第20話 ステルオール――天星の落とし子 4
おとなしそうに見えるシスティナの意外な行動力に、アリアは驚きの声を漏らした。
「システィナ……けっこうやんちゃだったんだね」
「はい……。その頃のわたしは、怖いもの知らずで……傲慢で、なのに甘えん坊で、皆に迷惑ばかりかけるような、だめな子でした……」
「べ、べつに、そこまで卑下しなくても……」
冗談でもなんでもなさそうに自らを
そしてそれは、アリアにも覚えのある感覚だ。
呪われた書庫の中で。
システィナは一冊の魔導書を手に取り、そのページを開いた。
(星の結晶の……魔法……)
古代語で書かれた内容は何が書かれているか解読が困難だが、持ち得た知識をフル動員してシスティナは書を読み解いていく。
(星の魔術……結晶化……発端……天星竜……ステル、オール?)
古代語の難解な文章を、一つ一つ噛み砕いていっていると――。
書物の文字列が、ゆらりと揺らめくのを感じた。
「え、なに……!?」
集中していたシスティナの意識が現実に戻る。
気がつくと周囲は黒い瘴気によって覆われていた。
「こ、これは……?」
凶々しい気配を感じて、思わずシスティナは本を手放した。
どさりと落ちた本、ページがパラパラと勝手にめくれる。その魔導書の持つ邪悪な気配にシスティナはいまさら震え上がる。
本のページの動きが収まると同時に、書かれている文字列が揺らめき、そこから灰色の刃が伸びてきた。
「ひっ!」
思わず後ずさる。
本から伸びた刃は、巨大なかぎ爪だった。
続いて姿を現す、骨ばった灰色の手。システィナの体を丸ごと掴むことのできそうなほどの大きさだ。
骨と
その全貌は、異形としか形容しようのないものだった。
痩せさらばえた巨体は鈍い灰色。その
およそ生物の基本的な構造からはかけ離れた、異形の魔物。これは――。
「……穢れの……怪異……」
ただ人を襲うためだけに生まれた、恐るべき怪物だった。
システィナの話を聞いていたアリアは、思わず椅子から立ち上がった。
「穢れの怪異!? それって……」
「……どうやらその書庫には……魔導書から生み出された穢れの怪異が、住み着いていたようです」
住み着いていた。ということは、一定の場所から動かないタイプの「穢れの怪異」もいるということだろうか。
穢れの怪異がどんなものかはフローリアからある程度は聞いていたが、どうやらまだアリアの知らない情報がありそうだ。
「穢れの怪異について、教えてもらえませんか?」
答えたのは老修道女のキサラだった。
「はい。それは過去、穢れの神ダムクルドによって世界にもたらされた呪いの一つ。……神花が枯れ、世界に穢れが
席についたアリアはうなずいた。穢れの神というのが元凶であるのは初耳だったが、おおかたフローリアから聞いた内容と同じだった。
「穢れの怪異は、魔物や……あるいは今回のように魔法のアイテムを媒介として現世に出現します。それがいかなる所以の存在かはとても推し量れませんが、そのどれもが穢れを持たない生物への……たとえば人間への害意を持っていることが共通しております」
「人類の敵……なんですね」
「その特性については様々で、システィナさんのお話にあったように、特定の場所に止まるものも多いようです」
「そっか。それってなんだか……」
なんだか、幽霊みたいだ。
動き回って人々を襲うタイプもいれば、呪縛霊のように特定の場所に止まるタイプもいる。そして――キサラたちもたぶん知らないけど、次元すら超えて世界を渡ってくるものもいるのだ。それが愛里亜を殺し、今も弟の晴人の命を狙っている。
システィナが小さくため息をついた。
「穢れの怪異は……わたしを捕らえて、アウラを吸収することで特性を変化させました。本来であれば書庫の周辺から動けないはずの魔物が、わたしを媒介にすることで、自由に動き回れるようになったのです」
システィナは語った。
人々がその討伐を諦めて、無数の書籍といっしょに廃棄してしまうほどに強力な魔物。
そんな脅威が、解き放たれてしまったのだと。
魔物の胸部、肋骨のように見える器官が開いて、そこから伸びる触肢が、背を向けて逃げるシスティナを捕らえた。
「ああっ」
触肢はシスティナの手足を縛り、胸を、腰を、口元まで、何重にも絡みつき、きつく締め上げて引き寄せる。そして魔物の肋骨のような器官が閉まり、まるで棺に蓋をするようにシスティナを閉じ込めた。
(ち、力が……吸われていく)
魔力と、それから
身悶えることも、声を上げることも許されないシスティナは、ただ苦痛に耐えるしかなかった。
そんな中、魔物をこの地に縛り付けている何か魔力の鎖のようなものが、千切れて砕けるのを感じた。
低い雄叫びを上げて、穢れの怪異が動き始める。書庫の壁を壊し、人の気配のする村のほうへと。
村から、炎が巻き上がった。
その戦火の中心にいるのは、穢れの怪異に取り込まれたシスティナだった。
「魔物だ! 魔物が暴れているぞ!」
「穢れの怪異だ! 自警団を呼べ! 戦えない者は、急いで避難を!」
大きく鋭いかぎ爪、そして未知の邪悪な魔術が吹き荒れる。
異形の魔物は、解き放たれた歓喜に酔うように、必死に抵抗する村人たちを一人、また一人と薙ぎ払っていく。
「システィナ!」
側面から青白く光る魔力の矢が飛来し、システィナを捕らえた魔物へと直撃した。
フェリシアの放った魔法だった。彼女がふたたび杖を振るうと、そこから流星のような魔術が撃ち出されて、その威力に異形の体が大きくよろめく。
「今、助けます!」
「よせ、危険だ!」
システィナへ駆け寄ろうとするフェリシアを、夫である自警団の男が止めようとするが、間に合わなかった。
薙ぎ払われた魔物の巨大な腕に突き飛ばされ、フェリシアは瓦礫と炎の中へと飲み込まれていく。
「フェリシア! ……くそっ!」
男はフェリシアを救出しに炎の中へと飛び込んだ。
(おかあさん……!)
