第2話 不死の魔女
「――んぅ……」
木々の隙間から漏れ出る陽光、吹き抜ける朝特有の少し冷たい風がフェラムの目を覚まさせた。
朦朧とした意識の中で、フェラムは辺りを見渡してみる。フェラムが寝ていたのは家の固いベッドではなく、草が敷き詰められた簡易的なベッド。そして、その近くには誰かが焚き火をしていたのか、灰になった炭が落ちている。
(なんで僕……外で寝てたんだっけ……)
フェラムは昨晩の記憶を必死に思い起こそうと頭を捻った。
「…………そうだ。ドラゴンに襲われて……」
フェラムの脳裏に徐々にだが、昨晩の景色が思い起こされていく。
ドラゴンに襲われ、そこを助けに来てくれた頭部の欠けた少女。
「…………そうだっ! あの女の子はっ!?」
フェラムは周囲を見回すが、そこには昨晩の少女の姿がどこにもなかった。恐らく、あの焚き火の跡は少女が起こしたものだろう。
焚き火の跡からはまだうっすらと煙が浮かんでいる。
「……多分燃えかすからして、消えてから時間はそう経ってないと思うんだけど……」
フェラムは木々の隙間を縫って、辺りを探し始めた。
(うーん……人どころか生物の気配すら……)
フェラムは焚き火を中心にそう遠くない距離をそれとなく探してみたが、なにも見つからない。
どうやら昨晩のドラゴンの襲撃により、辺り一体の魔物たちは全部逃げてしまったらしく、生物の影すらも掴めないほどに静かだ。
(もう……行っちゃったのかな……)
フェラムが探すのを諦めるかと決めかけたときだった。
(――ん? 水の音? この辺に水辺なんてあったっけ?)
水音がフェラムの耳に入った。
フェラムは自分でも森には詳しいと自負している。この森にある唯一の水場である川はもっと村に近いところにあり、周りには木々など生えておらずゴツゴツとした岩のみだ。
そして、知る限りこの森に池はない。しかも昨晩は雨も降っていなかった。
つまるところこの近辺で水音など聞こえようはずもないのだ。
「……もしこの場に水場があるなら今後狩りをする時にここに寄れるし。うん……見に行ってみよう……」
フェラムは最大限の警戒を持って音の聞こえる方へと向かう。
木々の間をすり抜けていくと、少しだけひらけた場所に出た。その際、遮られていた光が一気に目に入り、フェラムの目が眩んでしまう。
フェラムは眩んだ目を細めてその先を注視した。
「――へっ?」
「――あれ? 起きたのかい?」
その先にあったのは空中に浮いた水の塊、脱ぎ捨てられた衣服とその側に置かれている木製の杖。そして、白磁器のように白い肌とその細い四肢を晒した少女。
あまりの状況にフェラムの脳みそは思考を停止してしまった。
「大丈夫かい? 急に固まったりしちゃって……」
少女はその裸体を隠そうとすることもなくフリーズしたフェラムの顔を覗き込んだ。
それを認識した瞬間に停止していたフェラムの脳内はトップスピードで回転を始めた。
「――だ、大丈夫ですっ!?」
「???」
フェラムも九歳の子供とはいえ、異性の裸を見るのには羞恥心がある。それも自分よりも五つほど年上に見える少女の裸など刺激が強すぎる。
フェラムは羞恥から熟れた林檎のように顔を真っ赤にしてしまっている。
首を傾げた少女ではあったが、そんなフェラムの様子を見て何かを察したらしい。
その顔をニヤリと歪ませて、フェラムの耳の傍に顔を寄せていく。
「……キミも一緒に水浴びするかい?」
耳元で、息のかかる距離で、囁くような声にフェラムの羞恥は最高潮に達した。
目をぐるぐる回し、頭から煙を吹き出しそうなほどに真っ赤になっている。
「けっ結構ですううぅぅっ!!!?」
フェラムはそう言うと、揶揄ってきた少女を置き去りその場から爆速で走り出した。
「あ、ちょっと! …………揶揄いすぎたかな」
取り残された少女はフェラムが走り出した方を見ながらそう呟いた。
☆☆☆☆
「……すみませんでした」
「いやいや。ボクの方こそ揶揄いすぎたね」
二人は先程の焚き火のところへと戻ってきていた。
フェラムは先程の痴態から少女に顔を向けることができず俯いてしまっている。それに対して、少女の方はまるで気にしていないどころか自身の後頭部を掻きながら笑っていた。
「まぁ積もる話もあるだろうが、まず自己紹介からしようか。ボクの名前はカテナ。カテナ・エタルニタスだ」
「――へ?」
突然の自己紹介に驚いたフェラムは、羞恥を忘れてカテナと名乗った少女を凝視してしまう。
「へ? じゃないよ。名前だ。キミの名前を教えてはくれないか?」
カテナは呆けてしまったフェラムの胸の中心に人差し指を突き立てながら、顔をグイッと近づけてくる。あまりの距離の近さにフェラムは心臓が再び高鳴るのを聞きながら、再び顔を背けた。
「――フェ、フェラム・ディミティス……です……」
緊張のあまりに掠れた声で絞り出すようにフェラムは名乗った。
「ふむ。フェラム君か」
フェラムの名を聞いて満足したのかカテナはフェラムから距離を取った。
カテナが離れたことにより、フェラムはホッと息を吐いた。
