№26 つがいのケダモノ
次の晩に目覚めてからから、咲は異常な渇きに襲われた。
いくら水を飲んでも満たされない欲求は、吸血衝動によるものだとカインは説明した。
血を吸いたい。このうずく犬歯を誰かの首筋にうずめたい。
……いや、『誰か』ではダメなのだ。
カインもそれをわかっているらしく、『吸え』とみずからの首筋を差し出してくれた。
辛抱たまらず首筋にかぶりついた咲は、カインの血を吸った。
それはもう、めまいがするような美味だった。
からだの芯からちからが湧き上がってくる感覚に、失神しそうなほど興奮した。
カインもまた、血を吸われてひどい快感に酔いしれた。
これが吸血行為……吸血鬼になるということ。改めて実感して、咲はほろりと涙をこぼした。
「……っは、あ……どうした……?……やはり、バケモノになるのはこわいか……?」
快感と困惑に眉根を寄せるカインに、咲はゆっくりとかぶりを振る。
「……いえ……うれしいのです……やっと、カイン様と同じステージに立てたことが……」
「……ふ、ふ……いじらしいことを言うじゃないか……メス豚が……」
「……私は、いつかこの日が来ると覚悟をしておりました……今、カイン様と同じ存在になれてうれしいです……本当の意味で、あなたと共に歩めるのだと……」
「……ははっ、やはり貴様は最高だ……!」
にやりと笑うと、カインもまた、咲の首筋から血を吸った。
互いに血をむさぼり合い、たちまちふたりの首にはいくつものうっ血痕が出来上がった。快楽を与え、与えられ、ふたりしかいない夜をいくつか過ごした。
昼は死んだように眠り、夜になると求め合う。理性のタガなどとうに外れてしまっていた。二匹のケダモノ同士、つがいの血をすすっては快楽に溺れる。バケモノらしい、衝動と本能だけに突き動かされた行為が、何度も何度も繰り返された。
そうなると、マトモな社会生活など送れない。咲は会社を休み、カインとの『情事』にひたすら耽溺していた。何も食べず、携帯の充電もとっくに切れ、確実にひとではなくなっていく。マンションの一室には互いの血の匂いが充満して、それがなお一層欲望を高めていった。
……ある夜、やっと満足した咲が眠りについた明け方。
一匹のコウモリがどこからともなく現れた。
「……アベルか」
かすれた声でつぶやくと、コウモリは一瞬でひとの姿に変じる。
「はい」
「何の用だ? 私はもう眠い」
わずらわしげに言い捨ててあくびをする無精ひげを生やしたカインの様子に、アベルはつい苦笑いをこぼしてしまった。
「……その女、すっかり眷属として目覚めましたね」
「ああ。私のつがいだ、初めての血に夢中になっている様は、実に愛らしいぞ」
「兄上がつがいと認めた女、今更なにか言うつもりもありません。ですが、その女はまだ浮世にしがらみを残しています。いきなりとりこにするのは酷かと……」
「……ふん、わかっている」
すねたようにそっぽを向くカインは、どことなく子供じみていた。こんなに無邪気な兄を見たことがないアベルは、果たしてどちらがとりこにされているのか、と内心肩をすくめる。
ともかく、咲はつい先日まで人間として生活していたのだ。いきなりバケモノとしての生活を送ることは難しい。徐々に慣らしていかなければ、咲の精神はいつか悲鳴を上げる。
カインもそれをよく知っていた。だが、ここ数日は歯止めがきかなかった。ほかならぬ弟にそれを指摘されて、決まりが悪くなったのだ。
ざりざりと無精ひげをかくカインに、アベルは言いにくそうに本題に入った。
「……父上が、『そろそろ戻るように』と」
父……真祖吸血鬼であるアダムか。
カインが『実家』を飛び出してきた理由のひとつ、それがアダムだった。
今でもこの身にアダムの血が流れていると思うと吐き気がする。
両親に寵愛されてきたアベルは、もともとカインを『実家』に連れ戻そうとやって来たのだった。散々疎んじてきた挙句、今更戻れと言われても従う気はない。アダムとイブは、自分たちのやってきたことになんの罪悪感もないらしい。
おぞましい無意識の悪意にさらされて、カインは育てられたのだ。
一方で、そんなカインに見せつけるようにアベルは愛されて育った。それが『愛』だとは微塵も思わないが、とにかく甘やかされていた。ゆえに、アベルは『実家』から離れるに離れられない。
そんなアベルには悪いが、もうあそこに戻るつもりはなかった。
アダムの件もあるが、それ以上に、今の自分にはたしかな居場所がある。
バケモノでもいいと、『ふつう』の愛を与えてくれるつがいがいる。
カインは傲然と鼻で笑って、
「あのクソ親父に言っておけ。私はつがいと共に生きていく、邪魔をするならば貴様も潰す、とな」
「……兄上……滅多なことを……!」
父をおそれているアベルが口を差しはさんでも、カインの決意は揺らがなかった。
「構わん。私は決めたのだ」
言い放つカインに、アベルはため息をひとつつき、
「……わかりました。ならば、僕からはもう何も言いません」
こっそりと苦笑いをした。しかしすぐに表情を正し、
「ですが、父上はきっと追手をかけてきます。どうかご無事で、兄上」
これからもちょくちょく様子を見に来るが、父の意志を妨げるようなことはできそうにない。兄とそのつがいの無事を祈り、アベルは頭を下げた。
「ああ。貴様もな、アベル」
その頭に、ぽん、と手を乗せ、カインが言う。
たちまちアベルの瞳が真ん丸になった。
「…………」
「どうした、アベル?」
アベルはしばらく絶句したのち、ぽつりとこぼす。
「……いえ……兄上からそのような気遣いをされるとは……」
「失礼な。これでも私は『ふつう』なのでな。『ふつう』は兄弟の身をを案じるものだろう?」
わざと大真面目な顔をして告げるカインに、頭を上げたアベルはつい笑声を漏らしてしまった。
「……たしかに」
愉快そうにくすくすと笑うアベルに、カインもまた照れくさそうに笑う。
今回の一件で、兄弟の間にあったわだかまりも解けた。
しかし、アダムが送りつけてくる追手、か。きっと厄介な相手に違いない。
厄介だろうとなんだろうと、今の咲との生活を守るためならば、万難を排して退けるまでだが。
それに、あの男……倉敷の動きも気になる。
あの執念深い男が、これしきのことで咲をあきらめるとは到底思えない。また次の一手を打ってくるだろう。
次もリチャードがやって来るのか、それとも別のなにかか……
『ふつう』の生活を送るのもラクではないな。
だが、奪わせはしない。絶対にだ。
コウモリに戻って去っていくアベルを見送り、カインはそっと咲の寝顔に指を這わせるのだった。
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