第31話 岩屑に埋もれし信仰の迷宮――アル・グレイル遺跡 4
アリアは一歩前へと踏み出した。通路の反対側から迫りくるゴブリンたちのほうへと。
「たああ!」
ずしんと力強く踏み込み、右手に持った剣を思い切り振るう。ルイスの
その一撃は一匹のゴブリンの胴を深々と斬り裂き絶命させ、さらに二匹のゴブリンに致命傷こそ与えられなかったものの傷をつけて後退させた。
(大丈夫。私だって強いから……!)
アリアは自分に言い聞かせる。
この体は、転生前と変わらないくらい
それはもともとアリアの運動神経がよかったわけではなく、この世界に転生するときに女神フローリアが優れた運動能力を持つ体へと変えてくれたのだろう。そうアリアは思っている。
だから、
ルイスのように力強く大胆に戦い抜かなければ、この数の敵を相手にすることはできない。
「すまない、アリア! 一匹逃した!」
ルイスの声を聞いて、アリアはすぐに反転。
システィナへと近づくゴブリンをルイスのほうへと蹴り飛ばした。
「ナイスだ」
たたらを踏みながら戻ってきたゴブリンをルイスは槍で斬り裂く。
そのやりとりによって生まれた隙は一瞬だったが、その隙にアリア側のゴブリンたちが
「
システィナの魔術がアリアの隙をカバー。ゴブリンたちをまとめて吹き飛ばして、なんとか戦線を維持することができた。
常にギリギリである。何か一つの要因によって、アリアたちはあっという間に窮地に
とくに最初から最前線で戦い続けているルイスは、かなり消耗しているはずだ。
(それに……ダメだ、やっぱり私じゃ、この数の敵はさばき切れない……!)
「ぐぅっ!」
手痛い攻撃を受けたアリアを見て、システィナが憂いの表情を浮かべる。
「アリア!」
「だい……じょぶ。システィナは術に集中して!」
背中に走る激痛をこらえながら、アリアは必死に剣を振った。
正直、きつい。辺りに充満する血のにおいに酔いそうだ。酸欠と痛みで視界が
(けど、ゴブリンたちにだって限りはあるはず……!)
ゴブリンはアリアたちを脅威に思ったのか、先ほどまでの勢いがなくなっている。
数もかなり減ってきているはずだ。
アリアがそう自らを奮い立たせたとき――背後のルイスのいる方向から、一際よく通るやかましい声が聞こえた。
「怯むナ! 早く奴らを始末するんダ!」
通路の奥に姿を現したのは、ローブを着た一匹。ゴブリンを扇動していた祭司だ。
ゴブリンたちの体から黒いもやのようなものが――言うなれば瘴気のような何かが吹き出るのが見えた。
直後、小鬼の群れはまた勢いを増してアリアたちへと襲いかかる。
「な、なに……? こいつら、急に動きが速く……。くぅっ!」
対処し切れなかった一匹が、横なぎに振ったアリアの剣を避けて
ぶぉん、と棍棒の一撃がアリアの腹部へと叩き込まれる。
「……う……ぁ……」
重い一撃が、よりにもよって鳩尾に命中した。激痛とともに呼吸ができなくなり、アリアはよろよろとふらつきながら後退する。
「ア、アリアッ!」
ほとんど悲鳴のようなシスティナの声。
なんとか踏みとどまろうと、アリアは歯を食いしばって痛みに耐える。
ゴブリンをシスティナのそばに近寄らせるわけにはいかない。
アリアは剣と盾を構え直して、小鬼の進路を妨害するように動いた。
「く……ぅ……お前たちの相手は、私だよ!」
どすん、と今度は右肩に棍棒が叩きつけられた。死角からの一撃。あやうく剣を落としそうになる。
狡猾な妖魔たちは、倒せそうな相手からまず狙う。この中ではアリアが一番弱っていると判断したのだろう。
怯まずにアリアは剣を握りしめ、振り抜く。その一撃によってなんとか一匹を仕留めるが、さっきまでの鋭さはない。
そこへ――二匹のゴブリンの棍棒が、アリアの腹部と、それから太ももに叩き込まれた。
「……かはっ!」
足に重い打撃を受けて、アリアはまたよろける。
