№18 隣のサイコパス
カインの懸念通り、倉敷はその後もたびたび偶然を装って咲の生活に介入してきた。
待ち伏せ、営業指名、上司からのとりなし……なんでもありだ。
そのたびに咲はきっぱりと断り続けてきたが、馬耳東風だった。どこまでも執念深くあきらめず、倉敷は咲を誘い続けた。
今日も、『得意先からのご指名だから……』ということで、倉敷の会社へと営業回りに行かされる始末。すでに外堀は埋められているらしい。が、なんとしても退けてやる。あんなに不吉な発言をしたのだ、カインになにか危害を加えられてからでは遅い。
なんとかしなければ。
「どうしました? 上の空ですね」
「……ああ、ごめんなさい」
成立させた商談の書類を取りまとめている咲に、倉敷がちくりと釘を差した。簡素だが洗練されているこのオフィスも倉敷のものである。
しばらくいっしょに仕事をしてきたが、どうしても『このひとこわいな……』と思う瞬間が多々あった。明確な暴力や犯罪を目の当たりにしたわけではないが、言葉尻も顔つきもどこか不穏なのだ。
血は争えない、とはこのことか。
早くカインの待つ家に帰りたい……ついそう思ってしまう咲に、倉敷は苦笑と共に尋ねた。
「僕といるの、退屈ですか?」
「いえ、そんなことは」
慌てて否定するが、そういう遠回しの否定は倉敷には効かないとわかっている。変に気を遣っているせいで、咲の言葉に耳を貸さないのだ。
そんな倉敷はにこやかにしながら、相変わらず目だけは蛇のように細めて、
「いいんですよ。あなたはいずれ僕の妻になるんですから」
そこまで話が飛躍しているか。手に負えないな、と心中で肩をすくめながら、咲は言葉を挟もうとした。
「ですから……」
「時間をかけましょう。まずはお互いを知り合って……」
あまりにもひとの話を聞かない姿勢に、ついに咲の中で何かがキレた。
「そんな時間があったら私の推しに費やします」
そう、すらりと述べてしまう。内心がそのまま口からこぼれてしまったので、咲自身もしばらく自分がなにを言ったのか理解できなかった。
言ってしまってから気付く。マズいことになりそうだと。
決定的な一言だったが、倉敷は動揺などしなかった。引き続きにこにこと笑いながら、
「やっぱり、害虫駆除が必要みたいですね」
目だけは笑わずに、そんな言葉を紡ぐ。
咲にしてみれば、火に油だった。思わずかっとなって、
「害虫!? 私の推しをそんな風に言わないで!」
ばん!とデスクを叩いて怒鳴りつける。
威勢よく言ったつもりなのに、倉敷はびくともしなかった。不気味な笑みを顔に貼り付けたまま、
「害虫ですよ。僕らの恋路を邪魔する、邪魔な羽虫」
「なに気持ち悪い妄想してんの!? 私のカインは害虫なんかじゃない!!」
「ああ、あなたはまだわかってないようだ」
大げさに嘆く様子を見せて、倉敷は一瞬だけ間を持たせた。
そして、ぬ、と咲に顔を近づけて告げる。
「いつまで夢を見ているつもりですか? あなたはもう、僕という名のレールの上に乗ってるんですよ」
表情だけで笑う倉敷に、咲はつい気おされてしまった。
ダメだ。こいつにはなにを言っても無駄だ。
どんな手段を使ってでも咲を手に入れようとしている。
当然のようにそんな未来を確信しているのだ。
いくら一般人に擬態していても、やはり倉敷は極道の子だった。
「僕はね、昔から望むものはなんだって勝ち取ってきた。あなただってそうだ。僕に手に入れられないものなんてない」
「……そ、そんなの……!」
親のちからで、だろう。そう言いたかったが、今の倉敷は有無を言わせぬ気配をまとっていた。
笑顔を引いた倉敷は、ソファに足を組んで咲を見下ろすように言った。
「いいでしょう、あがいてください。どうせ行きつく先は同じだ」
笑ってそんなことを言える神経に、とてつもなくサイコパスの資質を感じ取って、咲は嫌悪感にせかされるように立ち上がった。
「カインになにかしたら、許さないから!」
去り際に吠えたが、そんな叫びも片手を振っていなしてしまう倉敷。
甘くねばりつく黒蜜の気配を断ち切るようにして、咲は社長室のドアから出ていった。
食事のあとのバスタイムまでのいちゃいちゃタイム。
咲はカインに膝枕をしてもらっていたが、なんとなく気が晴れなかった。昼間の倉敷の言葉が脳裏にこびりついている。
また思い出してしかめっ面をしていると、カインが心配そうにその顔をのぞき込んできた。
「どうされましたか?」
「……いや、思い出しムカつきというか……カインが心配するようなことじゃないよ!」
急いでフォローする咲をそれ以上追及したりはせず、カインはやわらかな手つきで髪を撫でた。
「最近、あまりお元気でないようですね……食事もあまり召し上がらないし、わたくしめが粗相を働いたあともあまり眠っていらっしゃらないようですし……」
「ちょっといろいろあってね。充電充電ー」
腰にぎゅーっと抱き着くことでごまかして、咲は深呼吸をした。やはり、麻薬成分的なものが放出されている気がする。
「はあああああああああ♡ カインのマイナスイオンおいしいいいいいいいい♡」
「光栄です」
いつくしみにあふれた笑顔を浮かべながら、カインは咲の頭をなでなでし続ける。
……うん、あいつとは違う。
笑いじわの浮かんだ目元に、咲はそう確信した。
あんな冷たい目、見たことがない。蛇のような、イヤな目だ。
それに比べて、カインのまなざしはなんてあたたかいんだろう。冬場の暖炉のようにじっくりと芯からこころにぬくもりをくれる笑みに、咲はうっとりとまどろんだ。もうこのまま死んでもいい。
カインに抱き着きながらふすふすと深呼吸している咲の頭を撫でながら、カインはふと思いついたように口にする。
「……もしかしたら、ご主人様はわたくしめの眷属として覚醒しつつあるのかもしれませんね」
「……かくせい?」
顔を上げて首をかしげると、カインはていねいに説明してくれた。
「ええ。ご主人様はわたくしめに血を吸われて、わたくしめの眷属である吸血鬼となりました。まだひとの血の味をご存じないご主人様は、吸血鬼としては未完成の個体ですが、ごくまれに血を吸っていなくとも吸血鬼として覚醒することがございます」
「……覚醒すると、どうなるの?」
「吸血鬼と同じ性質を持つようになります。昼間は弱体化して、主に夜に活動することになり、血液以外の食事を受け付けず、逆に吸血衝動に駆られるようになります。もちろん、吸血鬼としてのちからもふるえるようになりますよ」
「ちからって、たとえば?」
「単純にちからが強くなる、体力が無尽蔵になる、自己再生能力が飛躍的に高くなる、不老不死になる……などなどです。まだコウモリに変化したりはできませんし、からだの一部が破壊されればしばらく行動不能にはなりますが、おおよその吸血鬼と同じスペックを得ることになりますね」
「そうなんだ……」
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