「さて……フェラム君。キミは昨日の事で聞きたいことはあるかい?」
「聞きたいことですか?」
「そう。聞きたいことだ」
ある。山ほどある。
なぜドラゴンがあの森の中に降り立って来たのか。そもそもこの近辺にドラゴンの巣などの目撃情報などないはずだった。ならばあの竜はどこから現れたのか。そもそもカテナはどこから来たのか。
でもそれよりも先に聞きたいことがあった。
「……なんで……頭が潰れてたのに生きてるんですか? なんで……頭が再生してるんですか……?」
彼女は本来の人間なら即死している筈の頭部の欠損をしていたにも関わらず生存していた。
フェラムの目に映ったあの光景はもしかしたら夢で、本当は頭部など欠けていなかったのかもしれない。だが、フェラムの脳裏に焼き付いたあの光景は幻というには生々しすぎたのだ。
「やっぱり聞きたいこととなればそのことだよねぇ……」
カテナにとってもそのことが質問される事は予想していた。今までの人生で彼女の体のことについては何度も聞かれてきた。
そして、そのたびに――
「…………ボクはね。死ねないんだ……」
死ねない。その言葉を聞いたフェラムの顔は凍りついた。不死身というのは時の権力者が最後に求める、永劫に手に入らないもののはずだ。そんなものを持っているなら喜んでも良いだろう。
しかし、フェラムの前の少女はただただ辛そうに。置いて行かれたひとりぼっちの子供のような顔をしていた。
「……もう千年以上かな。死ぬことが出来ずに彷徨っている。ボクは……時の流れに置いて行かれた亡霊なんだ……」
そう言ってカテナは弱々しく笑った。
――千年。普通の生物では到底生きることのない年月。長寿とされるエルフですら三百歳ほどが寿命だ。彼女はすでにエルフの寿命の三倍以上もの年月を一人で生きている。
「……この話をするとね。大抵の人は羨ましいと言うんだ。『不死の祝福』とさえ崇めてきた……。でもね? 死ねないというのは『呪い』だよ。心が壊れそうになっても……ボクの体が朽ちる事はないんだから……」
千年もの間で誰とも関わらず生きることなど不可能だろう。なにせ、今も彼女はフェラムと関わりを持ってしまった。
親しくなった友人が自分一人を置いてみんな遠いところへ逝ってしまう寂しさ。
フェラムも親を失った。とある雨の日、フェラムが遊びに行った後に家は焼失した。あまりの火力に両親は骨すら残せずに死んでしまった。
二人の喪失でフェラムはどれだけ苦しんだのかわからない。しかし、目の前の少女はそれを何十、何百、何千回も繰り返してきたのだろう。
「――――なんで泣いているんだい?」
「……えっ?」
気付けば、フェラムの目からは涙が溢れ出していた。
カテナの苦しみを推し量る事は、まだ彼女の百分の一程度しか生きていないフェラムにはできない。
それでも、彼は想像してしまったのだ。千年もの間、親しい人たちをただ静かに看取る辛さを。
「ご、ごめんなさいっ! カテナさんの……痛みを想像したら……つい……。僕も両親を失って……そのとき……辛くて……。でも、カテナさんはそれを何回も繰り返してきたと思ったら……」
フェラムは涙を止めようと目を擦るが一向に止まる気配はない。それどころか更に涙が流れ出てくる始末だ。
その様子を見て、カテナは静かに微笑んだ。
「キミは……感受性が豊かなんだね……」
「え?」
「この話をして泣いてくれたのはキミが初めてだよ。みんな大体……羨ましがっていたのに。何人かは同情はしてくれたけど泣いてはくれなかった」
カテナは過去を思い起こすように空を見上げてそう言った。
「キミは優しい子だよ……ホントに……」
未だに涙が止まらないフェラムの頭を、カテナは優しくポンポンと撫ではじめる。
その優しさが。フェラムの涙腺をより緩めてしまい、涙は勢いを増して滝のようになってしまっていくのを感じる。フェラムはそんな情けない顔を見せんと、面を下に向けた。
「…………」
「……っぐ。ひっぐ……」
二人の間に流れる空気はどこか湿っており、とてもじゃないが明るい雰囲気ではない。
(……しまったなぁ。こんな話するんじゃなかった……)
カテナは先程までの会話を振り返って、思わず心の中を全て吐露してしまったことを後悔した。
カテナの心の中にあるのは、この空気をどうにかしなければならない! という使命感。自分を思って泣いてくれた少年の涙を少しでも止めてあげるための……そう、ちょっとしたジョークでもしてやろう!
なんていうちょっとした心遣い。
「……まぁとは言ってもさ。女の子に対して化け物はないと思うんだ」
そう。昨晩、彼がした言動を掘り返し、ネタとして昇華する。それこそが彼女にとってのジョークだった。
しかし――
「ず、ずびばぜんでじだ! ぞんなづらい
――それはフェラムにとってはとてもジョークにはなり得なかった。
よりフェラムを泣かせるだけになってしまうのだった。
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