第37話 朽岩の竜――幼きケルドレイル 5
アリアはシスティナを庇いながら、飛びかかってくる死竜の一撃を紙一重で避け、
「くっ、う……!」
黒炎はそれ自体が質量を持っているように重く、小さな盾では受け切れなかった火の粉が体中を焼いた。
死竜は四つ足で踏ん張って突進の勢いを殺し、即座に尻尾を振り回して攻撃をしてくる。
(速い……!)
地面を転がるようにして、かろうじて尻尾を避けるが、火の粉のように飛び交う黒炎は少女たちの体を
死竜は巨大な顎をガチガチと噛み合わせながら、四つ足を鳴らして地響きを立てながら大空洞を走り回る。
恐ろしい迫力の突進。動きが激しすぎて手がつけられない。さらに死竜が少しずつ吐き出している毒の瘴気のせいで、呼吸が苦しい。
アリアとシスティナはがむしゃらに逃げ回って死竜の攻撃から逃れる。その先には、攻撃を受けて膝をついている青年騎士がいた。
「ルイス、危ない!」
はっと顔を上げた騎士ルイスは、すぐにその場から飛び退いた。
轟音。それに地響き。
死竜が壁に激突し、バラバラと石の欠片が落ちてくる。
衝撃とともに巻き起こる黒炎が、傷だらけのルイスの体を焼いた。
さらに死竜が、黒炎をまとった前脚を大きく振り上げる。
アリアが悲鳴混じりに叫んだ。「逃げて!」
ルイスは肩で息をしながら立ち上がると、死竜へと槍を構えた。
「うおおおッ!」
地面を強く蹴り、踏み込んでいく。
ルイスは懐に潜り込むことで前脚の攻撃を
「ここで倒れるわけにも、引くわけにもいかない……私は君の魂を、その誇りを救う!」
顔を貫かれても動きを止めることのない死竜に、振り落とされまいとルイスはしがみつく。
ルイスの槍にはシスティナによって
だが暴れ回る死竜を押さえつけておくのは困難で、でたらめに振り回した前脚がルイスの脇腹をしたたかに叩いた。
「――がはっ!」
「ルイス!」
ふたたび倒れたルイスのもとへとアリアが駆けつける。
咳き込み、血を吐きながらも、ルイスは立ち上がった。
「大丈夫……だ……」
「でも……」
「だが、私一人ではあの竜を倒すことは叶わない……。頼む……アリア、システィナ、力を貸してくれ」
真摯に、切実に、ルイスは言った。
何を言っているの、とアリアは息を吐いた。そんなの、とっくに覚悟はできているのに。
「当たり前だよ! やろう、ルイス、システィナ」
「はい!」
死竜が大きな顎を天井へと向ける。その閉じた口の端からは、瘴気の黒霧が漏れ出していた。
「ブレスが来るよ……!」
システィナが杖を両手でしっかりと握りしめて意識を集中させると、その先端に魔力の光が灯る。
「アウラよ。万象たるマナよ、一陣の風となって吹き荒れよ……
吹き荒れる風が、瘴気の霧を押し返す――はずだった。
だが、死竜の巨大な口からは瘴気に混ざって黒い炎も吐き出されており、それは突風の魔術だけでは跳ね返せなかった。
「うわああ!」
「きゃああっ!」
「くっ!」
防ぎ切れなかった黒炎の息に三人は巻き込まれる。熱とはまた違った痛みがアリアたちの全身を襲った。
視界が霞む中、死竜のほうへと顔を向ける。
もう一度、死竜は顎を上へと向けていた。
「げほっ……また、ブレスが来る!」
瘴気の霧が顎の端から漏れ出す。
黒い炎が死竜の口元に集まっていく。
這うようにして、システィナが前に出た。
「……
光の壁が出現し、死竜の口から吐き出された激しい黒炎を防ぐ。
しかし今度は漏れ出す瘴気を防ぐことができず、毒の霧が周囲を覆い尽くしていく。
「……んっ」
呼吸を止めたまま、システィナは光の壁を維持し続ける。
光の壁に込められた少女の魔力が、黒炎に押されて軋んでいるのがアリアにもわかった。
それでも気力で黒炎を防ぎ切ったシスティナは、すぐに次の魔術を行使する。
「
空気を操る魔術だが、すでに蔓延している毒の霧を混ぜ合わせて薄める程度の効果しか発揮しない。それでも、広い大空洞に霧を行き渡らせることで、かなり濃度は薄まった。
大技を連続で使った後でも死竜の動きは鈍ることなく、巨体を走らせてシスティナ目掛けて襲いかかる。
「システィナ!」
アリアは死竜の攻撃を引き受けるために、システィナの前へと躍り出た。
体が重いし、息が苦しい。息は止めていたが、三人とも多少なりとも毒を受けている。
邪魔だとばかりに振るってくる死竜の前脚を躱し、アリアはとにかく周囲を駆け回り続けた。走るほどに息が上がり、そのぶんだけ毒を吸い込んでしまうが、止まるわけにはいかない。止まるわけには――。
アリアが攻撃を引き受けている間に、ルイスが槍を振るう。だが、さすがのルイスも消耗が激しく、最初の頃ほどの力が出せずにいる。
アリアとルイスの連携によって死竜は傷を増やしていくが、決定打にはならず、古い傷はどんどん再生していく。
――倒し切れない。
このままアリアたちの体力や集中力が切れてしまえば、今度こそ致命的な一撃を受けてしまうだろう。
死竜の攻撃は、どれも当たればタダでは済まないのだ。
爪で薙ぎ払い、尻尾を振るい、大きな顎で噛みつく。そうして暴れるほどに噴き上がる黒炎がアリアたちの体を焼く。時間が経つほどに、毒が体力を奪っていく。
