№21 バケモノ

 それが始まりの合図だった。


 カインはワルツを踊るように弾丸を目で見てかわし、割れるほどに床を蹴ってリチャードに迫る。その間中ずっとアサルトライフルは連射されていたが、カインはことごとく見切ってその間をすり抜けた。


 肉薄し、手刀を振るうカイン。寸でのところで避けたリチャードは、背中に背負っていたショットガンを至近距離で発砲する。暗闇に銃火がまたたき、よけきれなかったカインは血しぶきと共に左腕を付け根から持っていかれた。


 普段ならばすぐさま再生するような傷だったが、弾け飛んだ左腕の肉片はびくともしない。ぼたぼたと左肩から血を流しながら、カインは頬に飛んだ赤を舌先で舐め取った。


「……聖銀の弾丸、か。なるほど、よくこころ得ている」


 以前聞かされたことがあったが、吸血鬼は銀でつけられた傷を再生することを苦手とする。聖別された銀ともなればなおさらだ。


 リチャードはたしかに吸血鬼ハンターで、吸血鬼の殺し方を熟知していた。じゃこん、とショットガンの薬きょうを排出して、次弾を装填しながらリチャードは淡々と告げる。


「俺は専門家だ。人間を侮るなよ、ヴァンパイア」


「ふふっ、けっこう! 実にけっこうではないか!」


 もろ手を広げて哄笑しながら、カインはその身を無数のコウモリの群れに変えた。波濤のような群れは猛烈な勢いでリチャードを窓の外に押し出してしまう。


 しかしリチャードは手元から伸びたワイヤーで落下を防ぎ、そればかりかぶら下がったままの状態でアサルトライフルを連射した。


 いくつかのコウモリが弾けて血のシミとなったが、弾雨は無数のコウモリに対してはあまり威力を発揮しなかった。振り子のように勢いをつけて隣のビルの屋上へと着地したリチャードは、背負っていたロケットランチャーで群れの中心を狙う。


 ばしゅ!と音を立てて空を切ったロケットは、群れの真ん中で聖銀の破片をまき散らしながら爆発した。半数ほどのコウモリが削れる。


 これを連発されては敵わないと踏んだのか、カインは再びヒト型を取った。血にまみれ、頭部を含めた左半身がえぐれているが、なんとか立っている。


 弾丸による攻撃はまた超人的な動体視力で避けられる。急加速で迫るカインと対峙したリチャードは、接近戦用のグルカナイフを抜いた。


 長く伸びた爪がリチャードの眼球をえぐろうとしたところで、ナイフとぶつかり金属音を上げる。爪を跳ね上げたリチャードはそのままカインに足払いをかけた。


 その攻撃を読んでいたカインは、逆にリチャードの足を踏み砕いてしまう。強化服越しに骨が折れる音がした。


 一切の痛みを無視して片足で立ち、リチャードはグルカナイフを振り上げる。しかし踏ん張りがきかないせいで、中途半端な攻撃になってしまった。


 当然ながらナイフを振り払われたリチャードには隙が生じ、その隙を狙ってカインは手刀の切っ先をリチャードのみぞおちに叩き込む。


 ずん、と腹の皮を突き破って臓器まで達した手刀は、そのままハラワタを引きずり出そうとした。


 目を見開いて笑うカインの額に、ショットガンが突きつけられる。次の瞬間には、カインの頭の上半分は吹っ飛ばされていた。


 血と脳漿をびちゃびちゃとほとばしらせながら、カインはトドメを刺すことをやめ、跳び退る。リチャードもまた、手ひどいダメージを受けていた。ヘルメットのバイザーには吐血が飛び散り、視界さえ奪われている。


 荒々しく肩で息をして膝を突くリチャードに、唯一残った口元で高らかにカインが笑う。


「はははは! もう終わりか、人間!? 私はまだやれるぞ!」


 高揚した精神の赴くままに闘争へといざなう声。


 しかし、リチャードはその声を拒絶した。


「……くっ……!……死にぞこないが……!……この、バケモノ……!!」


 バケモノ。その一言は、一発の弾丸よりも確実にカインに致命傷を与えた。


 さっきまでの上機嫌がウソのように黙り込むと、カインはくちびるを引き結んだ。まるで、通りすがりの赤子にナイフで刺されたような顔である。


「バケモノ、バケモノバケモノバケモノぉ!! 垂れ流しのクソの方がまだ無害なだけマシだ!! 死肉にたかる害虫が、一丁前に人間のフリをするな!!」


「…………」


 募る罵言に、だんだんと再生を始めたカインの顔が、傷ついたような色を宿した。


 傷つく。最強無敵、絶対不敗、不老不死の吸血鬼が、である。


 弾丸でもやいばでもなく、言葉によって、リチャードはカインの心臓に風穴を開けた。


 無言で固まってしまったカインを前に、リチャードは撤退の支度をする。近くのビルにワイヤーガンを射出し、


「……バケモノめ。今夜のところは痛み分けだ。次は必ず殺す」


 ワイヤーにぶら下がって夜のビル群に逃げ出してしまった。


 カインに追う気配はない。ただただ立ち尽くし、途方に暮れた子供のような顔をしている。


「……カイン様……?」


 おそるおそる声をかけた咲の頭を、部屋に戻ってきたカインは残った右手でそっと撫でた。


「……そうだったな。私は、バケモノだ」


 それが『ふつう』を望むなど、なんと滑稽な。


 自嘲の笑みが刻まれた横顔に、咲はとてつもない不安を感じた。


 なにか、かける言葉を探した。


 バケモノなんかじゃない。


 私も同じだ。


 あんなやつの言うことなんて気にすることない。


 あれこれ思い浮かんだが、どれも違うような気がした。


 現時点で、カインのこころを癒すような言葉を、咲は持ち合わせていなかった。


「……付き合わせて、悪かったな。貴様はもう自由だ」


「そんな……!!」


 すがるような咲の手をすり抜け、カインは背を向けた。


「ただ、『ふつう』になろうとした愚かな吸血鬼がいたことだけは、覚えておけ」


「イヤです、カイン様! どこへ行こうというのですか!?」


「バケモノの行き着く先など、地獄に決まっている」


 必死に引き留めようとする咲の言葉を振り払うように、カインは無数のコウモリに変じて窓の外の夜闇に飛んでいってしまった。


 ひとり残された部屋で、ひらりとカーテンがひるがえる。


「……イヤだ……イヤだ……!! こんなの!!」


 ひざまずいた咲は、両手で顔を覆って声を上げて慟哭した。


 ほんの一時間前まではあんなに満ち足りていたのに、今や咲のこころは空っぽになってしまった。


 カインがいなくなった。


 ただそれだけのことで。


 声を上げて泣き叫びながら、咲はとてつもない欠落を拾い集めるすべを望み、そしてその望みは真夜中の空へと散っていくのだった。

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