痛い。太ももは、おそらく酷い痣ができているだろう。
ゴブリンの力は人間の女性や子供くらい。大人の男性ほどの力はなく、得物も粗末な棍棒であるが、それでも武器は武器だ。殴られればタダでは済まない。
ゴブリンたちが追撃しようとアリアに飛びかかってくる。
「アリアから離れてください!」
駆けつけたシスティナの持つ細身の剣が、ゴブリンの首を刺し貫いた。
「戻ってシスティナ! こっちに来たら、陣形が……!」
通路の反対側から苦悶の声が聞こえる。
視線を向けると、ルイスがゴブリンたちに囲まれて揉みくちゃにされていた。
「くっ……させるものか!」
それでもルイスは強くて、槍の刃と柄の両方を使ってゴブリンたちを振り払って行くが、一人では限界があるだろう。
そしてアリアも――けほっ……と小さく咳き込むと、喉の奥から血が出てきた。
「なんとか……体勢を立て直さないと……!」
アリアはゴブリンの一匹へと飛び込んでいき、もつれるようにしてその首を剣で突き刺した。生臭いにおいの返り血が降りかかるが、もはや気にしてはいられない。
休む暇もなく襲いかかってくるもう一匹のゴブリンを盾で殴って振り払うと、その隙にようやくシスティナがもとの位置に戻ることができた。
「システィナ、魔法を――」
アリアが言いかけたとき。
ぞわり、と嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
なぜか距離を取ろうとし始めるゴブリンたち。ルイスのいるほうへと振り返ると、ゴブリンの祭司が錫杖のような杖を掲げているのが見えた。
何事かを呟いている。暗い色をした魔力の光が杖に灯る。
これは、呪文――?
飛びかかってくるゴブリンを槍で受け止めながら、ルイスが言う。
「なんだ……奴は何をしている?」
ゴブリン祭司が片手を掲げると、その頭上に花弁のようなものが浮かび上がった。白い大きな花弁。
(もしかして……あれが、アウラの花弁?)
やがて暗色の魔力は、赤く揺らめく光へと変わる。
炎だ。
小鬼祭司の杖に、強烈な熱を持つ赤い炎が宿る。
「これは……!」システィナが驚きに目を見開いた。「まさか、
ぼうん、という音とともに赤色の光と熱を放射しながら、小鬼祭司の杖の先端から、高密度の火球が発射される。
その光と熱気に顔を
「アリア! システィナ!」
ルイスが走り、両腕でアリアとシスティナを抱え込んで押し倒し、
轟音。
直前までシスティナの立っていた場所、三人のちょうど中間あたりの床に火球が直撃して、凄まじい炎の爆発を引き起こす。
衝撃が、地に伏せたアリアたちを吹き飛ばさんほどの勢いで襲い掛かり、灼熱の炎と熱風が身を焼く。
「ケケケ! ケケケケ!」
必殺の魔術が決まったことが嬉しいのか、ゴブリン祭司は頭上でパンパンと手を叩きながら踊るように飛び跳ねる。
アリアは身体中に痛みを感じながら、爆発の衝撃に閉じていた目を開いた。
目の前に見えたのは、炎に焼かれてうめき声を上げているルイスだった。
「ぐ、あああ……」
「ルイス! 大丈夫!?」
「ああ。……なんとか、な……」
アリアがルイスを助け起こした。隣でシスティナもよろめきながら起き上がる。彼女の服もところどころが破れて煤で汚れていたが、ルイスはもっとボロボロだった。
祭司の放った
それを見て、ルイスは槍を構え直す。
「はああッ!」
槍を振るい、近寄ってきた一匹のゴブリンを仕留める。
それから肩で息をしながらも、不屈の様相で小鬼の群れの前へと立ちはだかった。
「ルイス、無茶だよ。その怪我じゃあ」
「だが……ここで戦わなければ我々は総崩れだ。そうも言ってられんさ」
システィナは、口元をきゅっと結んだ。
「ルイスさん……」
決意の表情。
それを見て、アリアも覚悟を固める。
(そうだ。生き残るんだ……みんなで!)
