第46話 暗沼の猟犬 2
森の中をしばらく歩くと、木々は次第に途切れていき、その先に壊れた家々の屋根が見えた。
エヴァンの言っていた廃村である。
人の気配はない。
村の中は、まるで大規模な災害に遭ったかのように焼け落ち、荒れ果てていた。
「……本当に、廃村なんだね」
「ああ」
エヴァンは迷うことなく廃村を歩いていく。その背をアリアは追う。
やがて、比較的に損壊の少ない村はずれの一件の民間へとたどり着いた。
「ここだ」
室内もかなり綺麗な状態で、埃こそ積もっていたが、暖炉や厨房も掃除すれば使うことができそうだ。
少なくとも、屋外にいるよりは休めるだろう。
「エヴァンは、前にもここに来たことがあるの?」
「……ああ」
迷うことなくこの民家まで歩いてきたからアリアはそう推測したのだが、続くエヴァンの言葉は意外なものだった。
「以前は俺も、この村で暮らしていたからな」
「え?」
エヴァンは棚を漁って、いくつかの薬を見繕ってとり出した。
「手当てをする。傷を見せろ」
「えっと……もう、ほとんど治ってるから、平気」
「……そんなはずはないだろう」
アリアは少しだけ襟元をはだけさせて、先ほど魔獣にやられた肩を見せた。
まだ跡こそは残っていたが、神花の霊薬の力によって、傷はほとんど塞がっていた。
「……先ほど飲んだのは、上級ポーションだったのか」
「似たようなものかな」
「……そうか」
それでもエヴァンは、治りきらなかった傷の手当てをしてくれた。
わずかに残った肩の傷跡に消毒液を塗り、包帯を巻く。
その間、アリアはされるがままに身を任せた。
「ありがとう。エヴァン」
「ああ」
エヴァンは勝手知ったる様子で薬をもとの場所に戻した。
「エヴァンは、この村に住んでいたんだよね?」
「そうだ」
「じゃあ、ここはエヴァンの家?」
「いや、違う」
知り合いの家だ。
そう言いながら、エヴァンは一度家の奥へと入っていき、あるものを手にして戻ってきた。
弓だ。反り返って弧を描く木材に、細い弦をつけた武具。
エヴァンはその弦を引いて張りを確かめながら、
「……これは使えそうだな」
そう言って、弓をアリアに手渡した。
「エヴァン?」
「前の、この家の主のものだ。これはお前が持っていくといい」
「え、いいのかな……?」
そう言われても、つい遠慮してしまう。
廃墟とはいえ他人の家だ。現代人であるアリアにとって、他人の私物を持ち出すのは少し気が引ける。
「その弓も、このまま埃をかぶって朽ちていくよりは、誰かに使われたほうがいいだろう」
「そっか……。うん。わかった」
少し迷ったが、アリアは素直に受け取ることにした。
アリアが手に取る以前にも、この弓には大切に使っていた持ち主がいたはずだ。そう思うと、物の価値以上に大事な何かを託されたような気持ちになった。
「使い方はわかるか?」
「あはは……まったく……」
「基礎的なことだけなら、俺が教える」
「ほんと? ありがとう」
「今からでいいな?」
「う、うん」
今からというのはずいぶんと急だったが。
おそらく次に穢れの怪異と戦うときまでには、間に合わせでも使えるようになったほうがいいとエヴァンは考えたのだろう。
「ついて来い」
そう言って立ち去る彼の背を追って、アリアは家の外へと出た。
廃村の近くの森の中で、アリアはエヴァンに弓の使い方を教わっていた。
「そうだ。しっかりと構えて、よく狙え……速く撃とうと考えるのは、慣れてからでいい」
「うん」
ランタンの灯りだけが頼りの真夜中の森。
弓の弦を引くアリアの腕を、隣でエヴァンが支えている。
「そのまま、あの木を狙って撃ってみろ」
「わかった」
矢を
