第34話 朽岩の竜――幼きケルドレイル 2


「ドラゴン……ですか?」


 システィナがルイスに聞き返す。ドラゴンという種族には、システィナも浅からぬ縁がある。


「そうだ。……異形へと身をやつしているが、あれは間違いなく竜だよ」


 四つ足に大きな顎。そう言われると、あの獣にはたしかにドラゴンらしい特徴があるような気がした。


 遺跡の通路は階段へと変わり、地下へと向かう。

 人工物だった壁や床は、だんだんと岩肌へと変わっていった。


 三人はここで、今のうちに少し休憩を取ることにした。戦いの連続でさすがに疲労が溜まっているからだ。

 階段状になった地面に腰掛けて、高い天井を見上げながらアリアが言う。


「なんだか洞窟みたいな景色になったね……遺跡の外に出たのかな?」

「はい。ここはちょうど岩山の真下あたり。地下空洞なのでしょう」


 壁を背にして座るルイスは、まだ難しい顔をしていた。


「ルイス、大丈夫? なんだか、ずっとつらそうな顔をしてるけど」

「それは……」


 ルイスは片手で額を押さえる。声は少しだけかすれていた。


「……なんとも、やりきれなくてな」

「それは……あのドラゴンのことですか?」


 そう言ったのは、察しのいいシスティナだった。


「ああ。どうしても……他人のようには思えなくてな」


 今回のことに関して、ルイスはずいぶんと入れ込んでいる気がする。

 何か理由があるのだろうか。そのアリアの疑問に答えるように、ルイスが語り始める。


「物心ついた頃から……私には、実の両親がいなかった」

「……孤児だったの?」


「いや」ルイスは少しだけ表情を緩めて――微笑んだ。「育ての親がいたんだ。だから私は、孤独ではなかった」


 アリアもシスティナも、歩みを止めてルイスの話を聞いた。


「その人は……今どうしてるの?」


 瞳がわずかに揺れる。

 その端正な横顔に映っているのは、憧憬か、あるいは慕情のように見えた。


「人ではなく、竜だ」

「え……!?」

「私は十五の歳まで、ドラゴンによって育てられた」


 アリアは驚いてルイスの顔を見る。システィナも目を丸くしていた。


「まあ、そういう反応だろうな。私は人里離れた土地で竜に保護され、野山を駆けながら育ったんだ」


 意外だった。ルイスにそんなワイルドな過去があったとは。

 もしかすると――彼の持つ独特な雰囲気、それに少し天然っぽいところは、その稀有けうな生い立ちによるものなのかもしれない。


「私にとって竜は親であり恩人だ。だから――竜の尊厳を奪うような行為は、私にとって到底とうてい許すことができない」

「ルイスは……ドラゴンが好きなんだね」


 ルイスはうなずいた。すごく純粋で素直な気持ちだと思う。

 しかし、システィナはぽつりとつぶやく。


「わたしは……ドラゴンは……あまり好きではありません……」


 ルイスは一瞬だけ目を細めるが、少女の申し訳なさそうな表情を見て、ふと微笑みを浮かべた。


「それは、まあ、人それぞれだ。私のような存在を嫌ってくれても構わない」

「あ、いえ……そんなことは……」

「だが……たとえ憎んでいたとしても、その尊厳までは否定することのないと……それだけは、約束してほしい」


 システィナが小さく口の中で「尊厳……」と言葉を漏らした。

 その表情は――なぜか、ひどく悲しそうだった。


「ルイス……。それで、さっきのドラゴンはどうする?」


 ルイスの気持ちを考えると殺さずにどうにかしたいものだけど、あの獣のような異形のドラゴンに理性があるようには思えなかった。


「……楽にしてやるべきだろうな」


 ルイスの槍を握る手に、震えるほど強い力がこもる。


「あのドラゴンは、もう死んでいる。あれは竜の亡骸だ」

「亡骸? えっと、それって……」

「アンデッド……なのですね」


 システィナの言葉を、ルイスが肯定した。


「そうだ。不死神カカロスの呪いにより蘇り、穢れの神ダムクルドの力で変わり果てた、竜の亡骸……だろう」

「では、あのゴブリンの使っていた儀式は、ネクロマンシー」

「ああ。間違いない」


 ルイスとシスティナの使っている単語はアリアにはなんとなくしかわからないが、それがとてもおぞましく冒涜的であることは、彼らの表情でわかる。アリアの世界の倫理観に照らし合わせたってそうだ。

 死してなお、その亡骸を邪悪なゴブリンに利用される。それはあまりにも、残酷で悲しいことだと思う。

 ルイスにとって、到底許せない所業だろう。

 アリアも決意を固めた。


「……あのドラゴンを、安らかに眠らせてあげよう。そのためにも、どうにかして対抗手段を考えないと」

「ああ、そうだな。……ありがとう、アリア」


 ルイスの表情は、先ほどより緩んでいた。

 状況を皆に共有したことで、少しだけ気持ちが楽になったのだろう。


「そして、あの死竜への対処法だが」


 死竜。

 ルイスはあのドラゴンのことをそう称した。


「もしかしたら、この遺跡の中に、あの竜を殺す方法があるかもしれない」

「どういうこと?」


 これも確証がないことではあるが……とルイスは続ける。


「神々の力を宿し、竜をも殺すことのできる武器――それがこの地に眠っているという伝承があってな。もとより私は、それを求めてこの地まで来たんだ」


 今回のゴブリン退治の依頼も、この地方のどこかにあるという遺跡の遺物を探すついでに受けた。

 崩れた岩山の奥から新たに見つかったというこのアル・グレイル遺跡であれば、伝承にある「竜を殺す武器」が見つかるかもしれないと。


 ルイスの話を聞いたシスティナが口を開く。


「ゴブリンの祭司が死竜を呼び出したということは、おそらくこの遺跡の中に竜の亡骸があったということですよね。だとしたら……」

「ああ。この迷宮にこそ、伝説の武具が眠っている可能性がある」


 力強くそう言ってから、すぐに意気消沈したようにルイスはため息をついた。


「とはいえ……これはあくまで私の願望だ。竜を殺せる武器が、本当に存在するのかすらわからない」

「でも、それに賭けてみる価値はあるよね」


 アリアは語った。もともとあの死竜は、ルイスの攻撃でもシスティナの魔法でも、まともなダメージを与えられなかった強敵。これでは、アリアとシスティナが二人で協力して放つ「魔力の剣」でも、決定打になるかはわからない。