アリアは駆け出した。まずは、あの魔術を使う一匹を倒さなければ。
しかし、すぐに群がるゴブリンたちに阻まれてしまう。
「どいてよ!」
アリアは左から来る一匹を盾で打ち払い、右手の一匹の首を剣で叩き斬る。
斬れ味に優れたミスリルの剣だからこそできる芸当だ。並の剣であれば、これまでの連戦で刃こぼれして使い物にならなくなってしまっていただろう。
しかし。
ここまでの連戦と炎の魔術のダメージによって消耗したアリアたちには、ゴブリンたちを完全にせき止めることはできずに、すぐに敵味方が入り混じる乱戦に持ち込まれてしまう。
前方だけでなく左右からも、アリアとルイスに攻撃が襲いかかる。
ゴブリンの群れに、三人は飲まれて行く。
「きゃあッ!」
背後にいるシスティナの悲鳴が聞こえ、アリアは振り返った。
システィナは群がるゴブリンたちによって床に押し倒されていた。仰向けにされた少女らしい細い体に、棍棒や石斧の重い打撃が襲いかかる。
「う、く。やめ……あぁ!」
「システィナ!」
システィナをなんとか救出しようと、アリアは目の前のゴブリンを剣で斬りつけ、背後から組みついてきた一匹を振り払う。
その間にゴブリンたちは倒れたシスティナにのしかかり、あろうことか可愛らしいその服を引っ張って
(あ、あいつら……何をしているの!?)
システィナはじたばたともがいた。だが、ゴブリンといえど数が多すぎて、彼女の力では振り払うことができない。
小鬼たちはシスティナのお腹を棍棒でしたたかに叩いて抵抗する力を奪い、彼女のまとう上品な布を引きちぎって奪い取ると、戦利品を誇るように掲げて声を上げた。
服の裂け目から、白い肌と下着が覗く。
そこでようやく、アリアはシスティナのもとへと駆けつけることができた。
「この……やめなさい!」
アリアのミスリルの剣が、システィナに群がるゴブリンを斬り裂いて絶命させる。盾で殴って振り払い、一匹には回し蹴りを浴びせて少女の体からどかす。
「大丈夫、システィナ?」
「ありがとうございます……アリア」
露出した胸元を腕で隠しながら、システィナはよろよろと起き上がる。口元は切れて一筋の血が流れており、体中にはいくつもの痣が。
ゴブリンはあとどれほど残っているのだろうか。このままでは、三人ともやられてしまう――。
焦燥が
「くっ。魔術が来る……!」
見ると、祭司ゴブリンがまた呪文の詠唱を始めていた。
暗色の光として可視化された魔力が杖の先端に集い、やがて赤き炎へと変わっていく。
それを見たシスティナが、傷だらけの体に鞭打ってルイスの前へと走った。
「下がってください……!」
いったい何を――。
アリアが止めようとするよりも早く、システィナは魔術を行使した。
「
「ケケケ!
ゴブリン祭司の頭上に神花の花弁が浮かび上がり、杖の先端に生成した火球が強烈な熱量を伴って射出される。
直後、システィナの前方に半球を描くように青い半透明の光の壁が現れた。正六角形を組み合わせた
飛翔してきた火の玉は、少女の生み出した光の壁に直撃し、紅蓮の炎の爆発を巻き起こした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます