第三章
第40話 星見の山脈 1
闇夜。
枝葉の隙間から
襟のついた黒いコートにつば広の帽子。同じく暗色の手袋にブーツ。黒づくめで、肌はほとんど見せていない。狩人の衣装。それが男の姿だった。
「……まもなく、か……」
男は手に持った「鉈のような剣」に付着した返り血をタオルで
背後には、体液に塗れて倒れる魔物。男がまさに今、斬り捨てた「穢れの怪異」の死骸である。
男は剣を握っていないほうの手のひらに乗せたペンダントに目を向ける。チャームが開閉式になっており、中に小物や写真を入れることのできるロケットペンダントと呼ばれるタイプのものだ。
「ようやく……手がかりは掴んだ」
小さくそうつぶやくと、男はペンダントを懐にしまい、歩み始めた。
決して戻ることのできない血塗られた道へと。
野烏が鳴く。
風が木々の間を吹き抜けると、どこからか飛ばされてきた真紅の花びらが、男の頭上を通り過ぎた。
鋼と鋼が打ち合う、剣戟の音が鳴り響く。
ここは穢れの雨の町ナガルの外れ。雨の中、日の光がなくても咲く不思議な草が生えた草原。
そこでずぶ濡れになりながら、剣の修行に明け暮れる若い男女二人。一人は端正な顔立ちをした赤髪の青年で、もう一人は黒髪の少女だ。
「アリア。そろそろ日が暮れる。今日の稽古はここまでにしよう」
「もうそんな時間?」
二人は剣を鞘に収める。これは刃のない練習用のものだが、それでも鉄の塊なので当たれば怪我をするような代物である。
より実践向けな稽古をしていたアリアたちは、常に生傷が絶えなかった。
「いつもありがとう、ルイス」
「構わないさ。戦友の強くなりたいという願いのためだ」
笑顔で礼を言うアリアに、ルイスは力強くうなずいた。
「今日も宿まで送ろう。……どうした、アリア?」
アリアが見上げた頭上の空には、どこからか飛んできた真紅の花びらが数枚、風に乗って舞っていた。
「私がこっちの世界に来てから、もう三ヶ月か……」
「そうだな。私とアリアが出会ってからは二ヶ月といったところか」
「少しは強くなれたかな?」
「ああ。このルイス・ホークが、それは保証する」
「そっか……よかった」
この二ヶ月の修行で、アリアの剣術は飛躍的に上達した。
剣術について基礎的なことだけでも知っているのといないのでは、その実力に大きく差ができる。もともと常人より身体能力に長けた少女であれば、なおさら剣の基礎を学べたことの意味は大きい。
「これなら……晴人をしっかりと守っていけるかな」
アウラの花弁を集めるだけでなく、この世界で発生する穢れの怪異から弟の晴人を守ることもアリアにとって大事な役目だ。
少しずつでも強くなっていければ、きっと。
「ハルトとは、アリアが前に話していた弟のことか?」
「うん」
「アリアならやり遂げられるさ。必要なら、ぜひ私にも声をかけてくれ。必ず力になろう」
「ふふ。心強いよ、ルイス」
それじゃあ、帰ろうか。
そう言ってアリアたちは少ない荷物をまとめると、宿に帰還するために町の中へと戻っていった。
夕飯の時間。「私は後から行くから、先に夕飯食べてて」とアリアが言うのでシスティナはその通りにしたのだが。いつまで経ってもアリアは来ないので、システィナは部屋に呼びに戻った。
「アリア、いますか?」
いちおうノックしてから、システィナは扉を開けた。
何をしているのだろう。次の冒険についてのことも相談したかったし、いろいろと他愛のないお話もしたかったのに。
部屋の中は、静かだった。
一瞬、システィナはアリアが黙ってどこかに行ってしまったのかと思った。
だが、どうやら違った。
机に突っ伏している長い黒髪が目に入る。システィナと同じくらい細い華奢な体。でも頼りない印象ではなくて、よく動けそうな、かっこいい少女。アリアだ。
「あの……?」
どうしたのだろう、とシスティナはアリアに近づく。
かすかに聞こえてくるのは、彼女の息遣い。
(アリア、寝てるの……?)