矢は思った通りの方向へと一直線に飛び、木の幹に突き刺さった。
「ど、どう?」
アリアはエヴァンのほうへと振り向いて尋ねる。
「悪くない」
「えへへ。やった」
「初日からこれだけ扱えれば、十分だ」
それから、エヴァンは語った。
「アリア」
「なに?」
「お前は身のこなしが軽く、集中力もある。だからこそ、お前には弓を使った戦いが向いているだろう。……いざというときの選択肢は多いほうがいい」
先ほどの二回の戦いの中で、エヴァンはアリアの特性を見極めてくれたのだ。
だから、この弓をアリアに授けてくれた。
そう思うと、なんだか嬉しくて胸が熱くなった。
「エヴァン」
「……なんだ?」
「私、この弓を使いこなして見せるよ」
「そうか」
この弓の以前の持ち主は、エヴァンの知り合いだったのだろうか。気になったけど、なんとなく聞くのは野暮な気がしたからやめておいた。
「明日も早い。お前はあの家に戻って、先に休んでいるといい」
「エヴァンはどうするの?」
「俺は……やることがある」
アリアが首を傾げているうちに、エヴァンは背を向けて歩き出していた。
「あ、待ってよ! やることって何?」
そう声をかけたのは、なんとなく一人じゃ寂しかったのもある。
「……ただの墓参りだ」
「私もついて行っていい?」
「……」
エヴァンはため息をついた。
「好きにしろ」
許可をいただけたので、アリアもエヴァンの後を追って歩き出した。
「そういえば……」
アリアはふと、疑問が浮かんだ。
というより、ずっと頭の中で何かが引っかかっていた。
星見の山脈にある廃村――まるで災害が起きたか、
「……ここって、なんで廃村に……」
そこまで出かかったところで、アリアはその言葉を飲み込んだ。
エヴァンが立ち止まり、振り向く。
「どうした?」
「ううん。なんでもない……」
もしも、その理由が想像通りのものだったら――。
今はまだ、答えを知りたくなかった。
夜の闇を月明かりとランタンの灯火が照らす。
吹き抜ける風に乗って、赤い花びらがひらりひらりと舞いながら通り過ぎていく。
木々に覆われた景色が突然、
「……すごい」
夜の闇にも映える、一面の真紅。
花畑だ。
紅の花弁を持つ花が、視界いっぱいに咲き誇っていた。
「ここだ」
エヴァンが示したのは、文字が刻まれた石だった。
墓石。簡素であり、それが職人の手によるものではなく、誰かの手作りであることがうかがえる。
おそらく、エヴァン自身がこしらえたものなのだろう。そうアリアは推察した。
「誰のお墓なの……?」
それを尋ねるのが、アリアはなぜか少し怖かった。
だんだんと、知るべきではない真実に近づいている気がして――。
「……」
「エヴァン?」
「俺の……妻だ」
胸が、ずきんと痛む。
エヴァンは周囲に咲いた、紅い花を一輪
墓石の様式と同じく、簡素な儀式だった。
けど、きっと、エヴァンにとっては大切な儀式なのだと思う。
「この花は……なんて名前の花なの?」
アリアが何気なく尋ねた問いかけ。
それは、思いがけず――この村で起きたことの、真相へと繋がっていた。
「クォーツの花……かつて妻が、愛していた花だ」
その名前には、聞き覚えがあった。
おそるおそる、アリアはもう一つの問いかけをする。
「ねぇ、この村の名前って――」
「……クォーツ村だ。村と花、どちらの名が由来となっているかは知らないがな」
クォーツ村――それは、システィナのかつての故郷の名だった。
エヴァンとアリア。闇の中、二人の間に真紅の花弁が舞う。
「……アリアはこの村の名を知っていたのか?」
「うん。名前だけ、聞いたことがあったから」
するとエヴァンは墓石の前に
「この村は……ある怪物の出現によって滅びた。二年前のことだ」
