第36話 朽岩の竜――幼きケルドレイル 4

 死竜の前脚による攻撃が迫る。

 瘴気のブレスに生命力を蝕まれている三人の中で、すぐに動くことができたのは、ルイスだけだった。

 真っ先に標的にされたのは、死竜の一番近くにいたシスティナだ。毒で動けずにいる少女に、ルイスはすぐさまおおかぶさった。


「システィナ!」


 直後、すさまじい膂力りょりょくを持つ前脚がルイスの背に叩きつけられた。

 かばった少女ごと吹き飛ばされ、地面を転がり、崩れ落ちるようにしてルイスは地に伏せる。


「ぐっ……」


「ルイス!」アリアが振り向く。


 完全には庇い切ることができなかったのか、システィナの額からも赤い鮮血が流れていた。


(わ、私が……持ちこたえなきゃ……!)


 二人とも倒れてしまった。ここで踏みとどまって、時間を稼がないと。

 死竜に有効打を与えられるのはルイスの槍だけだ。それにシスティナの魔法の援護なしでは、隙を見出すのも難しい。


 残った一人の少女を仕留しとめんと、死竜の顎が迫った。


「わっ」


 予想以上に素早い噛みつき攻撃を、アリアは紙一重で回避する。逃げ遅れたスカートの裾が、無数に並んだ鋭い歯によって千切り取られた。

 続く前脚の振り下ろし。ぶおん、と瘴気の霧を裂きながら迫る。

 アリアは横へとんで避け、地面を転がりながら着地した。息が苦しい。くらくらと眩暈めまいがする。アリアの体にも毒が回っている。


 死竜は叩きつけた前脚を今度は振り上げて、体勢を崩しているアリアを狙った。

 いびつな爪が当たる直前、アリアは盾を前に突き出して防いだ。


 がつん、と重い衝撃とともに体が持ち上がる。


 飛ばされながらも、後転しながら受け身を取って起き上がったアリアは、急いで腰に下げていた小瓶を手に取った。

 神花の霊薬ではなく「解毒ポーション」の瓶だ。祭祀場の入り口に置いてきた背負い袋の中から取り出しておいた一本。激しい戦闘の中でも、幸運にも割れていない。

 アリアは急いで瓶の蓋を開けて、一口飲む。毒と呼ばれるものなら広い種類に効果のある、万能な魔法の解毒薬。おそらく死竜の瘴気にも効果があるだろう。


 本当はシスティナとルイスにも飲んでもらいたいが、飲ませている余裕はない。


 すぐに死竜の尻尾による攻撃が来た。


「……っ!」


 床に伏せて避けたアリアの髪を尻尾が叩き、壁に激突して地響きを立てた。

 まだ目の前がくらくらとするし、吐き気もひどい。解毒ポーションは一口飲んだだけじゃ十分な効果は発揮しないことは知っていたが、瓶の中身を全部飲んでしまうわけにはいかない。こういうときのためにシスティナとルイスもそれぞれ一本ずつ携帯しているが、先ほどの戦いの中で割れてしまったかもしれないので、念のために彼らのぶんも残しておく必要がある。


