1.耳鳴りの漣

 人類の二足歩行を、進化と呼ぶのか、退化と呼ぶのか。そんなことをただ、頬杖ほおづえをついて考えていた。かつてできていたことを失って、肺呼吸はえら呼吸よりも優れたものなのだろうか。陸上を歩くことは、水中を泳ぐことよりも優れたことなのだろうか。

 そんな風に思って見上げた天井に、規則正しく蛍光灯が並んでいる。

 四角四面というのは、息が詰まる。ましかくの教室、ましかくの机、ましかくの椅子。角が落とされて丸くなっていようが何だろうが、やはりましかくはましかくだった。教室を出たって、どこにいたって、あちらこちらがましかくで、壁と壁と壁から逃げられもしない。

 こんなことを居候いそうろう先の家主に言おうものなら。「お前馬鹿なんじゃないのか」ときっと笑われるのだろう。ならばいっそ、口にしてしまった方が良いのかもしれない。

 じっとりと、今日も空気はなまぬるい。含みきれないほどの水を含んだ空気の湿度は、今何パーセントなのだろう。じとりとまとわりつくのなら、いっそ結露けつろして水になってしまえば良いものを。

 みんながみんな、同じ服を着た。きっちりと詰襟つめえりを一番上の金具まで閉じて、けれどこんなものは息が詰まるようなものではない。息を詰まらせるのは、呼吸を阻害そがいするのは、たかが薄いプラスチックの板一枚と、布にできるものでもない。

 四方に、壁がそびえている。窓ガラスがあろうが黒板があろうが、壁は壁。見物するもののいない檻の中、ただぼんやりと外を見ている。

 別にここに、何があるわけでもないのだ。

 来たくない理由などないけれど、来たい理由もない。ただ、それだけ。本当にただそれだけのことなのだ。ただ漠然としたものに押しつぶされて、そっと自分の喉に指を這わせた。

 皮膚がある。この下には血管がある。そして更にその中に、きっと欠陥品のような我楽多がらくたが、数多あまた詰め込まれているのだろう。我楽多がらくたは喉をいたところで、腹をいたところで、取り出せるようなものでもない。

 この我楽多がらくたの名前を、何としよう。

 耳の中で何か遠く、耳鳴りのような音を聞いた。まぶたを閉じても見えるものはなく、ただ耳鳴りにもにたさざなみの音が、ざざんざざんとはるか彼方から誘うように聞こえていた。

 おりを出て、やはりおりは残る。なまぬるい空気を切り裂くようにして、排気ガスを吐き出した車が通り過ぎていく。ただ真っ直ぐ歩くだけの道の脇、ふたをされない用水路の水がちろちろと走っていった。

 しばらく行けば、川が流れている。橋の上からただ走る川を眺めて、ようやく呼吸ができた気がした。

 これは境界線。ここが、境界。

 交差する道も流れる川も、神社の鳥居も注連縄しめなわも、何もかもが境界を示した。それを踏み越えることを、かつての人は何と称していただろうか。

 天鼓てんこは、沈められた。

 女郎花おみなえしは、続いて身を投げた。

 船橋ふなばしは、足を踏み外して落ちていった。

 ぬえは、押し入れられて流された。

 ならばおりの中で天井を眺めている自分は、どうなるのだろう。そのおりのままに沈められて流されて、そうすれば果てに辿り着くのだろうか。

 けれど果てとは、何処どこなのだろう。

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