ルイスは両足で強く地面を踏み締めて立ちながら、自らを鼓舞した。
「負ける……ものか!」
強い気迫。この戦いにかけた想いが伝わってくる。
もう、戦術とか言っていられない。アリアも必死に攻撃を避けて、剣を振るった。
少しでも死竜を消耗させられるように。生き延びて、このかわいそうなドラゴンを解放してあげて、みんなで町に帰るんだ。
そのとき、雷鳴が鳴り響いた。
音の発生源は、ルイスの手に持つ槍だった。
槍の穂先が小さな太陽のような光を放ち、帯電していた。
「行くぞ、死に生きる竜よ!」
ルイスが雷を帯びた槍を振るう。
その一撃によってドラゴンは叫び声を上げながら大きくのけぞった。
「ルイス、今のは?」
「わからない。だが、今が好機だ!」
これが、ルイスの言っていた竜を殺す力なのだろうか。
体勢を崩した死竜へと、アリアとルイスが肉薄する。
「たああ!」
アリアの剣が、死竜の胴体を斬り裂いた。
その斬り傷と交差するように、ルイスの槍が閃く。
バツの字を描く二人の斬撃を受け、死竜は再び吠えた。
「やった! ルイス、このまま押し切るよ……!」
「ああ!」
ちょうど二人が距離をとった瞬間を見計らって、システィナの魔力の矢が死竜へと直撃した。見事なタイミングだ。
青白い光の爆風が晴れるのを待たずに、アリアとルイスは同時に死竜へと飛びかかった。
そのとき――。
死竜が猛烈な咆哮を上げた。
武器を振りかぶっていたアリアとルイスの全身が衝撃でビリビリと痺れる。
そして死竜の足踏みと同時に周囲から黒炎が噴出し、熱風が吹き荒れる。
「うわあ!!」その爆発によってアリアが悲鳴を上げながら吹き飛ばされ、
「ぐっ!」とっさに腕で身を庇ったルイスを黒炎が襲う。
「アリア! ルイスさん!」
黒炎の混ざった突風に吹かれながらシスティナが声を上げた。
ルイスとアリアはなんとか受け身をとって身を起こす。
死竜が四肢を力強く踏み出して、走り始めた。
どすんどすんと石の地面を踏み荒らしながら、システィナ目掛けて突進してくる。
「避けろ、巻き込まれるぞ!!」
ルイスの声を聞いたシスティナが、はっとして横へと跳ぶ。
転倒して白い肌に擦り傷を作りながらも、なんとか死竜の突進を避けた。
すると死竜は四肢を踏ん張ることで地面を抉りながら急ブレーキをかけて反転、ふたたびアリアたちのほうへと体を向ける。
――グオオオ!!
けたたましい咆哮が響く。
死竜はふたたび突進してきた。
しかも今度は、口からブレスを吐き、黒炎と瘴気をあたり構わず撒き散らしながら。
「――きゃああっ!」
竜の突進に巻き込まれ、文字通りシスティナは弾き飛ばされた。
「システィナ……! くっ!」
アリアは竜の突進を避け、撒き散らされる黒炎を盾で払いのけた。
またも地面を抉りながら急停止する死竜。三度目の突進。
その
助けなくては。
アリアはシスティナのもとへ駆け寄るが、間に合わない。――このままでは、二人とも死竜の攻撃に巻き込まれてしまう。
「アリア、システィナを頼む!」
ルイスが死竜の前に立ち塞がった。
両手で構えた槍を突き出して、突進を正面から受け止める。
いくらルイスの力を持ってしても、あまりにも無茶な行動。
「ぐああッ!!」
ルイスは突き飛ばされ、さらには黒炎のブレスを浴びてしまうが、突進の勢いがわずかに削がれた。
その隙にアリアはシスティナを抱えて、地面を転がるようにして死竜の突進から逃れる。
時間差で襲い来る瘴気と黒炎。アリアは自らの身を盾にして、システィナを守った。
「ルイス、大丈夫!?」
全身に焼けるような痛みが走る。毒を浴びて呼吸が苦しい。
その中でなんとかアリアは顔を上げて、ルイスを探して周囲を見回す。
いた。死竜の突進を受けて弾き飛ばされたルイスは、全身を傷だらけにして地面に伏し、起きあがろうと必死にもがいていた。
「くっ……う……。あの竜は、私が……救う……!」
地面を掴むルイスの手が、そして足が震える。
立ち上がろうと力を入れているが、体が答えてくれないのだろう。
その怪我じゃあ、無理だ。
ようやく動きを止めた死竜が、緩慢な動作でアリアのほうへと振り向く。
「アリア……君だけでも、ここから逃げるんだ……!」
おそらく神花の霊薬を持ってしても、戦えるほどには回復できないだろう。霊薬はアリアのような迷い人でなければ本来の力を発揮できないのだ。
目の前には、手負いであるが、いまだ健在な死竜。
「……逃げないよ」
アリアは剣を構えた。消耗した体に、剣が重い。
神花の霊薬と、毒消しのポーションを急いで取り出して一口飲んだ。
「私は、こんなところで諦めない……最後まで戦う」
ここから、ルイスとシスティナの二人を、あるいはどちらか一人ですら連れて逃げるのは不可能だ。
二人を見捨てて自分だけで逃げるなんて、できるわけがない。
どうにかするんだ。生きて三人で帰るために。
そうでないと、私は――。
「アリア……」
ルイスに一度うなずきかけてから、アリアは視線を戻す。
黒炎と瘴気を巻き上げ襲いかかる死竜へと、少女は剣を手に立ち向かっていった。
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