第32話 岩屑に埋もれし信仰の迷宮――アル・グレイル遺跡 5
とっさにアリアは自らの身を庇ったが、予想していた爆風も熱も襲って来なかった。
システィナの生み出した蜂の巣状をした光の壁が、迫りくる炎を防いでいたのだ。
衝撃に耐えるように、システィナは両手で杖を構えたまま「くっ」と歯を食いしばる。
火の玉の魔術の凄まじい破壊力を防ぎ切るには、高い出力の光の壁が必要なのだろう。
ぴしり……と魔力の障壁にヒビが入る。
直後、ガラスが割れるような音とともに、障壁が砕け散った。
「はぁ、はぁ……くっ」
システィナは肩で息をする。
光の壁は砕かれたものの、火の玉の魔術はなんとか防ぎ切ったようで、その炎がアリアたちに届くことはなかった。
「ギャギャッ!?」
必殺の魔術を防がれてゴブリン祭司が
光の壁によって守られていなかったゴブリンたちはまとめて吹き飛ばされ、祭司までの道が無防備に開かれていたからだ。
「ルイス、ここは頼んだよ!」
「……ああ、
システィナの守りをルイスに託して、アリアは通路を駆ける。守る者なくなったゴブリン祭司に向けて。
「ギャー! オマエら! しっカりオレを守レ!!」
祭司の背後から現れたゴブリンの増援が、アリアの前に立ち塞がる。
足を止めたアリアの目の前で、ゴブリン祭司は邪悪な笑みを浮かべ、三度目の呪文を唱え始めた。
三度目の
いずれにしても、おそらくこれは神花の力を得たゴブリンが扱うことのできる、もっとも強力な攻撃魔法。
それゆえに、発動まで時間がかかる。
「アウラよ。万象たるマナよ、我が敵を射抜け……
魔術合戦では、システィナのほうが速かった。
生成された赤い炎が放たれる前に、少女の放つ青い魔力の矢がゴブリン祭司に直撃。制御しきれなくなった炎が暴発を起こし、青と赤の爆発に巻き込まれたゴブリン祭司の痩せほそった小さな体が吹き飛ぶ。
「ヒギャ!!」
アリアはその隙に立ちはだかる小鬼たちを素早く剣で斬り伏せ、駆けた。床に倒れながら何事かを喚き散らしているゴブリン祭司のもとへと。
「みんなを傷つけた、お返しだよ!」
ついに祭司の目の前にたどり着いたアリアが、剣を振るう。
「ギャ!」
まるでカートゥーン映画のように。腹立たしいほどコミカルな動きで、ゴブリン祭司はその剣を避けた。
「この!」
びゅん! びゅん!
アリアの振った剣が空を斬る。
(こいつ、思ったより素早い……!)
いかにも偉そうな格好しているから、身体能力などないと思っていた。先入観だ。これもアウラの花弁の力なのだろうか。
至近距離を刃がかすめて、ゴブリン祭司は足をもつれさせながら後退し、逃げ出そうとする。
「逃がさないから……!」
小鬼の祭司はすばしっこいが、それでも脚の長さの分だけアリアのほうが走る速度は上のはずだ。
追い
「ギャー!」と、ゴブリン祭司が痛みに絶叫を上げる。
「
追い詰められたゴブリン祭司は、ジタバタと逃げ続けながら、狂ったように
「テッタイ! テッタイだァー!! オマエたち! ちゃんとオレを守レ!!」
祭司の号令を聞いたゴブリンの群れが、いっせいに退却を始める。
せめて小鬼祭司だけでも仕留めようと追うアリアの前に、一回り大きなホブゴブリンが立ち塞がった。
祭司の親衛隊のような立場なのだろうか。他のゴブリンよりも手強そうだった。
そして当の小鬼祭司は、アリアの動きが止まった隙に一目散に逃げ出していた。
「な、なんて速い逃げ足……!」
アリアが唖然としている間に、追いついて来たルイスがホブゴブリンを槍でひと突きにした。
静かになった通路を見回して、二人はようやく一息ついた。
「アリア、なんとか切り抜けたな。君の機転のおかげで助かった」
「うん。あの妙なゴブリンは逃がしちゃったけどね」
「この状況を生き延びられただけでも十分だ。……っ」
「ルイス、大丈夫?」
ふらりとよろけたルイスは、壁に手をついて体を支えて立った。
常に最前線で戦い、
遅れて追いついて来たシスティナも、ボロボロの姿だった。
「ルイスさん……手当てするので、少し待ってください」
システィナはスカートの裾をひらりと持ち上げると、躊躇なくそれを破いて布きれを作った。
その布きれを、今も血を流しているルイスの肩に当てて、強く縛る。
「ありがとう、システィナ。……優しいな、君は」
言われてシスティナは、照れたように頬を染めて視線を逸らした。彼女はこの通りシャイであるが、目の前の誰かを助けるためならば、こういった思い切ったことをできる。それは彼女の美点だ。
それからシスティナは肌が
ゴブリンによってところどころ破られスカートも短くなったために、白く細い肩や太ももが見えていて、おへそや脇腹もチラチラと覗いている。
