第39話 栄光のアウラの花弁

 街の喧騒。道路を走る車の音が聞こえる。


 視界を覆っていた白い光が晴れた。


 気がつけば、アリアは見慣れた部屋の中にいた。

 ベッドと勉強机と本棚があるだけの、小さく簡素な部屋。女の子らしい小物もほとんどない。

 ここは、生前に愛里亜アリアが住んでいたマンションの自室だった。


(私の部屋……)


 なんだか、懐かしい匂いだ。

 夢、だったのだろうか。

 長い、長い夢。


 ――いや。

 やっぱり違う。


 今までの異世界ファウンテールでの出来事こそが現実で、今この瞬間がきっと夢なんだ。

 なんせ、今の愛里亜の体は半透明だ。しかも、なぜか裸だし。


(……お父さん、それに晴人、どうしてるかな)


 すると、部屋の扉がゆっくりと開かれた。

 ノックもなく、無言で入ってきたのは、暗い瞳をした黒髪の少年。


(晴人……!)


 呼びかけようとしたが、声は出なかった。

 弟の晴人は愛里亜のことなど目に入っていない様子で横を通り過ぎて、勉強机の前まで歩いてきて止まった。


「……相変わらず、何もない部屋だな」


 晴人は小さく息を吐いた。

 その視線は、机の上に置かれた写真を見つめている。

 愛里亜がずっとそこに飾っていた、家族四人の写真。


「……姉ちゃん」


 なに? そう返事をしようとしたけど、声は出せなかった。

 たぶん、晴人には愛里亜の姿は見えていないのだろう。それでもなんだか少し恥ずかしくて、愛里亜は胸元を腕で隠しながら様子を見守る。


「なんで、死ぬんだよ」


 ごめん。

 愛里亜は心の中で晴人に謝った。

 一人残してしまってごめん。

 家事はちゃんと一人でできているだろうか。なんだか前より痩せている気がする。ご飯はちゃんと食べているのかな。


 なんだか、じわりと目元が熱くなった。

 視界が霞む。

 ああ、どうやら私は泣いているみたいだ。


「……化け物に殺されたなんて、誰も信じないよな」


 晴人はもう一度、ため息をついた。

 彼には、いろいろと苦労をかけてしまっているのだろう。愛里亜はまた申し訳なくなった。


「……なあ、姉ちゃん……オレはまだ――」


 そのとき、視界がまた白い光に包まれた。

 景色が、音が、空気がフェードアウトしていく。晴人の顔と声も、マンションの外から聞こえてくる車の音も、消えていく――。




 ――オースアリア。


 かすかに、声が聞こえた。

 耳元で。あるいは遥か遠くで。

 少しずつ明瞭になっていく呼び声に、アリアはこたえた。


「……フローリア?」

『はい、わたくしです。オースアリア。……ついに……成し遂げてくれたのですね』


 幼い女の子の声が返ってくる。

 景色はまだ真っ白なままだけど、どうやら異世界に戻ってきたらしい。


「フローリア、私は今どうなってるの……? どうしてあなたの声が聞こえるの?」

『あなたは、一つ目のアウラの花弁を手にしました。『栄光』の名を冠するアウラの花弁です。その力によって、少しだけ今の現実世界アストリアの様子を、あなたに見せることができました』


