向こうから来るモノ

よし ひろし

向こうから来るモノ

「夕方五時のチャイムあるだろう。あれのリズムが突然おかしくなった時、異界の門が開くっていう噂、知ってるか?」


 給食の時間、近くの男子の話が耳に入ってくる。


「異界の門? なんだそれ?」

「ここでない世界とのゲートさ。それが開く時、向こうの世界から異形のモノがこちらにやって来たり、こちらの人間が向こうの世界に迷い込んだりするらしい」

「妖怪とか、神隠しとか、そういう話か?」

「ああ、ほら夕方のことを逢魔が時って言うだろ。それだよ」

「ふーん、で、お前はその門を見たり、通ったりしたのか?」

「まさか。ただ、一度そんな不思議にあってみたいな、って話さ」

 ハハハハハっ……


(まったく、中一にもなって妖怪? 神隠し? 本当に幼稚ね、男子って……)

 聞えてきた話にそんなことを思い、一緒に給食を食べている友人たちの話に意識を戻す。

「ねえ、昨日の配信見た?」

「ごめん、まだ。寝ちゃって」

「じゃあ、ネタバレはしないけど……、実は――」

 こちらは推しのアイドルの話で盛り上がっていた。


(男子は妖怪で女子はアイドル――、ま、どちらも大して変わらないか)


 自分はどちらにもあまり関心はないので、少し冷めた感じで黙々と給食を食べ、牛乳の最後の一口を飲み込む。

「さてと、私、行くね」

「えー、どこ行くのよ」

「図書委員の仕事。今日当番なの」

「そうなの、昼休み一緒に遊ぼうと思ってたのに、残念」

 そう言いながら全然残念そうではない友人を後に残し、食器の後片付けを済ませ、図書室へと向かった。



 その日は放課後も図書委員の仕事があったので、帰りは遅くなった。なので、ちょうど下校の途中で、夕方五時のチャイムが聞えてきた。

 そこで、つい昼間の話を思い出してしまう。


「異界の門――、嫌な話を聞いたわ、もう、気になるじゃない……」


 誰に話すでもなく、呟く。せめて誰か一緒に帰ってくれる人がいればよかったが、残念ながら一人だった。

 チャイムが聞こえてきた場所も悪い。両脇を雑木林に囲まれた狭い小道。家に帰る近道だが、今日は回り道でも開けた通りを使うんだったと、少し後悔した。もうすぐ梅雨も明けようという時期で、朝まで降っていた雨のせいで妙にじめじめとしているのも嫌な感じだ。


「確か、リズムがおかしくなるとかなんとか言ってたわね……」

 鳴る夕方のメロディーに思わず耳を傾ける。


「……」


 気づくと歩む足が止まっていた。


 はぁはぁ…


 自分の呼吸の音が妙に響く中、もうすぐチャイムも鳴り終わろうとした処で、突然そのリズムが崩れた。


「えっ?」

 時間が間延びしたように、音が歪みながら尾を引く様に伸びていく。


「え、え、え、――」


 頭が混乱する。何が起こっているの?

 周囲を見回す。


 ガサガサガサ――


 右手の林から物音がした。


「え、まさか――」


 妖怪、化け物が……

 音のした方へと顔を向ける。と――


「ひっ!」

 息を呑むような短い悲鳴が漏れる。


 下草をかき分け黒い塊が姿を現した。

 その姿は――熊だ!


「……」

 ドクンドクンと高鳴る鼓動。


(なんで、こんな場所に――)

 もう少し山の方なら熊が出てもおかしくはない。だが、こんな里まで下りてくるなんて――


「……」

 目を離さず、じっと動きを止める。駆け出したい衝動が湧き上がってくるが、それは一番やってはいけないことだ。


(う…、妖怪の方がよかったかな…。どうしよう、どうしよう……)


 熊の視線がこちらに固定される。ロックオン、そんな感じだ。


(怖い怖い怖い……)

 足が震えてくる。おしっこ漏れそう。

 どうしていいかわからない――


(誰か、助けて……)


 そう思った時、


「動かないで、お嬢ちゃん。いま追っ払ってあげるから」


 背後から声がかけられた。低いけど綺麗な男性の声音。

 えっと思って振り返ろうとすると、


「ダメだよ、こちらを見ちゃ。そのまま、動かないで」

 すぐ耳元で掛けられた声に、金縛りにあったように動けなくなる。


「あ……」

 声もうまく出せない。


「ちょっと我慢してね」

 その声の直後、全身の毛が逆立つ、いや抜け落ちるんじゃないかというような強烈な恐怖感が襲ってくる。

 見ていると目前の熊も同様に感じたみたいで、ブルっと体を震わせた後、怯えたように体を反転させ、林の奥へと駆け去っていった。


「さあ、もう大丈夫だよ。でも、もう少しそのままでね。――そうだね、ゆっくり十でも数えて」

 男に言われるまま、心の中で数を数えだす。


 一、二、三……


 数が増えるごとに悪寒が薄らぎ、背後に感じていた気配も遠のいていく。


 ……八、九、十


「……」

 感じていた気配はすでにない。ゆっくり両手動かす。大丈夫、動く。首も動かせる。

 周囲を見回した。誰もいない。


 はぁ~


 大きく息を吐き出す。気づくと全身汗だくだ。


「何だったの、今の――?」


 誰が助けてくれたの? 


 私が出会ったモノは、何?


 ゴクリ……


「う、うわぁぁ――――!」

 私は突然恐ろしくなり、大声をあげながら、全力で走り出した。



 その後、季節が変わるまで、私はその近道を通ることはなかった……

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向こうから来るモノ よし ひろし @dai_dai_kichi

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