№20 ハンター

 その夜のカインも、どこかしら上機嫌で咲をもてあそんでいた。


「どうした、私の家畜? どこをいたぶってほしいか言ってみろ。今なら足の指の間まで愛してやるぞ」


「……は、あぁっ……カイン様……!」


 いけにえを捧げ持つ司祭のように咲の足を取り、カインがささやく。相変わらず居丈高だが、今夜は目いっぱいかわいがってもらえるらしい。


 咲はその大盤振る舞いについていけず、ただただいつも通りになぶられるままである。ふくらはぎを甘噛みされて、じん、とした快感の電気信号に震えた。


 もはやどこを噛まれても好いという、カインのためだけのからだになってしまっているようだ。


 カイン専属の家畜……その響きに、咲はうっとりした。


「……あ、あ……どうか、お気に召すまま……」


「ふん。まあいいだろう」


 咲の痴態に片頬を上げ、赤い目をしたカインが手首の血管に舌を這わせる。どくどくと脈打つ血の管を直に舐められているようで、咲は喉をひくりとさせた。


「どこが特別好い? 言ってみろ」


 咲の口から聞きたいのか、カインはさっきから探るようにあちこちを噛んでいる。頬を赤らめ、息を乱しながら、咲はなんとか答えた。


「……くっ、くびが……やはり、いちばんいい、です……!」


「よく言えたな、いい子だ」


 満足げに目を細めて、カインは咲の望み通り首筋にやわく犬歯を当てる。それだけで、咲はからだをひくひくさせて悦んだ。


「あ、ああ! ありがとうございます、カイン様!」


 感謝の言葉と共に鳴けば、カインは噛み痕を舐めながら、ふふっ、と息をこぼし、


「こちらこそ、礼を言うぞメス豚。よくぞ私の家畜になってくれた」


「ああ! カイン様! カイン様!!」


「ふむ、いい鳴き声だ」


 咲のからだを抱きしめながらうなじを食み、痙攣を抑え込むように腕にちからを込めるカイン。もしくは、離すまいとしているのだろうか。


「……やはり、貴様は良い。我が眷属にふさわしいメス豚だ」


「ありがとうございます、カイン様! ああ、カイン様……!」


「いいぞ、もっと鳴くがいい」


 カインは咲の胸元に顔をうずめ、においを嗅ぐように深呼吸をした。ついでに鎖骨に『キスマーク』をつけ、


「……どこにもやらんぞ」


 ぼそり、と執着をあらわにした。


 それだけで、咲の脳内には百花繚乱のエンドルフィンが咲き乱れる。


 『I love you』を『死んでもいい』と訳したのは、二葉亭四迷だったか。


 まさに、今死んでも悔いはない。


 苦痛にも似た快楽にさいなまれ、咲は喘ぎながら身をよじった。


「……私も、そろそろ貴様の血が欲しい。いいな?」


「……は、い……!」


 とろけきったまなざしで答えると、カインが首筋に顔をうずめ……


 そのときだった。


 窓を破って何かが飛び込んでくる。


 なにごとかと気づいた時にはもう遅かった。


 丸いボールのような物体から、ぶしゅう!と音を立てて膨大な煙が上がる。部屋中に立ち込めた煙は視界を奪い、目や鼻、喉を刺激した。


「けほっ! けほっ……なんなの!?」


「ちっ、これからというときに……目と鼻を覆って息をするな、催涙手りゅう弾だ」


 カインは慣れた様子で咲と共に布団をかぶり、煙を少しでも遮断しようとする。


 徐々に視界が晴れてきたころ、割れた窓ガラスの破片を踏みつけながら、誰かがベランダから侵入してきた。


 どっしりとした足音は、その重武装のせいだろう。多数の手りゅう弾、ロケットランチャー、マシンガン、近接戦闘用のグルカナイフに軍用ハンマー、手にはアサルトライフルを構えている。一体どれだけの重量になるだろうか。


 それに加えて、銀色のボディアーマーを身にまとい、ヘルメットもどこかの特殊部隊のもののようなフルフェイスだ。ストームトルーパーが部屋に突入してきたかと思った。


 超重量の武装を支えるのは、超人的な筋肉だ。ボディスーツの上からでもわかるような、筋骨隆々としている長身。鍛え上げられた肉体には、一分の隙もなかった。


「……見つけたぞ、吸血鬼」


 壮年の男性の声だ。どうやら、侵入者は男らしい。


 男はヘルメットのバイザーを上げると、その素顔を晒した。


 巌を掘り抜いたような、いかつい壮年の男だ。生やしたひげにはところどころ白いものが混じっている。眼光はタカのように鋭く、笑ったところなど想像もできないようないかめしい表情をしていた。


 男はその引き結んだくちびるに胸元から提げたロザリオを当て、


「神のお導きに、感謝を」


「ふん、神父か、牧師か?」


「カソリックだ、ヴァンパイア」


「ひとの家に土足でずかずかと入り込んでくるような恥知らず、どちらでも良いがな」


 かぶっていた布団をひるがえし、カインが立ち上がる。その目は闘争の予感にらんらんと赤く燃えていた。



 暗闇の中、尖った犬歯を見せつけるように、にい、と笑い、


「貴様、その武装……吸血鬼ハンターだな?」


 挑発するような笑みに対して、男は微塵も揺らがず応じる。


「そうだ。俺は吸血鬼を狩る宿命……お前たちのような蛆虫どもがのうのうと生きていると思うと、虫唾が走る」


「どうした? 私の同胞に故郷の村でも焼かれたか?」


「…………」


 どうやら、吸血鬼に相応のことをされたらしい。


 語りはしないが、男は沈黙をもって答えとした。


「はははははははははは! 当たりか、クリスチャン!」


「……リチャード・マスケイド。お前を殺す男の名だ、よく覚えておけ」


 男……リチャードは、割れた窓ガラスを踏みにじり、アサルトライフルの銃口をカインに突き付ける。


 その暗い眼窩のような銃口に臆することなく、カインはリチャードを嘲笑った。


「おおかた、あのいけ好かない男が雇ったと見えるが、違うか?」


「違わない」


 倉敷が言っていた『害虫駆除』とはこのことだったのか。たしかに吸血鬼を狩る専門家に話をつける方が早い。どうせまた、組のネットワークでも使ったのだろう。つくづく直接は手を下さないサイコパスだ。


 リチャードはカインをねめつけながらヘルメットのバイザーを下ろし、


「が、俺は吸血鬼を憎んでいる。理由はそれで充分だ、豚畜生」


「ほほう、口先だけは達者だな、この駄犬めが」


「口先だけかどうか、身をもって知るがいい。害虫らしくみじめに……死ね」


 重々しく宣告すると同時に、アサルトライフルのマズルフラッシュが光る。発砲音は思ったより軽かったが、たしかに銃火器だ。連続して瞬く炎の輝きに、弾丸がカインに向けて殺到する。

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