだね……」


 説得できるだろうか。

 もしそれが叶わなければ、エヴァンと戦うことになるかもしれない。

 短い間いっしょにいただけだが、彼が悪い人ではないことをアリアは知っている。

 むしろ、危ないところを助けられて、お世話もしてもらった恩がある。

 冷たく振る舞っているけど、本当は優しい人なのだと思う。


「私はシスティナの力をこの目で見たわけではないが、おそらく、危険……なのは確かだと思う。だから、彼の言っていることのほうが正しいのかもしれない」

「……でも」

「ああ。システィナが死ななくてはならないなんて……私は嫌だ」

「うん」


 もう一度、互いの意思を確認し合った。

 飾りのない言葉だ。ルイスの純粋で真っ直ぐなところは、こういうとき、すごく助けられる。


 システィナが細い声で言った。「二人とも……どうして、そこまで……」


 それに、アリアとルイスは答える。


「友達だからだよ」「友人だからさ」


 そんなふうに、声が重なったのがおかしくて――。

 悲しみを忘れようとするように、アリアとルイスは小さく声を出して笑った。


 うつむいたシスティナの瞳が揺れて、わずかに涙がこぼれた。




 アリアとルイス、そしてシスティナの三人は拠点にしていた小屋へといったん戻ったのちに、村の外れへと出向いた。

 システィナにとってのもう一人の育ての親である、フェリシアの墓のところへ。


「アリア……案内してくれて、ありがとうございます」


 システィナは墓石にそっと触れた。触れてはいけないものに触れるように、ゆっくりと、おもむろに。

 墓前には、花がそなえられている。

 昨晩、エヴァンがえたものだ。


 墓石の向こうに一面に咲くクォーツの花畑から、真紅の花弁がひらりと飛んできた。


「おかあさ……いえ、フェリシアは、クォーツの花が好きだったので……」


 だから、エヴァンはここにお墓を作った。

 クォーツの花畑を見渡せるこの場所に。


 日は傾き、夕暮れ時。

 約束の時まで、あと少ししかない。


 システィナは両手を組み合わせて、墓前に祈りを捧げる。

 それは死者の追悼でありながら、自らの罪を懺悔するようにも見えた。


「これで、もう、思い残すことはありません」

「そういうこと…………言わないでよ!」


 アリアはつい声を荒げてしまった。

 続く言葉が思いつかず、そのまま口を閉ざしてしまったアリアの代わりに、ルイスが言う。


「システィナは、ここで死ぬつもりなのか?」

「それは……」


 少しの沈黙。真紅の花びらがひらりと舞い、地面に落ちた。


「わかりません……でも……」


 今度はアリアが尋ねる。


「システィナは……生きていたいと思わないの?」

「…………」


 システィナは、自らの胸を腕で抱いて、答えた。


「わたしは……生きることを望んでは、いけないと……そう、思います」


 なんで。

 などと、聞くことはしなかった。

 理由はわかっていたし、これからのことも考えると、彼女の言うことは正しい側面もあるからだ。


 どうにもできない。

 そんな無力感に、アリアは唇を噛んだ。


「……だめだよ」


 いろんな理屈の代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。


「……システィナは、死んじゃだめだよ……生きていてくれなきゃ、やだよ……」

「……アリア……」


 システィナの瞳に涙がにじむ。

 アリアも、目の前がぼやけてきた。


「エヴァンを説得しよう……アリア、システィナ」


 ルイスが言った。静かだけど、強く。


「うん。……そうだね」


 アリアは目元を拭ってから、うなずいた。


「もし、それが無理だったとしても……」


 言葉で説得することが、叶わなかったとしても。


「……私は、システィナを守るよ」


 システィナみたいな優しい子の未来が、死ぬことしかないなんて、そんなの悲し過ぎるから。

 だから。


「生きよう……システィナ。生きて、いっしょに考えよう。どうすれば……罪を償っていけるのか」


 その罪も本当にシスティナの責任なのか、定かではないけど。それでも彼女が、その罪を背負っていくというなら。

 その隣を、時間が許す限りいっしょに歩きたい。

 これからもし同じ悲劇が起きそうになったら、私が止める。そういう約束だから。


「だから……ね?」

「アリア……けど……」

「『でも』とか『けど』とか禁止」

「……っ」


 声を詰まらせたシスティナは、絞り出すようにして言葉を返した。

 その、銀鈴の声で。


「……アリア……ごめんなさい……」

「違うよ。システィナ」

「……ありがとう」

「うん」


 アリアは、うつむくシスティナの肩を抱く。

 それを見て、ルイスも微笑みを浮かべた。




 それからは、もう、あまり言葉はなかった。

 アリアはどうやってエヴァンを説得しようかを、ずっと考えていた。

 たぶん、ルイスも。

 そうしていると、すぐに時間は過ぎ、やがて日没がやってきた。