「怪物……」
彼の言う怪物の正体を、アリアは知っている。
アリアの親友。いつも自分を責めてばかりの、儚げな少女――。
「じゃあ、エヴァンの奥さんはそのときに……?」
「そうだ」
もう一度、ずきんと針を刺されたように胸が痛んだ。
「その怪物を仕留めることが、今の俺の目的……いや、」
エヴァンは暗い瞳で墓石を見つめながら、低い声で言った。
「
アリアは何も言うことができなかった。
短い沈黙の闇の中、虫の
「ねぇ、エヴァン――」
意を決してアリアが口を開いたとき、何かを察知したエヴァンが素早く立ち上がった。
「……現れたな」
「え?」
「穢れの怪異だ。おそらく先の奴だろう」
穢れの怪異。その出現をエヴァンはある程度察知できるらしい。
アリアは腰の剣を確認した。ちゃんと持ってきている。
「エヴァン!」
「ああ……行くぞ」
慌ただしい墓参りになってしまったな、とエヴァンは墓石に向かって小さくつぶやいた。
それから踵を返して森のほうへと向かうエヴァンを追って、アリアも走った。
硬いものがぶつかり合う音と、何かが爆発するような音。それに魔獣の叫び声が聞こえる。戦いの喧騒だ。
森の奥に行くほどに、それは大きくなる。
「誰かが、穢れの怪異と戦ってるのかな?」
「そのようだな」
「それって、もしかして……」
アリアの言葉に、エヴァンは「ああ」と肯定する。
「お前の仲間の可能性があるな。加勢するぞ」
音のするほうに走ると、全身が尖った骨でできた狼のような魔獣の姿が、そして対峙している槍を持った青年の姿が目に入った。
「……ルイス!」
「その声……アリアか!?」
「うん。一緒に戦うよ」
「それは助かる。この怪物に、手を焼いていたんだ」
続いて、鈴のような声が闇の中から聞こえてくる。
「アウラよ。万象たるマナよ、我が敵を射抜け……
魔力の矢が閃き、その青い光が銀髪の少女の姿を映す。
「システィナ!」
「アリア……よかった、無事だったのですね」
喜びの表情を浮かべたシスティナだったが。
直後に、その顔は青ざめた。
「え……」
アリアの背後にいるエヴァンが、魔獣を見つめながら言う。
「……やはり、奴の傷はまだ癒えていないようだな」
エヴァンはクロスボウを構え、トリガーを引いた。
発射された矢が、魔獣の目を正確に射抜く。
片目を潰された魔獣が怒り狂い、さらに激しく暴れ回る。
その爪と牙の猛攻をものともせずにエヴァンは魔獣へと接近し、骨の守りの内側へと鉈剣を突き立てた。
「今だ……やれ!」
魔獣の動きが止まった。エヴァンの動きに目を奪われていたアリアとルイスは我に返り、魔獣へと槍を、剣を突き立てる。
獣の声と、金属を擦り合わせたような音が混ざったような、咆哮が響く。
それを断末魔に、一瞬だけ沼のような液体に戻った穢れの怪異は、直後に黒い霧となって消えていった。
「すごいな……あの怪物を、これほど容易く仕留めるとは」
ルイスの称賛に、エヴァンは肩をすくめて答えた。
「……すでに弱っていたからな。さて」
獲物を見据える獣のように。
「怪物はまだ、
宣言する男の視線の先には、何かに怯えるようにたたずむ、一人の少女。
月の淡い光が、彼女の美しい銀髪を浮かび上がらせる。
「ようやく会えたな……」
びくり、と少女の肩が震える。
おそるおそる、男と目を合わせる。
殺意と妄執。後悔と悲哀。
二人の視線が、交差した。
「システィナ」
呼びかけられ、少女は震えながら声を絞り出した。
「エヴァン……」
直後――。
エヴァンはシスティナへとクロスボウを向けた。
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