何かの作業中だったのだろうか。アリアは机に伏せたまま眠っていた。
そっか……アリア、疲れていたんですね。
毎日休まず、日が暮れるまで剣の稽古をして。
ルイスとの予定が合わない日も、彼女は朝早くから剣の素振りや走り込みをしているのだ。
システィナは、小さく微笑んだ。
机に向かう前に汗と雨で濡れた体を拭いたのだろう。部屋の中にはお湯を入れた桶とタオルがそのままにしてある。
だからか、今のアリアは薄着で、その体と髪はしっとりと湿っていた。
このままでは、風邪を引いてしまいます。
システィナはベッドから毛布を持ってきて、寝ているアリアの背にそっとかけた。
「アリア……わたしは……」
小さな声で――ささやきかけるように、システィナは言った。
「……あなたに会えて、本当によかった」
罪人の、わたしだけど。
「……本当は、生きている資格なんて……ないのかもしれないけど……」
取り返しのつかないことをしたから。
償うことなんて、とてもできないけど。
もしかしたら……
「わたしも、ほんの少しだけでも……変わることができるのかな……」
その声に、答える者はいない。
システィナは眠っている少女のほうへと手を伸ばして、
その手が触れる前に手を引っ込めた。
代わりに、窓の外を見る。
暗い夜空。ナガルは今日も雨が降っている。
明くる朝、アリアは町はずれに咲く聖花のもとを訪れた。
システィナも一緒だった。
「べつに、ついて来てもなんにもないよ?」
「いえ、それでも気になるので……」
花に向かって一人で話しかけているところを見られるのは、少し恥ずかしい。
でも、確かにシスティナ的にはアリアがどんなふうに神様と交信しているか興味をそそられるのかもしれない。
今まではアリアが勝手に一人でフローリアとコンタクトを取っていたのだが。今回はシスティナに「
「えっと……じゃあ話しかけるね」
「はい」
「……。フローリア、聞こえる?」
白い光に包まれた聖花に向かって、アリアはいつものように声をかけた。
この光もシスティナには見えておらず、ただの地味な白い花に見えているようだ。
ほどなく、幼い少女の声が返ってきた。
『オースアリア。いいタイミングでコンタクトを取ってくださいました。あなたに伝えるべきことがあったのです』
「何かあったの?」
アリアとしては定期連絡くらいの気持ちだったが、どうやらフローリアのほうは用事があったらしい。
背後で、システィナが不思議そうにアリアのほうを見ている。
「アリアは今、女神フローリア様と交信しているのですか?」
「え? うん、そうだよ」
「わたしには、何も聞こえません」
アリア、すごいです。
などと全肯定のシスティナはなんでも褒めてくれるので、アリアは照れ笑いを浮かべた。
「それで、私に用って?」
『はい。新たなアウラの花弁の
「ほんと!?」
アリアは思わず聖花に向かって前のめりになる。
アウラの花弁を入手することがアリアの使命であり、その使命を果たすことで家族の安全を守ることに繋がるから。
『アウラの花弁は、星見の山脈の方面にあります』
「星見の山脈?」
アリアが小首をかしげると、背後で見ていたシスティナが補足する。
「北の大地に並ぶ、広大な山々です。とても広くて、雪が降っている地域もあります」
「そ、そんなに広いところなの? そこからアウラの花弁を見つけ出すなんて、できるかな……」
広大な山脈の中を探し物なんて、あまりにも途方もないことだ。
『大丈夫……だと思います。ある程度であれば、アウラの花弁の存在する場所は絞り込めているので』
「そうなの?」
『具体的な場所を示す手段はわたくしにはありませんが、途中にある聖花を中継地点として、道案内をいたします』
「そっか……それなら」
なんとかなりそうだ。
アリアが安堵すると、話が一段落したことを察したシスティナが言葉を挟む。
「北の山脈に向かうのですか?」
「うん。そこにアウラの花弁があるらしいから」
「そうですか……」
システィナは一瞬だけ遠くを見るような目をした。
「それなら……わたしも少しだけ土地勘があります」
「システィナが?」
「えっと、はい……」
小さな声で、システィナは続ける。
「……もともとわたしは、そちらの出身なので」
もともと、普段から暗い顔をしているシスティナだが、このときはいつも以上に悲しげだった。
(やっぱり……どうしても思い出しちゃうのかな)
システィナの過去。犯してしまった罪と過ちの記憶が、故郷の話をしたことで蘇ってきたのだろう。
「システィナ、今回はナガルで待っててもいいよ」
「え……どうして?」
「なんだか、つらそうな顔をしてたから」
「そ、そんなこと……ないです。大丈夫です。わたしもアリアと一緒に行きます」
力になりたいから――。
システィナは小さくそう付け加えた。
「そっか……ありがとう。でも、無理しないでね」
「無理なんて……そうだ、アリア。山脈へ向かうなら、相応の準備をしなければなりません」
「……そうだね。私はあまり山歩きの経験がないから、いろいろ教えてくれると嬉しい」
頼られたことで、少しだけ表情が晴れたシスティナは「任せてください」というふうにうなずいた。
星見の山脈。システィナが生まれ育った故郷に近いその場所で、今度はどのような冒険が待っているのだろうか。
二枚目のアウラの花弁を手にするために、アリアたちは冒険の準備を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます