第38話 朽岩の竜――幼きケルドレイル 6

 死竜が咆哮を上げる。

 すると周囲の地面から黒炎が噴き上がり、ごうと渦を巻き始めた。


「くっ」


 アリアは小盾バックラーで身を庇いながら前へと進む。防ぎ切れなかった黒炎に身を焼かれながら。

 近づくほどに濃くなる瘴気。毒が辺りに充満してきている以上、短期決戦を挑むしかない。


「やあああ!」アリアは気迫を込めて剣を振るう。

 狙うのは死竜の首。巨大な顎へと繋がった首は太くて頑丈だからアリアの剣では切断することはできないだろうけど。それでも、大きな傷を負えば死竜といえど無事では済まないだろう。

 ざしゅん、と肉を引き裂く感触が手に伝わる。


(……っ、浅い!)


 あと一歩――踏み込みが足りなくて剣先がかすめただけにとどまった。

 死竜に近づくほどに濃くなる瘴気と吹き荒れる黒炎が、アリアの視界を覆い尽くす。


(前が、見えない――!)


 思わず盾で顔を庇ったアリアへと、死竜は薙ぎ払うようにして前脚を振るった。


 どん、

 と脇腹を中心に重い衝撃が襲いかかる。

 アリアの世界の概念で例えると、大砲で撃たれたような、大型車が追突したような一撃。胴がなかばから千切れそうなほどだった。

 華奢な体は軽々と吹き飛び、地面をバウンドして硬い岩のような何かを砕いて止まった。


「かはっ」


 視界が赤く染まる。ごぽっ、と口から大量の血を吐き出した。

 肋骨は砕かれ、中の臓器もめちゃくちゃだろう。


 突き飛ばされたアリアの体がぶつかって、何かを砕いた。

 それは大いなる竜「グランドレイル」の亡骸、その尻尾の部分だった。


 血に塗れた少女は、化石の破片に塗れて埋まってしまった。


「アリアッ……!」ルイスが叫んだ。


 気が遠くなる。小さな灯火が消えゆくように、命も尽きかけているのを確かに感じるが、激しい痛みによって、まだアリアの意識は保たれていた。


「はぁ、はぁ……んっ……」


 アリアは腰のベルトをさぐって霊薬瓶を手に取り、それを飲んだ。解毒ポーションの瓶は割れてしまっていた。

 神花の霊薬を飲むと、立ちどころに傷が治って折れていた骨も繋がり、体を動かすことができるくらいまで回復した。やはり、アリアのような迷い人にとって霊薬の効果は絶大だ。


 立ち上がって剣を構えるアリアに、ルイスが言う。


「……もういい……アリア。……ぐっ……私を囮にして、貴公だけは逃げるんだ……!」


 それはできない。

 と、アリアはかぶりを振った。


 ここで二人を見捨てて私だけが生き残るなんて、そんなのはダメだ。


 誰かの犠牲の上で生きることのつらさを知っているから、諦められない。全員が生き残るための方法を、その糸口を探し続けながら――。


「私は、最後まで戦う」


 アリアは足を踏み出した。前へ。

 死竜の意識がルイスとシスティナに向かないように、攻撃を引きつけなければならない。

 周囲はだんだんと暗くなり始めて、死竜の姿が闇に紛れて見えづらくなる。どうやらシスティナのかけていた「星灯り」の魔術の効果が薄れてきたらしい。


 死竜の咆哮に合わせ、噴き上がる黒炎。


 視界が闇に包まれようとした、その瞬間――アリアの背後で、光が灯った。

 聖花の明かりにも似た優しい光。


 目覚めたシスティナが魔術を使ったのかと思ったが、違った。

 光っているのは、大いなる地龍グランドレイルの亡骸に守られるようにたたずむ、花の紋様が描かれた石碑だった。


「え……なに?」


 温かな光が石碑から溢れ出し、光線となって、アリアの剣に注がれる。

 アリアの持つミスリルの剣に、白い光が宿った。


「これは……」


 戸惑い、思わず剣に気を取られたアリアへと、死竜が前脚を振り下ろした。


「……っ!」


 気がついたアリアがとっさに横へ飛んで避ける。

 その激しい動きに合わせて剣が光の尾を引き、半透明の花びらがひらひらと舞う。

 体が軽い。それに、なんだか力が湧いてくる。


「これなら……戦える!」


 アリアは死竜へと飛びかかった。

 瘴気にも、立ちはだかる黒炎にも怯まず接近し、剣を振るう。


 一条、二条。

 白い光と花弁の光芒が閃く――。


「――――!!」


 死竜に刻まれた傷口から巻き起こる、光の奔流。絶叫のような咆哮を上げ、死竜は鋭い歯が並んだ顎による攻撃を繰り出した。

 アリアはそれをギリギリで躱して、また剣を叩き込む。


 光に包まれる死竜。再生すら追いつかないその一撃を見て、ルイスは言葉を漏らした。


「あれは……竜を殺す武具」


 不思議な光に包まれた真銀の剣は、それを振るうアリアの一撃は、たしかに竜にダメージを与えていた。


「竜殺しの剣」


 そのとき、追い詰められた死竜は、最後の力を振り絞るように、体の周囲で黒炎を爆発させた。


「きゃあっ!」ほとばしる黒炎に巻き込まれ、アリアの動きが止まる。

 視界を奪われた少女へと、死竜は強烈な頭突きを繰り出した。

 悲鳴を上げながら吹き飛ばされ、硬い地面を転がっていく。


 傷だらけになりながらも、アリアはきっと死竜を睨んだ。


「まだ……だ!」


 神花の霊薬を飲み干す。最後の一口だ。

 傷を癒したアリアが立ち上がるよりも前に、死竜は大きな顎を持ち上げた。

 黒炎と瘴気のブレスが来る。アリアの心に絶望の影が差す。


 そのとき――。

 雷光をまとった槍が閃いた。


「うおおおッ!」


 ルイスだ。

 ボロボロの体を闘志によって動かし。死竜と同じく、こちらも最後の力を振り絞って。

 竜の巨大なあぎとに、雷槍を突き立てた。


 吐き出そうとしていた黒炎と瘴気が爆発を起こし、それがルイスを襲う。それでもこの槍だけは離さない。


「アリア――!!」

「……、うん!」


 ルイスの作った千載一遇せんざいいちぐうの好機。

 剣を構えたアリアは、黒炎と瘴気をかき分けて、死竜へと肉薄する。白い花弁を舞い踊らせながら。


「たああ!」


 ――死竜の首へと目掛けて剣を振り抜いた。


 剣閃により頭部と胴が分かたれ、遅れて巻き起こる白光の爆発。それは死竜の全身を飲み込み、巨体が地面へと崩れ落ちる。

 動かなくなった死竜の体。

 編んだ糸が解けていくように、黒霧となって空気に溶けるようにして消えていく。


「倒し……た……?」


 アリアは呆然とつぶやく。

 ルイスも、消えていく死竜を声もなく見つめている。

 やがてその暗色の体のすべてが霧になって溶けゆくと、そこに白く光る大きな花弁が姿を現した。


「これは……アウラの花弁?」


 ルイスは傷だらけの体を引きずり、アリアの隣に立った。


「それが君の探し求めていたものか?」

「うん。そうだと思う」

「そうか。やったな、アリア!」


 ルイスがぽんとアリアの背を押した。

 アリアは花弁へと手を伸ばす。


 そのとき、視界が白く染まった――。

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