 だから、たとえ僅かでも可能性があるのなら探してみるべきだ。


「そうだな……。私の目的に、付き合ってもらえるか?」

「うん。システィナもいい?」

「私はアリアに従います」


 方針は決まった。

 いつ死竜が追ってくるかわからない状況ゆえに、ゆっくりもしていられないため、アリアたちはさっそく行動を再開した。

 迷宮のさらに奥を目指して。




 階段状になった通路を下ると、また視界が開けた。

「地下の大空洞」というシスティナの口にした表現が実にしっくりと来る、巨大な空間だった。

 辺りは暗く、しんと静まり返っている。

 ゴブリンたちの生き残りがいることを警戒していたが、今のところは見当たらない。それどころか、これまで彼らが生活していたような残骸も、糞尿の臭いもない。


「祭祀場の奥は、ゴブリンたちにとっても禁足域だったのかもしれませんね」とシスティナは推察した。


 静かだ。その静寂に、何か神聖なものを感じる。

 空洞を通る風の音だけが、まるで巨大な生き物の呼気のように、かすかに聞こえてくる。


「風が吹いてるみたいだね」


 アリアが言うと、システィナが小首をかしげた。


「どこか外へと通じているのでしょうか。なんとなく、そうは思えませんが……」


 ルイスへと目を向けると、大空洞の奥へと目を向けて呆然と立ち尽くしていた。


「ルイス……」

「あれを、見てくれ」


 ルイスの指し示したほうへと目を凝らす。

 システィナが星灯りライトの魔術の明かりを強めると、それは照らし出された。


 力強く大地を踏みしめていただろう四つの足。頭部には二本の角。背中には双翼。太く長い尻尾。


 その、あまりにも巨大なシルエットを見たアリアがつぶやく。「……ドラゴン」


 先ほどの死竜よりはるかに大きい。まるで山のように巨大な竜。


「なんということだ……」


 ルイスがささやくように言葉を発した。


「……竜の、亡骸だ……風化し、石となっている」


 アリアたちは、横たわるドラゴンへと近づいていく。

 いつの間にか、先ほどまで鳴っていた風の音も止んでいた。


「ドラゴンの……化石みたいなもの?」

「ああ。……竜は、その命が尽きたときに石になる種が存在すると聞いた」


 近づいてみると、遠くから見るよりもさらに大きく感じる。脚部だけでアリアの背丈以上だ。

 岩石のような質感であったが、何者かが岩から掘り出した石像だとは思えない。

 ――亡骸なきがら

 かつて力強い生命の息吹を発していた存在の慣れ果てだと云われるほうが、納得できる。


 岩石と化した竜の前には、見たことのない言語で書かれた石碑があった。


「古代語ですね」システィナが読み上げる。「豊穣をもたらす大いなる地竜、グランドレイル、ここに眠る」


「グランドレイル……それがこの竜の名前なんだね」


 自然と両手のひらを重ね合わせて、祈っていた。

 そんなアリアに、ルイスは問いかける。


「アリア、それは?」

「え? ……あ、えっと、これは……」


 合唱は仏教の礼法。追悼のつもりであったが、この世界にはないものだろう。

 それでも敬意だけは感じ取ったのか、ルイスが嬉しそうに微笑む。


「それは、アリアの世界の祈りなのだな」

「うん。そう」

「……そうか。こちらの世界では、こうする」


 ルイスは竜の亡骸に片膝をつくと、両手をつなぎ合わせた。

 これはアリアにも馴染みがある祈りのポーズに似ている。

 アリアも、それからシスティナも真似て同じようにした。


 しばし沈黙するアリアたち。こうしていると、気のせいかもしれないが、なんとなく空気が優しく温かくなるのを感じた。


「では、周囲の探索を――」


 ルイスが言いかけたとき、がらり……と壁に積み上がっていた岩が崩れ落ちた。

 敵に追いつかれたのかと思い、武器に手をかけながらアリアたちがそちらを見ると、崩れた岩の中から、何か棒状のものが突き出ていた。


 アリアが崩れた岩のほうへと駆け寄る。「あれは……?」


 ルイスとシスティナも、後から続いた。

 棒状のものは金色の金属でできていて、不思議な模様が意匠として施されていた。


「なんだろう。何かのかな?」


 アリアはその柄を引っ張ってみた。


「――っ、何かに引っかかってて、抜けない」

「周囲の岩を取り払ってみるか」


 ルイスの言葉に従って、周囲の岩の破片をどかしてみた。

 長い棒状のそれが全貌を表す。


「……槍だ」


 アリアがつぶやいた。

 金の意匠が施された、一振りの槍。穂先ほさきには美しい球状の宝玉が飾られている。

 それを見たシスティナが口を開く。


「……魔力の込められた槍のようです」


 システィナがその槍に軽く触れると、穂先に飾られた宝玉に七色の光が灯った。

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