それをただ見ていることしかできないシスティナ。
(……わたしの……わたしのせいだ……)
なんて、取り返しのつかないことを――心の中を、暗い絶望が支配していく。
(わたしが……言いつけを破ったから……)
「うぉぉぉ!」
炎の中からフェリシアを救い出した男が、剣を構えて駆け寄ってくるのが視界に入った。
触手を斬り裂き、なんとか捕らえられたシスティナを助けようと奮闘する。だがそれも届かず、穢れの怪異の巨大な腕によって捕らえられてしまう。
(わたしが……わたしのせいで……ああ……!)
ドクン。
跳ね上がるように大きな鼓動が胸に響く。めまいのように視界が揺れて、体の奥から力が湧き上がってくるのを感じた。
抑えることができないほどの力が。
(ああ……なんでもいい……どんな力でもいい。村の人たちを……みんなを、助けて……!)
システィナは受け入れた。体の奥底から湧き上がってくる、得体の知れない力を。強大な魔力を。
爆発するように青白い光を発して、システィナを捕らえた穢れの怪異を焼き払いながら、燃え盛る炎の中にそれは顕現した。
思い起こされる悲惨な記憶に、その大きなトラウマに押しつぶされそうになって、荒い呼吸を繰り返す。
「システィナ……無理しないで」
アリアは立ち上がって、システィナの肩にそっと手で触れた。
「つらかったら、もう無理して話さなくてもいいから……」
システィナはアリアの手を握った。
そうすると少しだけ気持ちが落ち着いたのか、システィナは首を横に振った。
「お話します……わたしがかつて犯した罪を……」
そう前置きをして、システィナは続きを語り始めた。
システィナから顕現した光の竜が、その身に宿る膨大な魔力が、穢れの怪異ごと村を焼き払っていく。
「たすけなきゃ……わたしが……」
うわごとのようにシスティナは言葉を
「わたしの……せいで……」
魔力をまとった爪が、牙が、そして青白い炎の息が村を焼く。システィナを救い村を守ろうと立ち向かってくる自警団と、生き残った村人を次々と引き裂き虐殺していく。
赤い炎と蒼い魔力の火が、黒い雲に覆われた薄暗い空の下を照らす。
「落ち着けシスティナ! もう魔物はいない! 終わったんだ!」
誰かが呼びかけるも、声がシスティナに届くことはなかった。
意識の記憶もあるのに、体が、心が言うことを聞かない。
そのとき、視界の端に人影が映った。
自分のよく知る人物だ。体のいたるところにひどい怪我をしている。
「システィナ……」
育ての母である、フェリシアだった。
ああ、ひどい怪我。助けないと――わたしが、どうにかしないと。
ぼんやりとした意識の奥、システィナの潜在意識がそう念じると、幻獣はさらに力を増して暴れ始める。
「こうなってしまったのは、すべて私の責任……私とあなたの、背負うべき罪です」
罪。そうか、わたしは罪を犯したんだ……。
頭痛を感じて、システィナは頭を抱えてうずくまる。激しく暴れまわる光の竜が、振り払われた前足がフェリシアを弾き飛ばすのが見えた。
「システィナ……かならず私があなたを助ける……たとえこの身が朽ちても、あなたに呪いをかけることになっても……」
これ以上、罪を重ねさせないために。
その声は、たしかにシスティナの意識の底へと届いた。
フェリシアがシスティナのもとへと近づいてくる。
幻獣と魔女、二つの魔力がぶつかり、
そうして光の竜を押さえつけながら、フェリシアはシスティナへと手を伸ばした。
――。
そこから先のことは、よく覚えていない。
意識が完全に獣に飲まれていたのだろう。
「わたしは……」
気がついたら、周囲は瓦礫の山で――生きている者は誰もいなかった。
歩いても、そこにいるのは屍だけ。今も残り火が煙を上げている家屋の中にも、誰もいなかった。
絶望の中で、システィナは一人の女性が倒れているのを見つけた。
見覚えのある、育ての母――フェリシアの姿を。
「いや……ああ……っ」
亡骸を抱きながら、幼いシスティナは涙を流した。
犯した罪への恐怖と悲しみがせめぎ合って、慟哭すら上げることができずに。
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