 薄闇の中に浮かぶ、一面の真紅の花々。

 風がくきを揺らすたび、真紅の花びらが舞い踊る。

 フェリシアが好きだったというその花畑へ、アリアとルイスとシスティナは足を踏み入れた。


 ここで待っていれば、エヴァンに会える。

 待ち合わせてなどいない。けど、そんな確信があった。


 花々が見渡せる場所で待っていると、一つの足音が近づいてきた。

 気配はあえて消していない。つば広の帽子に黒のコートの姿。

 エヴァンだった。


「逃げるつもりは、ないようだな」


 冷たい瞳がアリアたちを、システィナを見据える。


「エヴァン、話を聞いて!」

「……いまさら、話すことなどない」


 懇願するアリアと視線を交えて、エヴァンは小さく息を吐いた。


「……別れを済ませるため、あるいは覚悟を済ませるための時間を与えたつもりだったのだが……どうやら、逆効果だったようだ」


 かちり……と、エヴァンは武器を手にした。

 片手にはクロスボウを。もう片方の手には鉈のような剣。


「俺の目的は、その娘に引導いんどうを渡すことだ」


 エヴァンは、はっきりと宣言した。


「邪魔をするのであれば……お前たちも殺す」


 ああ、駄目だ。

 エヴァンは、もうとっくにシスティナを殺す決意を固めているんだ。


 彼は、悩んだだろうか。

 実の娘のような存在を殺さなければいけない現実に、苦悩したのだろうか。

 情と恨み、それに責務を天秤にかけて、迷いもしたのだろうか。


 わからないが、そういうフェーズは彼にとっては過ぎたことなのだ。


「それでも……話をさせてほしい」


 アリアが言うと、エヴァンは口を閉ざしてその言葉を待った。

 武器は構えたまま。

 やっぱり、エヴァンは優しい人だ。そう思うと、アリアはなんだか悲しくなった。


「ねぇ……システィナは、いい子だよ。本当は誰も傷つけたくないって、いつも考えているような、優しい子」

「……知っている」


 エヴァンのその答えを聞いたシスティナは、わずかに肩を震わせた。


「力の暴走だって、システィナが望んで起こしたことじゃない。だから、システィナは悪くない。そうでしょ?」

「……だが、それが彼女の宿命だ。望まぬことだとしても、それは起こる」

「でも……」


 しばし、アリアは口を閉ざした。

 何も言えない――これ以上、何を言えばいいのだろう。

 たぶん、これはエヴァンにとって過去に自問してきた事柄。すでに通ってきた道なのだ。


「二年前。すでに彼女は力の暴走を起こし、多くの人間を殺めている。……それだけで、俺が彼女を殺す理由として十分だ」

「お、同じことはさせない……もし、システィナがまた力を暴走させそうになったら、私が止める!」


 アリアはエヴァンの冷たい瞳を見つめた。強く。システィナへの想いだけでも、負けないように。


「……過去は変えられん」


 エヴァンはアリアから視線を外し、わずかに顔をうつむかせた。

 何かにびるように。


「彼女を殺すことは俺の責務だと言ったな――それは間違いないが、本質ではない」


 システィナを、育てた責任があるから。その罪を裁くのが役目。

 しかし、それだけではない。


「フェリシアは……俺の愛する人や、仲間たちは、決して帰ってこない」


 恨み。エヴァンは、システィナのことを憎んでいる。

 だから、殺さなくてはならない。その罪を、償わせるために――。

 アリアはそうとらえたのだが。


 ルイスが口を開いた。


「貴公……後悔しているのか?」


 エヴァンは一時いっときだけルイスのほうへと瞳を向けた。


「……そうかもな」


 大切な人を守れなかったことへの、後悔。

 それは、エヴァンの心に、枷として深く刻まれていて。

 ――もう、後戻りはできない。


「だからこそ、これは俺にとっての贖罪しょくざいでもある」


 きゅ……とアリアの胸が痛んだ。

 いったい、どうしてこうなってしまうのだろう。本当は、誰も何も悪くないのに。


「どうしても……エヴァンはシスティナを殺すの?」

「……ああ」


 硬い決意。

 もう、どのような言葉も彼には届かないだろう。

 いや、届いていたとしても、それはただ互いの傷をえぐるだけ――。


「私は……守る」


 アリアは涙をこらえながら、声を絞り出した。


「システィナは、仲間だから……友達だから……」


 ルイスも、一歩前に出た。


「私もだ。貴公に彼女は殺させない」

「そうか」


 エヴァンのまとう殺気が大きく膨れ上がると、それに釣られるように真紅の花弁が薄闇の空に舞い上がった。


「ならば……証明してみせろ」


 もしまたシスティナが暴走したとしても、止めることができる力があると。


「この俺から……彼女システィナを守り抜いてみせろ!」


 その言葉とともに。

 エヴァンはシスティナに向けたクロスボウの引き金を引いた。

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