いつもより露出が多いその姿は、これはこれで可愛いとアリアは思った。――それどころではないシスティナには悪いけど。
ルイスは肩を動かして傷の具合を確かめ、ひとつうなずいた。「では、行くとしようか」
「あ、ちょっと待って」
そこでアリアは思い出して、二人を引き留める。
「これを飲んで」
アリアは霊薬の入った瓶を取り出して、二人に差し出した。
相変わらず瓶は頑丈で、これだけ動き回ってもヒビ一つ入っていない。
「これは……?」
「神花の霊薬ですね」
システィナには霊薬について前に話しておいたから、その効果を説明する必要はない。
「わたしなんかのために、貴重な霊薬を……いただけません……」
システィナは相変わらず遠慮する。
アリアはため息をついた。
「こういうときに使わないで、いつ使うの……。ほら、飲んで」
「でも……」
「飲まないなら、前みたいに口移しで飲ませちゃうよ」
「え……」
システィナが目を丸くする。
「……いいのですか?」
「え?」
「……え?」
それは――。
「本当に霊薬を飲んでもいいのですか?」という意味だろう。うん。
アリアはそう思うことにした。
「と、とにかく。ほら」
「……はい」
システィナがおずおずと瓶の中身を一口飲む。
アリアのように一気に怪我が回復することはないが、目に見えて体が楽そうになった。
「本当に……すごい薬ですね」
「ルイスも、どうぞ」
「いいのか?」
「うん。一口でも効果が出るから、飲んでみて」
「……わかった。感謝する」
ルイスは霊薬瓶を受け取り、その中身を一口飲んだ。
そのときシスティナが「あ……」と小さく声を漏らしたので、アリアも気づく。
(あ……これ、間接キスなのでは?)
システィナもまた赤くなってる。ルイスは――気にしていないのか、気づいていないのか。それらしいリアクションは見せない。
困った。次はアリア自身が飲もうと思っていたのに。
「……これも、ノーカンだから」
「何の話だ?」
「なんでもない」
アリアは少し
飲んでしまえばべつになんてことはないのだけど、やっぱり少しドキドキとした。
応急手当てを終えたアリアたちは、逃げたゴブリン祭司を追うために、アル・グレイル遺跡の奥へと進む。
途中、アリアはルイスに「アウラの花弁」について説明した。
「なるほど……そのアウラの花弁というものを持っているから、あのゴブリンは魔術を操れたのだな」
「きっと、そうだと思う」
アウラの花弁を手に入れることは、今のアリアにとってもっとも重要な使命である。現世に残してきた、弟の晴人を守るための。
いずれにしても、魔術を扱うゴブリンなんて危険極まりない。放置することはできないだろう。
「けど……ルイスはさ、もう戻ってもいいと思う」
「どういうことだ?」
アリアには、アウラの花弁を入手するという目的がある。そのために、あの特殊なゴブリンを倒さなくてはならない。
だけど、ルイスとシスティナには、無理をして深追いをする理由はない。
「今回は、明らかに不測の事態でしょう。私には使命があるけど、ルイスはこれ以上付き合う必要はないはずだよ」
あれだけ危険な目に遭って、いまさらかもしれないけど。
「さすがに、それはないだろう」
「報酬なら気にしないで。もし私がここから生きて帰れたら、ちゃんと分配するから」
「いや……そういうことではなくてだな」
ルイスは困った様子で、髪をかきあげるようにして頭を押さえる。
彼のそういう仕草を見るのは初めてだった。
「ここまで共に戦ったんだ。私も、最後まで付き合うさ」
「でもさ――」
「見くびらないで欲しい、ということだ」
びゅん、とルイスは槍を通路の前方へと向ける。自らの意思を示すように。
水臭いじゃないか。友を見捨てて帰還するほど、落ちぶれてはいないと。
「……そっか。ありがとう」
「それに、私にもこの遺跡で成すべき目的があるのでね。気にすることはないさ」
続いて、アリアは銀髪の少女のほうへと顔を向ける。
「システィナは――」
「アリア」
人形のような可愛らしい少女は、両手の人差し指を使って口元で×印を作った。
「『けど』とか『でも』は禁止、です」
「う……」
アリアがたじろぐのを見て、システィナは小さく微笑んだ。
システィナはアリアの使命に協力してくれると約束してくれたから、ついて来てくれるだろうとは思っていたのだけど、なんだか一本取られた気がする。
二人のやり取りを見届けて、ルイスは言う。
「では、改めて三人で依頼の達成を目指そうじゃないか」
「うん……そうだね、いっしょに行こう!」
「はい!」
アリアたちは逃げたゴブリン祭司を追って、ふたたびアル・グレイル遺跡の奥へと向かった。
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