「まだ……まだぁっ!」


 ここで倒れたら、三人ともやられてしまう。

 自らを鼓舞してアリアは立ち上がったそのとき、死竜の両脚が持ち上がった。

 馬がいななくように二本足で立ったドラゴンの大きな脚部が、のしかかってアリアを踏み潰そうと落下してくる。


「う、わああッ!?」


 距離を取り、降ってくるドラゴンの巨体をギリギリのところで避ける。

 ずしんという衝撃とともに埃が舞って視界をおおった。


 死竜の攻撃をしのいでいるうちに、アリアはいつの間にかルイスたちの近くまで後退していた。


「アリア!」

「ルイス、気がついたの!?」

「ああ。よく持ちこたえてくれた」


 後方ではシスティナがふらつきながらも立ち上がっていた。どうやら二人とも無事だったようだ。


「……アリア、いったん後退しましょう。次にブレスが来たら、今度こそ全滅してしまいます」


 後退といっても――逃げられる場所は、あの大きな竜の亡骸のある大空洞だけだ。

 一瞬だけアリアが迷っていると、死竜が息を大きく吸い込みながら頭を高く上げた。

 まただ。瘴気のブレスが来る。


「……っ! 迷ってる時間はないね」


 アリアたちは反転し、迷宮の奥へと向かって走り出した。

 背後からは、ドラゴンの吐き出した黒い霧のような瘴気のブレスが迫る。


「急げ、巻き込まれたら今度こそただじゃすまない!」


 ルイスが言った。

 無茶だよ。とアリアは心の中で悲鳴を上げた。さすがにこの空気の流れより速く走ることはできない。

 走るアリアたちに、黒い霧が追いつこうとしたとき、先頭を走っていたシスティナが死竜のほうへと振り返った。


「アウラよ。万象たるマナよ、一陣の風となって吹き荒れよ……! 突風の魔術ウィンドガスト!」


 システィナが呪文を唱える。

 すると遺跡の大通路に強風が吹き、瘴気の霧を押し返した。


「今です。急いで大広間まで後退しましょう……!」


 風が巻き起こったのは一瞬で、瘴気の霧は空間を侵食していくように、ふたたびアリアたちのほうへと迫ってくる。だが、それだけでも十分な時間稼ぎだった。

 その間にアリアたちは走り、階段を駆け降りて大空洞へと向かった。




 遺跡を抜けた先にある大空洞。巨大な竜グランドレイルの亡骸のあるこの地で、アリアとルイスとシスティナの三人は「死竜」を迎え討つための構えを取った。

 どすん、どすんと地響きを立ててドラゴンが通路を移動してくる。

 先頭にいるルイスが、振り向きながら二人の少女に声をかける。


「この広さを活かすんだ。足を止めずに、攻撃の的を絞らせないようにして戦うぞ」

「わかった。毒のブレスが来たらどうする?」


 後退するにも、ここは迷宮の最新部だ。ブレスの前兆が来たら、すぐに死竜の脇をすり抜けて出口へと走るべきだろうか。


「そうだな……おそらくこの広さなら、すぐには毒の瘴気が充満することはないだろうが。解毒薬は残ってるか?」

「うん。システィナのポーチに入ってた分で、全員に一本ずつ」


 祭祀場の入り口まで戻れれば、アリアとルイスの背負い袋からもっと必要なアイテムを用意できるのだが、死竜のいる場所を通り抜けていくことは困難だから、手持ちでどうにかするしかない。


「システィナ、瘴気のブレスが来たら、また風魔術で吹き飛ばすことはできるか?」

「はい。あまり得意な属性ではないのですが、習得しておいてよかったです」


 まさか風魔術が役に立つなんて……とシスティナはつぶやいた。

 彼女が言うには、突風を起こすだけの風の魔術は戦いに用いられることは滅多にないらしい。ビデオゲームでは風魔法といえば、しっかりと戦闘向けの属性攻撃の一つではあるのだが。

