第21話 ステルオール――天星の落とし子 5

 アリアたちの前で、そこまでを語ったシスティナは、出されたお茶を口に含む。カップを持つその手は震えていた。


「それから、わたしは……だれもいない村から一人、旅立ちました。野垂れ死んでも構わないと……そう思って生きてきたのですが……」


 死にきれなかった。――死にたくなかった。だから一人。生きるでもなく生きて、ときに親切な誰かに助けられながら、ここまで来た。


「この期に及んで死への恐怖がありました。……それに、大切な人が死んだ悲しみよりも……自らが犯した罪への恐怖が、わたしの感情の大部分をめていました。本当に、わたしは……」

「システィナ……」


 アリアはシスティナの手を握った。冷たい手だった。

 少しだけ落ち着きを取り戻したシスティナは続きを語り始める。


「それからも、同じようなことが何度かあったのです。わたしがだれか人といっしょにいると――大切な人ができるたびに、わたしの中の獣が暴れ初めるのです……」


 親切にしてくれた人を傷つけたことも、あるいは獣の力によって命を奪ってしまったこともある。

 だからシスティナは、人から距離を取るようになった。


「それが、わたしの過去……この身に宿した宿命です」


 驚いた様子で聞き入っていたユイとキサラに、システィナは瞳を閉じて、そっと頭を下げた。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……話が終わったら、わたしはすぐにここから出ていきます。……もう、迷惑をかけることはありません……」


 システィナがそう言うと、キサラはしばし口を閉ざしてしまう。

 代わりにユイが「そんな……」と悲しげにつぶやいた。


「システィナさん」少ししてから、キサラが口を開いた。「わたくしは四人の子供たちを守っていかなくてはならない身です。……危険であることを知りながら、あなたをそばに置いておくことはできません……」


 静かで強い言葉。それにシスティナはうなずいた。もともと、そうして別れを告げるために話したのだから。

 しかし、とキサラは続ける。


「あなたが……本当は人を傷つけることを望んでいないことはわかります。だとしたら……システィナさん、あなたのそれは罪などではありません……」

「……」


 それは、きっと意味のない言葉だ。口にしたキサラもそれはわかっていただろうし、事実、システィナの表情は晴れなかった。

 それでもシスティナは、ぺこりと頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 キサラは微笑んだ。ユイは何か言いたげだったが、結局言葉にできないまま。


