リコリス・アルバム〜不死の魔女を殺す旅〜

ホードリ

第一章 旅の始まり

第1話 欠けた少女

「――フッ!!」


 鬱蒼とした森の中、一人の少年が木々を避けて逃げ回る鹿の魔物――『グラッドケルウス』に対して剣を振り下ろした。


『――――ッ!』


 振り下ろされた刃は『グラッドケウルス』に悲鳴を上げることすら許さずその首を刎ねとばした。

 首を切られた鹿は走った勢いそのままに地面を滑っていく。その後に続いて赤黒い血液が流れていく。


「……よしっ! やっと狩れた!」


 少年は返り血によって顔半分が汚れていたが、それを気にする素振りすらないまま転げ落ちていった獲物を追いかけていく。

 『グラッドケウルス』の死体は転げ落ちた先にあった木の切り株に引っ掛かっている。


「ようやく今日のご飯を確保できた……。それも久しぶりのお肉!」


 少年は死体となった鹿の元へ駆けつけ、その足を掴んで縄で両足を縛りはじめた。なんどもなんども入念に縄を回して固定した後、左手で縄の先を掴み歩き始めた。

 少年の名前はフェラム。

 彼は現在、森の中にある村――『シルワ村』で暮らしているごく普通の少年だ。


 親は彼がまだ五つの頃に村の流行り病で亡くなってから四年。フェラムは村で仕事をしながら自分が食べる為の食糧を森で獲ってくる生活をしている。

 彼が狩猟の際に使っているのは短剣である。この短剣は仕事して初めて得た金銭で自分で購入したもので、刀身は手入れこそしているが刃こぼれが酷い代物だ。


「ふんふんふふーん」


 フェラムは久しぶりに肉を食べることができる幸福感から鼻歌を歌いながら家へと歩き始めた。

 ある程度道を進んだところで、フェラムはふと足を止めた。そして、辺りをぐるりと見渡した。

 今日の狩猟は思ったより長引き、現在日は落ちて森の中は月の光に照らされてはいるが薄暗くなっている。フェラムは周囲の気配や影、音を聞くために静かにその場で止まり続ける。


「…………なにかに見られてた気がするんだけど。気のせいかな……?」


 しかし、一度気配を感じると今までは気にすら留めていなかったものが明瞭に認識されていく。

 風が吹き抜けていく音、葉が擦れた音、小動物が動いた物音、小枝が折れる音。様々な音がフェラムの耳に不穏な森のざわめく音となって認識されていく。

 しかしなにも起こらない。なにか異変を感じ取ることもない。少なくともフェラムに感じ取れるものは何もなかった。


「……やっぱり気のせいだよね。きっと暗いせいで妙に感覚が鋭くなってただけだよ、うん」


 フェラムは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 そうして底知れない恐怖を感じながらも、フェラムは一歩足を前へと踏み出した。


「――危ないっ!」


 少女の声が聞こえたと同時にフェラムの体は前へとつんのめった。その際、握っていたはずの縄を手放してしまった。

 フェラムは体をごろごろと転がした後、臀部を地に落とした体勢で後ろを見た。


「――くっそ! なにが……っ!」


 その瞬間――ズドンッッッッ!!! という耳を叩くような爆音と共に、周囲に砂埃が舞い散った。

 フェラムは顔を腕で飛んでくる瓦礫から守りながら、爆心地の方を凝視する。その先には月明かりに照らされ浮かび上がる影が見えた。

 その影は木々が小さく見えるほどの体躯とそれを支えて飛ぶ巨大な羽を有していた。

 そして、その姿は幼いフェラムにもわかってしまうほどに有名な魔物だ。


「…………どら、ごん?」


 ドラゴン――正確には『竜種』と呼ばれる怪物の一体。種類こそわからないが、そのどれもが羽が生えたトカゲのような姿をしていることで知られている。

 『最強の厄災』――昔の人々はかの怪物をこう称し、怒りに触れないようにと恐れた。


 およそ千年前に起こった魔族と人間との戦いにより、その数を多く減らした魔物。しかし、一度現れればその近隣全土が更地に化すとされるほどの怪物。

 その怪物を視認した瞬間、フェラムの体から熱は奪われていき、手足にも力が入らなくなってしまった。


「う、嘘だ……っ。なんで、どうしてこんなところに……っ!?」


 絶望――。

 突如として現れた死の体現者。

 前触れもなく起こった終わりのカウントダウン。


「ぼ、ぼくは……ここで死ぬ……?」


 砂埃が晴れていく。

 その姿が影ではなくはっきりと、鮮明にフェラムの目に映し出されていく。

 赤黒い鱗を纏い、獰猛な眼差しでフェラムを見据えている。その足元には美しい銀髪を散らし、紅を垂れ流す頭の左半分が潰れた少女。

 その少女こそ、フェラムを突き飛ばした張本人であることは明白。


「……そ、そんな」


 そして、少女を殺した今、次にドラゴンが獲物として狙いを定めるのは誰なのか。

 今、この場でドラゴンの視界にあり、手頃に狩れそうな小動物は誰なのか。

 ――フェラムだ。

 ドラゴンはその巨躯をゆっくりと動かして、腰が抜けて立てなくなっているフェラムに近づいていく。


「や、やめろっ! 来るな!?」


 フェラムは短剣を抜き放ちドラゴンの前に向ける。

 臀部を落としたまま、情けなくがむしゃらに短剣を振り続ける。

 そんなフェラムの足掻きを意に介することもなくドラゴンは接近し、その爪を振り下ろさんと右の腕を振り上げた。


(ダメだ……っ! 死ぬ……っ!)


 フェラムは顔を手で覆い、いずれ訪れる死から目を背けた。

 肉が潰れる不快な音が夜闇に響き渡るまであと数秒――


「――【エクスプロシオン】」

『ギャアアアァァッ!!!?』


 竜の右腕が爆ぜた。

 そして、焼け焦げた右腕は根本から落ち、ドラゴンは絶叫と共にその場から血を振り撒きながら飛び去っていった。

 その様子を呆然自失としながら眺めていたフェラムの前にもう一つ小さな影が被った。


「……ふぅ。危なかったね、キミ。大丈夫だったかい? 怪我はないかい?」


 そう言ってフェラムに手を差し伸べたのは、先程ドラゴンの足元で頭の左半分を喪失していた少女だった。

 彼女の頭部は再生しておらず、未だに欠けたまま。その箇所からは血液と脳漿が流れ出ており、とても生きているようには見えない。


「ば……」

「ば?」

「化け物だああぁぁっ!!?」


 フェラムは頭の欠けた少女を指差して、そう叫んだ。

 少女はなにがなんだかわからないという表情を浮かばせた。


「――ああ。そういうことか。ごめんごめん」


 しかし、それは一瞬のことですぐになんのことかを悟ったらしい少女は、自身の欠けた頭に指を向けた。


「――ボク、頭潰れてても死なないんだ」


 ほら、というと少女の頭から脳が出来上がり、頭骨が構築され、それを覆うように皮膚や髪が出来上がっていく。

 そうして気がつけば少女の欠けた頭は完全に再生し、その美しい相貌が顔を見せた。


「この通り! ボクはふじ…………って、あれ?」

「――――――」


 あまりの衝撃的な光景にフェラムは泡を吹いて気絶してしまった。

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