第33話 朽岩の竜――幼きケルドレイル 1
通路を進み、ふたたび祭祀場らしき大広間にたどり着いた。
アウラの花弁を持つ特殊な個体の祭司ゴブリンは、奥で手下の小鬼たちへと、せわしなく指示を出していた。
「急ゲ! ニンゲンどもが来る前に、儀式の準備を済ませるんダ!!」
通路の陰から祭祀場を覗き込みながら、アリアは小首をかしげる。
「……あいつら、何をやってるんだろう?」
ルイスは肩をすくめた。「さあな……だが、儀式とやらが完成するまで待ってやることもないだろう」
「そうだね。ロクなことが起こらなそうだし」
「同感です」とシスティナも同意を示した。
「では……合図と同時に攻め込むぞ。アリア、システィナ、二人とも準備はいいか?」
「うん。いつでもいいよ」
「はい」
ほんの数秒、ルイスは目を閉じて精神統一をする。
そして、動き出した。
「今だ。行くぞ!」
「
アリアたちは、祭祀場の奥にいるゴブリン祭司に向かって走った。
「ゲゲ! ニンゲンども!」
敵が追いついてきたことに気づいて慌てふためくゴブリン祭司に、アリアが言い放つ。
「アウラの花弁は渡してもらうよ。覚悟しろ、変なゴブリン!」
「クソゥ! オマエたち、ゴシンタイを守るんダ!!」
ゴブリン祭司の号令に従い、ゴブリンたちの生き残りがアリアたちの前に立ち塞がった。
さすがに数はかなり減っているようだが、まとわり付かれると面倒なことには変わりない。
(御神体……?)
真っ先に駆けてきた一匹の攻撃を盾で受け止めながら、アリアは小鬼祭司のほうへと目を向けた。
祭司の後ろにある
「ルイス、システィナ。あれ、何だかわかる?」
アリアの問いに、まずシスティナが答える。
「わかりませんが……嫌な気配を感じます」
ルイスも目の前のゴブリンを片付けながら同意する。
「きっとロクなものではないだろう」
あるいはシスティナの魔法なら、ここから御神体とやらを破壊できるだろうか。しかし、下手に壊すと何が起こるかわからない。
ここは、まず祭司を止めるべきだろう。群がって行く手を阻む小鬼たちを倒しながら、アリアたちは少しずつ祭祀場の奥へと進んでいく。
それを見て、祭司が怒り狂ったように暴れてわめき立てる。
「エエイ! 何をやってる! このままではアイツらが来てしまうダロッ!」
そうしてひとしきり暴れたかと思うと、急におとなしくなって、よく通る声でぶつぶつと言葉をつぶやき始めた。
「もうイイ……まだ儀式は未完成だガ……これでアイツらに目にモノを見せてヤロウ……!!」
ゴブリン祭司が、岩石に埋もれた御神体に向かい、両腕を大きく広げて呪文を唱え始める。
すると、ゴブリン祭司の体からも黒い
システィナが震える声で言う。「なに……この魔力……」
直後、重く低い地響きが巻き起こった。
地震のように祭祀場の床が振動し、ヒビの入った天井の破片がパラパラと落下してくる。
アリアたちだけでなく、戦っていたゴブリンどもも何が起きたのかわかっていないようで、しきりに周囲を見回す。
やがて。
御神体と呼ばれたオブジェから、それを覆う岩石の欠片がガラリと崩れ、そこからかすかに「ぐぉぉ」という獣の唸り声のような音が聞こえてきた。
アリアの背筋に、嫌な予感めいたものが、電流のごとくビリビリと走る。
「何かが……来る」
ガン、と御神体を覆った岩石が爆ぜた。
ガン、ガンと連続でそれが起こり、まるで彫刻師が岩を削り取るように、形が造られていく。
巨大な
黒い瘴気に包まれたそれは、まるで恐竜の化石だった。
ぴしり……とその化石にも亀裂が入り、前脚のような部位が力強く一歩を踏み出した。
黒い瘴気が密度を増し、実体を得て、やがて
その黒い穢れの瘴気によって、骨は
獣だ。黒と暗灰色のおぞましい体毛を持つ、異形の獣。
三対六個の朱色の瞳に、
まるで獅子の立髪のように乱雑に生えた体毛は尾先まで覆っており、毛の生えた尻尾はまるでムカデのようなシルエットを形成している。
前脚と後ろ脚にはそれぞれ鉤爪を備え、指の数は人間と同じ五本。まるで骨が折れているように、関節の向いている方向は、それぞれ不揃いだった。
「……あれは……なに……?」
戦慄が抑えられない。あまりにも凶々しい気配だった。
異形の獣の口の中と胸のあたりでは、いまだ体が完全に形成されていないことを示すように、濃縮された闇というべき液体がごぽごぽと沸騰している。
床にこぼれ落ちた黒い液体は、焼けた石に水をかけて一瞬で沸騰するように、濃い瘴気の霧へと変わって巻き上がる。
戦闘が中断されて静まった祭祀場の中で、ゴブリン祭司が一人、雄叫びを上げる。
「ケーケケケッ! これぞワレラが穢れの化身サマだ! オマエたちは、もうオシマイダッ! ケッケケ!!」
祭祀場に、ゴブリンたちの歓声が上がる。
あれが――あの異形の獣が、彼らが崇めていた存在だというのだろうか。
「……なんということを……!」
ルイスが、ぎりりと歯噛みする。
その横顔は、湧き上がる怒りをこらえているようだった。
ゴブリン祭司が、手に持った杖をアリアたちのほうへと向ける。
「行ケー! 穢れの化身よ、ニンゲンどもを喰らってしまえ!」
来る。
アリアたち三人は、それぞれ武器を強く握りしめて身構えた。
異形の獣が、遺跡中を響かすような
直後、異形の獣は前脚を大きく振るい、歓喜するゴブリン祭司を薙ぎ倒した。
「ギャー!! オレじゃない、狙うのはニンゲンダァ!!」
吹き飛んで倒れたゴブリン祭司へと近づいた異形の獣は、必死に逃げようとするその小さな体を前脚で押さえ込み、巨大な顎で噛み砕いた。
肉が裂かれ血が飛び散り、骨が砕ける音に、ゴブリン祭司の断末魔の悲鳴が混ざって響き渡る。
それを見てアリアはふたたび戦慄した。
「あいつ……ゴブリンを、食べてる……!?」
咀嚼するたびに聞こえて来た悲鳴が
すると異形の獣の体躯が、液体が沸騰するような不気味な音を鳴らしながら巨大に変貌していく。背中からは触手がまるで翼のように生え伸びて、そこに浮かび上がった大きな白い花びら――神花の花弁が触手の群れに飲み込まれていく。
(神花の花弁を、ゴブリンから奪ったの……?)
「祭司サマが喰われタ!」
「逃ゲろ、逃ゲろ!」
直後、まるで正気に戻ったかのように、ゴブリンたちが逃げまどう。
対する怪物は、逃げる獲物を追いかける獣の習性に従うように、異形の四肢を使って暴れ始めた。
力強く跳躍して距離を詰め、爪の生えた前脚や長い尻尾を振るうと、ゴブリンがまとめて薙ぎ払われる。
そして、鰐のような巨大な顎を使い小鬼の体を噛みちぎった。
祭祀場は阿鼻叫喚に包まれた。
「アリア、ルイスさん、あれは危険です……いったん退却しましょう」
「そうだね。……ルイス、行こう!」
動きを止めたまま暴れ回る獣をじっと睨んでいたルイスは、少しの沈黙のあと、唇を噛みながら声を絞り出した。
「……了解だ」
三人が
祭祀場から脱出しようとするゴブリンを、遺跡の壁や天井ごと蹴散らす。
広間の上層にあった入り口は崩れ、そこへ続く階段も
アリアが叫ぶ。
「入り口が……!」
瓦礫を撤去する時間なんてない。こうなっては、戦って活路を見出すしかないのだろうか。
相手は巨大な獣。今までの動きを見ただけでも、圧倒的な力だった。
退路を絶たれたのはゴブリンたちも同じで、彼らは祭祀場を右往左往している。
「……っ。こっちに来ます……!」
システィナが声をあげた直後、獣はアリアの眼前まで跳躍してきた。
巨大な体躯が目の前に着地すると同時に、ずしんという地響きがアリアを襲った。
「アリア!」
異形の前脚が振り抜かれる。
重い、あまりにも重い衝撃。とっさに盾で身を守ったが、獣の膂力は圧倒的で、アリアは軽々と吹き飛ばされて、地面を転がって祭祀場の奥の壁に叩きつけられた。
「うああっ!」
視界が霞み、揺れる。
痛む体に鞭打って体を起こし、視線をシスティナたちのほうへと向ける。
そこでは巨大な獣がいまだに暴れ回っていて、ルイスとシスティナが応戦していた。
鋭い牙による噛みつきを避けて、ルイスは槍の穂先を叩き込む。
刃の刺さった箇所から、ドス黒い霧が吹き出したが、意に
「
システィナの放った魔力の矢が獣の体に直撃するが、それも効いている様子はない。
しかもルイスがつけた槍傷は再生し、完全に塞がってしまっている。
すさまじい回復力だ。
「アリア、無事か!」
ルイスとシスティナは、すでに逃げることを判断していて、今の「魔力の矢」の爆風で
「うん……私はなんとか大丈夫。ルイスとシスティナは?」
「大した傷はない……が――」
「すごい再生能力です。これでは、傷をつけることすら難しいですね……」
異形の獣は、今も生き残ったゴブリンたちを狙って祭祀場の中を暴れ回っている。
それを横目で見ながら、ルイスは言う。
「一度ここを離れて避難しよう」
「離れるって言っても、どこへ?」
「……この祭祀場の奥へだ」
遺跡の奥。たしかに入り口を塞がれてしまっている以上は先に進むしかない。
「あの怪物がゴブリンたちに気を取られている、今がチャンスだね」
「怪物……か」
「どうしたの、ルイス?」
「いや。……そうだな、急ごう」
アリア、ルイス、システィナの三人は祭祀場の奥に続く大きな通路へと進んだ。
通路の幅は広く、おそらくあの異形の獣も問題なく通ってくることができるだろう。
祭祀場で逃げ惑っているゴブリンたちが片付いたら、獣がアリアたちを追ってくる可能性が高いといえる。
「……隠れる場所は見当たらないね」
先ほどからルイスは、何かに思考を巡らせているようだ。
彼の横顔は真剣で鋭い。それをアリアはなんとなく怖く感じた。
「ねぇ、ルイス……」
「おそらくこの通路は、体の大きな生き物でも通れるような作りになっているのだろうな」
「え?」
アリアは首を傾げるが、ルイスはそれ以上語ることなく話題を変える。
「しかし、あのような異形に身をやつすとは……」
「ルイスは、あの怪物について何か知っているの?」
「ああ」
ルイスは首肯した。
「……私にはわかる。あれは怪物ではない。ドラゴンだ」
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