「だから……善なる神々は、かならずシスティナさんの助けとなってくれます」

「……はい」


 システィナは首肯したが、視線は落としたままだった。自分にはその資格はないと思っているのかもしれない。

 ユイが泣きそうな表情で言う。


「ごめんね、システィナさん……助けてくれたのに、あんまりおもてなしできなくて」

「いえ……わたしの話を聞いたのに、こうして受け入れていただけて……なんだか救われた気がします」


 システィナはユイとキサラに小さく笑顔を見せた。

 切ない微笑みだったが、その言葉は本心なのだろう。

 キサラが話をまとめるように、ぽんと手を叩く。


「さあ、これでお話はおしまいにしましょう。とりあえず、今日のところはシスティナさんもここに泊まって行ってください」

「で、でも……」


 システィナはどうやら、すぐに出ていくつもりだったらしい。この真夜中に。

 だが、キサラたちはすぐにシスティナを追い出すつもりはないようだ。


「大丈夫です。その……魔力の暴走というのは、アリアさんが止めてくれたのでしょう?」

「はい」


 間髪入れずに答えるアリアに、キサラはうなずいた。


「それなら、おそらく立て続けに起こることはないでしょう。一日くらい大丈夫なはずです」

「……」


 システィナは少し考え込んだ後、ぽつりと答えた。


「……ありがとう、ございます……」


 それは感謝か、少しでも受け入れられたことの嬉しさか、あるいは何かへの恐怖か。どのような感情かは推し量れないが、システィナの声はやはり震えていた。




 翌日。システィナはおそらく、今日旅立つだろう。

 それに対して、アリアも昨晩のうちに身の振り方を考えて、そして決めていた。


 朝食の食卓。システィナと教会のみんなが食べる、最後の食事だ。

 システィナはやはり遠慮していたが、ユイを助けてくれた恩人ということで、キサラたちはぜひと言って引き止めた。


 ユイの隣に座ったアリアは、ふいに口を開いた。


「あの……! 私も、今日からまた旅立とうと思います」


 そう言うと、ユイもキサラも口元に手を当てて驚いている。


「まあ、もう行ってしまうのですか?」

「はい。……システィナといっしょに」

「ふぇ!?」


 かわいらしく驚くシスティナのほうへと、アリアは笑顔を向けた。


「で、でもアリア……」

「あ、また『でも』って言った!」

「う……ど、どうして?」


 ふぅ、と呆れたようにアリアは小さく息を吐いた。


「システィナは、私がいっしょにいるのは、いや?」

「そ、そんなことは……ないです」


「でも」と「けど」を封じられてしまったシスティナは、何を喋っていいかわからない様子で口をぱくぱくとさせている。


「ええ、アリアお姉ちゃんも行っちゃうの?」

「やだ! もっといっしょにいたい……!」


 三人の子供たちが口々に別れを惜しむ。


「ごめんね。でも、決めたんだ」


 言いつつアリアはテーブルを見回す。

 皆、いい子たちばかりだ。すごく温かい場所だった。

 きっと、この世界においてアリアの故郷になるだろう。


「キサラさん、ユイ、アーサ、ヒルダ、ノクス……これまで、ありがとうございます。短い間だったけど、本当に楽しかったし、優しくしてもらえて嬉しかったよ」

「アリアお姉ちゃん……」


 隣にいるユイがまた泣きそうな顔をしているので、アリアはその頭をそっと撫でた。

 そう。いい機会なのだ。このままでは、ずっとここにいたくなってしまう。使命を果たさずに、ずっと――。それでもフローリアは許してくれるだろうし、アリア自身もまんざらでもなかったが、それでは世界と弟の晴人を守ることができない。


「ユイ。助けてくれてありがとうね。あなたはずっと、私の命の恩人だから」

「もういいよ、そんなの。……ねぇ、いつかまた、帰ってくるよね?」


 その問いに、アリアは少しだけ口籠くちごもった。

 少し間を置いてから答える。


「……実は少しの間は、近くの町で……ナガルだっけ? そこに居ようと思ってるんだ。だから――」


 すると子供たちのうちの一人、ヒルダが言う。


「それなら、このままうちに泊まればいいのに」


 アリアはちらりとシスティナのほうに視線を向けてから、曖昧に微笑んだ。


「また来るから、ね……」

「うぅ……」


 子供たちは、しゅんとしてしまった。こんなに別れを惜しんでもらえるなんて――なんだかアリアも、目元が熱くなってきた。


「アリア……」システィナがおずおずと口を開いた。「わたしも、アリアといっしょにいたいです……。でも、そうしたらまた、わたしは……」


 あなたを、傷つけてしまう。

 内なる幻獣が解き放たれて、また――。

 そう心配するシスティナを励ますように、アリアは胸の前でぐっと拳を握ってみせた。


「そのときは、また止めてあげるから」


 システィナの青い瞳に、じわ……と涙が滲んだ。

 嗚咽をこらえながら、服の袖で目元を拭う。


「いっしょに行こう、システィナ。……あてのない旅なんでしょ? 私もそうだからさ」

「……はい」


 今度は、システィナも素直にうなずいてくれた。

 少しだけ心を開いてくれたように感じて、アリアはなんだか嬉しかった。




 食事の時間が終わると、アリアは手を叩きながら立ち上がった。


「よし! 今後の方針が決まったことだし、さっそく出発しよう」


 今日出発するのは決めていたことなので、じつはもう荷物もまとめてあるのだ。

 同じく、すでに食事を終えていたシスティナ(彼女は少食だった)に、アリアは片手を差し出す。


「システィナ」

「はい。……アリア!」


 システィナはアリアの手を取って、笑って見せた。

 初めて見たその笑顔に、なんだか照れてしまってアリアは少しだけ視線を逸らす。

 そんな二人に向かって、キサラは深くお辞儀をした。


「アリアさん、よければまた、いつでもここに寄ってください。……そしてシスティナさん、この度は本当にありがとうございました。あなたの旅に、善なる神々の導きがあらんことを」

「キサラさん……ユイ……みんな。お世話になりました」


 アリアが言うと、システィナもぺこりと頭を下げた。

 食事の後にすぐに慌ただしく出発することになってしまったが、こういうのは勢いが大事だとアリアは思っている。たぶん。

 荷物をまとめて玄関に向かうときも、ユイたちがアリアたちを囲むようにして名残惜しそうについてきた。


 そうして、教会を出てナガルの町へ出発したアリアたちへと、その背中が見えなくなるまでキサラたちはずっと手を振ってくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る