 こうしてわたくしが声を届けることができるのは、アル・グレイル遺跡が特別な場所だから。フローリアはそう説明をした。


「そっか……うん。晴人が無事でいることがわかって、よかったよ」

『本当は、もっとあなたの助けになることをして差し上げたかったのですが……』

「そんなことないよ。すごく励みになったから」

『それは……あなたの心の支えとなったのなら、よかったです』


 ところで、とフローリアは言葉を続ける。


『あなたがアウラの花弁を手にしたことで、わたくしはあなたに一つの加護を与えることができるようになりました』

「加護?」

『はい。あなたの力を飛躍的に引き上げることができます』


 たとえば、「力の加護」は膂力を高めてくれる。

「生命の加護」を得れば、簡単には命が尽きることのない生命力を、「魔力の加護」は類稀なる魔力を得ることができる。


「えっと……『スキル』みたいなものかな」

『スキルとは、なんのことでしょうか?』


 加護の中には、どうやら特殊な能力を得られるものもあるようだ。

「剣術」や「魔力自動回復」なんてものもある。


『アリア。わたくしがあなたに与えられる加護は、今のところはたった一つだけです』


 力不足な神で、申し訳ありません。


『これからのあなたの旅路に必要なものを、あなたが選んでください』

「必要なものかぁ……」


 真っ白な視界に、文字が浮かぶ。

 選べる加護の選択肢と、その説明文だ。


「選べるのは、一つだけだよね?」

『はい。アウラの花弁が複数あれば、もっとたくさんの加護をあなたに与えられるのですが……』

「そっか。それなら――」


 こういうのは、きっと迷っても仕方ないだろう。

 アリアは直感で必要そうなものを選ぶことにした。


「私は『生命の加護』を選ぶよ。使命を果たすためにも、私は死ぬわけにはいかないから」


 この選択は、アリアの生前にやったゲームの経験からも来ている。ロード・オブ・シェイドでは攻撃力に関わる能力は人気だったが、堅実に攻略するなら何よりも打たれ強さが大事なのだ。

 ゲームと現実を同じ感覚で考えるのはよくないかもしれないが、決して悪い選択ではないと思う。


『わかりました。女神フローリアの名において、あなたに加護を与えましょう』


 きぃん……。という音がどこからか聞こえた。

 体の感覚はないが、なんだか心の奥底から力が湧いてくるような気がする。


『わたくしにできることは、ここまでです。アリア……どうかご武運を』

「うん」


 お礼は言わない。こうしてアリアが強くなって使命を果たせる確率が上がることは、フローリアにとってものあることだと思うから。


「じゃあ、またあとで連絡するね。フローリア」

『では……目覚めてください、アリア。仲間たちが、あなたを待っています……』


 最初と同じように、フローリアの声が少しずつ遠くなっていく。

 視界を覆う白い光が薄れ、アリアは目覚めた。




「――アリア!」


 呼びかけるルイスの声が聞こえて、アリアはハッと目が覚めた。


「ルイス……」

「気がついたか。よかった……。心ここに在らずで、呼びかけても反応がなかったから心配した。いったいどうしたんだ?」


 どうやら、立ったまま気を失っているような状態だったらしい。


「ん……ちょっと異世界にトリップしたあと、神様とお話してた」

「そうか」


 微笑みながら、冗談めかしてアリアは言ったのだが、ルイスは真面目な顔をしていた。


「君は、神に選ばれた戦士だったのだな」

「え?」

「私の育ての親である竜から、そのような話を聞いたんだ。……忘れられし女神フローリアより、使命を授かった人物がいるという話を。……もう十年も前の話だが」


 十年前となると、時系列が異なるためアリアのことではなさそうだ。

 過去に、他にもフローリアから使命を受けた人物がいるのだろうか。その人もアリアのようにアウラの花弁を集めることが使命だったのか、あるいは別の要件だったのだろうか。

 そんなことを考えていると、


「……ぅ、ん……アリア……」


 うわごとのように呼びかける可憐な声に、アリアはハッと振り向く。


「システィナ! システィナも気がついたのね」

「はい……あの、死竜は……?」


 起きあがろうとしたシスティナは、体が痛んだのか「うっ」と小さくうめいたので、アリアは彼女の体を支えた。


「倒した……んだよね、ルイス?」

「ああ。アリアがやってくれた」


 そう言ってルイスは、改めてアリアに向きなおり、真っ直ぐ視線を合わせながら敬礼をするように胸に手を当てた。


「おかげで、かの竜を穢れの宿痾しゅくあから解放することができた。アリア、……ありがとう」


 アリアは恥ずかしくなって、頬をほんのり熱くしながら視線を逸らした。見つめてくる整った顔立ちが眩しい。

 その様子を見て、システィナは小さく微笑んだ。


「うん。じ、じゃあ……依頼も達成したことだし、帰ろうか?」

「はい」

「そうだな。我々にとって、大変なのはここからだ」


 ルイスの言葉に、アリアは首をかしげた。


「え、それってどういう……」

「激しい戦いで忘れてしまったかもしれないが、我々が帰るべき出口は瓦礫で埋まっているんだ」

「あ!」

「まずは、その瓦礫を撤去する必要があるだろう」

「そうだったね……気が重いよ」


 肩を落とすアリアに対して、全身ボロボロのはずのルイスはなぜか少し嬉しそうな顔で言った。


「『真の冒険は家路にこそあり』と言うからな」

「そんな言葉あるんだ……」


 これから待っている最後の困難にアリアは辟易しながら――でも小さく微笑みながら――三人で一緒に帰路に着く。


 こうして、

 ゴブリンたちと死の竜を巡るアリアの冒険は、幕を閉じたのだった。

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