 こちらファウンテールでも「かまいたち」を起こして攻撃する魔術もあるにはあるが、理論が複雑な割に効果も弱い、使いづらいものだという。

 不定形の液体や気体、つまり水や風を操るよりも、岩などの硬い物質を操ったり炎や冷気をコントロールするほうが強力な効果を得られるわけだ。

 ちなみにシスティナの操る魔力そのものを破壊の力としてぶつける魔術は、属性魔法とはまた違う系統の理論があるらしく、彼女はそちらのほうが得意なのである。


「では、瘴気のブレスには風の魔術である程度は防ぎながら――」

「なんとか避け切るしかないね。いざとなれば解毒ポーションを使って耐えよう」


 アリアが早口で言い切った瞬間、死竜が咆哮を上げながら大空洞へと入ってきた。

 竜はもはやそれ自体が瘴気に包まれていて、近づくだけで息苦しさを感じる。

 ルイスとシスティナは、うなずきながらそれぞれの武器を構えた。


「アリア、システィナ、行くぞ」

「うん!」

「はい!」


 ふたたび死竜との戦闘が始まる。

 狭い通路から出て動きやすくなったのは死竜とて同じで、大きな体を跳躍させ、一気にアリアたちのもとへと近づいてくる。


「うわああッ!」


 踏み潰されないよう、アリアは急いでその場から離れた。

 衝撃。

 地響きが空洞を揺らして、壁からパラパラと岩の破片が落ちてくる。

 相変わらずすごい迫力だが、怖がっている場合ではない。


「くっ……来い!」


 死竜の気を引くように、アリアは目の前を動き回った。

 システィナとルイスが攻めるチャンスを増やすためにも、少しでも攻撃を引き付ける必要がある。

 標的をアリアに定めたドラゴンが、本来のイメージよりも長い前脚を振るって叩き潰そうとしてくる。

 ずがぁん! と硬い爪が地面を砕いて、横へと跳んで避けたアリアを破片が襲った。

 頬が切れて、流れる血を腕でぬぐう。


「……魔力付与エンチャント


 システィナがルイスの槍の穂先をなぞる。

 刃に青い魔力の光が宿った。


「ありがとう、システィナ!」


 青い奇跡を描く槍を振るい、ルイスは死竜へと攻め立てる。

 やはりルイスはすごい。激しい攻撃をいなしながら、死竜の体に次々と傷を作っていく。


「アリア、こちらへ!」


 システィナがアリアに呼びかけた。


「うん!」


 意図を察したアリアは、システィナに剣を差し出す。

 ルイスの槍にそうしたように、システィナは剣の刀身に手で触れた。


「よし……いまだ!」


 死竜がルイスに気を取られている隙に、魔力をまとった剣を振りかぶった。

 閃く青の光芒。

 それが死竜の体を引き裂くと、その巨体がまばゆい魔力の光に包まれた。

 ――魔力撃だ。土壇場で成功した。


すさまじい威力だ……やるな、アリア!」


 死竜が大きくのけぞり、怯んだ。

 好機だ。ルイスが隙を作ってくれたから、この一撃を当てることができた。

 ルイスとアリアは、死竜へと飛びかかった。システィナも杖に強く魔力を込める。


 ごう、と竜が短い唸り声を上げた。

 直後。竜の周囲に黒い炎のようなものが渦巻き始めた。

 暗色の炎。闇そのものとでもいうべきエネルギー体が、死竜の体から溢れてくる。


「……っ! 怯むな、押し切るぞ!!」


 ルイスはそう言うが、背筋を走る戦慄が警笛を鳴らしていた。

 攻めようという意思と板挟みになったアリアの動きが一瞬止まったそのとき、死竜の巨大な顎が開いた。


「グォォォオオ――ッ!!」


 死竜が叫び声を上げた。

 雄叫びだ。同時に暗色の炎が周囲から噴き上がり、ルイスとアリアの体を吹き飛ばした。


「ぐあッ!」

「きゃああっ!」


 渦巻く、黒い火の玉。

 巻き込まれたルイスが空中に投げ出され、そのままどさりと地面に倒れる。

 黒炎の渦はそのままアリアと、後ろにいるシスティナまで巻き込んでいく。

 熱いのか痛いのか、よくわからない。システィナの魔力の光のような、体を壊される苦痛だ。

 それにさらされながら、システィナが声を上げる。


「うっ……ル、ルイスさん……っ!」


 闇の魔力をもろに受けて吹き飛ばされたルイスは、すぐには起き上がれずに膝をついている。


 怨霊を具現化したような闇をその身にまとった死竜は、呼吸に合わせて巨大な顎の端から瘴気の霧を漏らしながら近づいてくる。そしてもう一度、雄叫びのような咆哮を上げると、全身を躍動させてアリアへと襲いかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る