№25 覚醒

「ちょおっと待ったああああああああっ!!」


「うるさいわめくな女!」


 咲の声がビルの谷間にとどろく。わずらわしそうに耳をふさいでいるアベルが連れてきたのだろう。まさか、本当に戻ってくるとは。


 全力疾走でぶつかるように両者の間に割って入って、咲はコウモリのカインをかばうように両手を広げて立ちはだかった。


「私の推しになにしてくれてんの!?」


「……サキ……」


「カインは黙ってて!」


 息も絶え絶えになったカインの声を、咲はきっぱりと潔く無視した。


 目の前には超重武装のリチャードがいる。だというのに、咲に臆した様子は全くなかった。


 痛いだろうし死ぬかもしれない、それはわかっている。


 しかし、それよりも大切なものを失うことの方がこわかった。


「……眷属か」


 白けた様子のリチャードは、咲の勢いを鼻で笑ってのけた。銃口を向ける気配もない。完全にバカにされている。


「そうだよ! カインのつがい!」


「バケモノのつがいか、哀れな女だ」


「あんたのちっさい物差しで勝手にはからないで! 私はそれで最高にしあわせなんだから!」


 精いっぱい張り合おうとする咲に、リチャードは呆れたようなため息をこぼした。


「……哀れな女よ、俺はお前も救おうとしているんだぞ?」


「……私を、救う……?」


 状況を理解できていない咲に、リチャードは小さい子供に言って聞かせるように告げた。


「あるじがいなくなれば、契約も解消される。お前は眷属でなく、普通の人間に戻れる。中途半端なバケモノではなくなるのだ。ただの人間として生をまっとうできる。これが救済でなくなんだというんだ?」


 契約の解消。そうなれば、咲も以前と同じただの人間に戻るという。


 正直に言えば、変化していく自分がこわいのはたしかだ。人間でなくなる、バケモノになる。普通ではいられなくなる。マトモに生きていけなくなるのだ。


 ……しかし。


 咲はもうずっと前に覚悟を決めている。


 たとえ普通の人間でなくなったとしても、カインと共に『ふつう』の日常を歩んでいくと。


 カインさえいれば、もうなにもこわくない。


「……そういうの、ありがた迷惑、っていうんだよ!」


 リチャードが差し伸べた手を振り払うと、咲はにっと笑って言い放った。


 目を細めたリチャードが小さくつぶやく。


「……魅入られたか」


「残念! 魅入られてるのはお互い様!」


 自慢するようにそう言い切る咲に、コウモリからかろうじてひとの形に戻ったカインが声をかける。


「……サキ、貴様まで地獄に堕ちる必要などない……」


「カインといっしょなら、地獄への旅路も温泉行の新幹線みたいなもんだよ!」


「……家畜の分際で、この私の言葉に背くというのか……?」


 この期に及んで征服者たろうとするカインの頭を、咲はそっと撫でて、やわらかい声音でささやく。


「家畜にだって、たましいはあるよ。カインの愛したたましいが」


「……サキ……!」


 声を荒げるそぶりを見せても無駄だった。咲はカインの頬を撫で、あくまでもやさしい口調でこころからの懇願をする。


「お願い、そのたましいごと、地獄へ連れてって。堕ちるところまでいっしょに堕ちよう」


 一蓮托生、上等だ。


 やれるものならやってみろ。


 推しを守るために立ち上がった今の咲は、まさに無敵だった。


「……いいだろう」


 一度は手を離しかけたカインも、いつもと同じ傲岸不遜な笑みを咲に向け、その手をつかんだ。


 瞬間、咲の中で何かが弾ける。


 元々赤かった瞳が炎のような輝きを宿し、からだ中にちからがみなぎった。なんでもできるような、そんな万能感が全身を支配する。


 真の意味での契約が、ここに成就した。


 咲はようやく、本当にカインのつがいであるバケモノと化したのである。


 その気配を察知してか、リチャードは大きく跳び退って咲から距離を取った。ガトリングガンの銃身を咲に向け、


「……間に合わなかったか」


 なにか祈りの言葉をつぶやいて素早く十字を切るリチャード。女を手にかけることを神に許してもらったのだろうか?


「カインはどこへもやらない! 私にはカインが必要で、とっっっっっっても大事で、もう日常なんだ! 誰にも奪わせるもんか!」


 夜にぎらつく赤い瞳でリチャードをにらみ、咲が宣言した。


「私たちは、ずっとずっと、いっしょに生きていくんだ! それが私の覚悟!」


「考え直せ! お前はただ、魔力にたぶらかされているだけだ! 女ひとりの覚悟でなんとかなる問題ではない!」


 リチャードの最後通牒を、咲は華麗に振り切った。


「覚悟を決めた女を舐めるな!」


「……っ!」


 一瞬目を見開いたリチャードが、ついにガトリングガンのトリガーに指をかけた。銃弾の嵐が吹き荒れるまであと少し。


「私の最推しに、」


 咲が大きく右手を振りかぶる。


「私の『とくべつ』に、」


 トリガーにかかる指にちからがこもる。


「手を出すなあああああああああ!!」


 咲が吠えた瞬間、銀の銃弾の暴雨と、コウモリの群れへと変じた咲の右腕が衝突した。


 カインの攻撃が波濤であるならば、咲のそれはカマイタチのようなものだ。吹き荒れる烈風が弾雨とぶつかり、拮抗する。


 あるじであるカインでさえしのげなかったその弾幕を、咲は腕一本で耐え抜いた。いくらダメージがあったとはいえ、あるじを凌駕するそのちからは、覚醒と呼ぶにふさわしい。


「……ぐううううううううううううう!!」


 咲のケモノのようなうなり声と、ガトリングガンのブザー音のような銃声が重なった。一斉掃射を受けるたびに、コウモリの群れが削れていく。しかし、削られるそばからコウモリが沸いて出てきた。


 弾薬が尽きたのと、咲のコウモリが途切れたのはほぼ同時だった。


 過熱してしばらくは使い物にならなくなった銃身を抱え、息を荒らげるリチャードに、咲がつかつかと歩み寄る。


 そして、思いっきりぐーでそのヘルメットを殴りつけた。


「……っ!?」


 バイザーが割れ、特殊合金製の装甲がひしゃげる。ヘルメットを着けていなければ、頭がなくなっていただろう。


 脳震盪で膝を突き、リチャードがうめくように口走る。


「……バカな……っ!!」


 その手から超重量のガトリングガンが滑り落ち、アスファルトの上に派手な音を立てて落ちた。自重で歪み、もう役には立たないだろう。


 あまりの急展開に混乱するリチャードの耳に、カインの声が届いた。


「……舐めるなよ、クリスチャン……それは私の眷属だ。私のつがいだ。普通ではない『ふつう』だ。誰にも渡さんぞ」


「自分の手柄じゃないのに勝ち誇るとか、さすがカインだよね!」


「黙れメス豚。しもべの手柄は主人の手柄だ。そして褒めているのかけなしているのかわからんぞ」


「もっちろん、褒めてます♡」


 最低限のちからはもどったカインに、すっかり目覚めた咲がすり寄る。カインは立ち上がり、誇らしげに上目遣いをする咲の頭を撫でた。


「……まあ、よくやったな、私のいとしい家畜」


「……ありがとうございます、カイン様」


 まさに花が咲くような笑みを浮かべた咲に釣られて、カインも安心したように微笑んだ。


「……つがい、か。なるほどな……」


 がごん!とガトリングガンを切り離したリチャードがつぶやく。この男ならまだ万策尽きたわけではなかろうに、すっかり白けてしまった様子だ。割れたバイザーの向こうに、目を細めて苦笑いする男の素顔があった。


「まさか、吸血鬼とこんな絆を結ぶ人間がいようとはな……俺には理解できん。が、今回はその絆に免じて退くことにする」


 リチャードの手首からワイヤーガンが放たれた。ビルの壁面に着弾したワイヤーを頼りに、武装を放棄したからだが宙に浮く。


「……だが、次会ったときは容赦しない。安心しろ、つがいもろとも殺してやる」


「けっこう」


 にやりとうなずくカインを最後ににらみつけてから、リチャードはワイヤーを伝ってビルの彼方へと消えていった。


 ……そこで緊張の糸が途切れたのか、咲のからだがカインの胸にどさりと倒れ込んでしまう。


「……え? ……あれ? ……からだが……」


「覚醒したての眷属が、無茶をするからだ、痴れ者が」


 罵るような言葉とは裏腹に、カインはやさしく咲を抱き止めた。


「そうだぞ! 仮にも真祖吸血鬼の眷属として覚醒したんだ、もっと誇りと自覚を持て!!」


「……ああ、アベル、いたんだ……」


「あんな状況で横から手出しなんてできるか!!」


 どうやら無事らしい。それならよかった。


「……ヤバい……すごい、からだがおもい……ねむい……」


「まったく、世話の焼ける下僕だ」


「ひとつ貸しだからな、女!」


 そんなカインとアベルの声を最後に、咲の意識は暗闇の泥濘に沈み込んでいった。


 夜に呼ばれている、そんな気がして、咲は完全に人間をやめてしまったのだと改めて実感するのだった。

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