№16 降ってわいた縁談

「おみあい?」


 ある日の午後、外回りから帰ってきた咲に持ち掛けられたのは、唐突な縁談だった。専務のつるりとした頭が輝き、平身低頭頼み込まれる。


「そうだよー。桜田さんももういい年だし、そろそろ決めちゃえばいいかなーと思って」


 縁談を持ちかけるときの定型句である。今どき時代錯誤な。


「お見合いなんて、この令和の時代になに言ってるんですか?」


 だいたい、咲には推しがいるのだ。他の男にかまけているヒマはない。


 冷たく突き放す咲に、専務はなおも取りすがった。


「頼むよー、ちょっと断れない筋でさー。顔合わせるだけでいいから! ね!」


 両手で拝まれて、咲は戸惑った。


 いくら咲が営業部のエースといえど、さすがに専務相手にはむげにできない。社会人としての立場上、断り切れない話もあるのだ。サラリーマンのかなしき宿命である。


「……そこまで言うなら、食事くらいは……」


「はい、決まり! よかったー! 先方にはこっちから連絡しておくから、また日時と場所わかり次第連絡するね!」


 まるで肩の荷が下りたかのように軽やかに立ち去る専務に、イヤな予感がぷんぷんする。断り切れない筋、というのがどうもきなくさい。


 しかし、受けてしまった以上、今更撤回するわけにもいかず、咲はまだ見ぬお見合い相手にもやもやした不安を募らせるのだった。


 


「……お見合い、ですか……聞いたことがございます。日本の古い風習だとか」


「そう、もう古いも古い、化石になってる文化だよ」


 カインの作った晩御飯を食べながら、咲はぼやくように答えた。


「今どきお見合いに頼ろうなんて、どうせ何のとりえもないボンボンでしょ? カインもいるし、ホントは断りたかったんだけど……」


「仕方のないことです。ご主人様がご立派に社会貢献をなさるために必要ならば、わたくしめはよろこんでお送りいたしますよ」


「ごめんね、カイン。一回ランチするだけだから。そのあと速攻で断るつもりだよ」


「いえ。せっかくの機会です、ぜひ楽しんできてくださいませ。正直歯がゆく思いますが、ご主人様の今後のことです、わたくしめのことはお忘れになって……」


「無理無理無理無理無理! カインのことは片時も忘れられないよ!!」


「ありがとうございます」


 みそ汁のお椀を置いて頭を下げるカインに、お行儀悪くくわえ箸を噛みしめ、


「あああああああああ♡ そういうとこやぞおおおおおおおおお♡」


 今すぐにでも抱き着きたいが、今は食事中だ。あとでがっちり抱きしめよう。


「ですが、ご主人様。お気を付けくださいね。どうも、イヤな予感がします」


「ああ、カインも? 私もなんかイヤな予感がするんだよね……」


 大根おろしをたっぷり乗せた出汁巻きをご飯といっしょに頬張りながら、咲がつぶやく。


「何事もなく終わればいいんだけど……」


「どうかご無理はなさいませんよう」


「うん、無理だったら逃げてくる」


「そのときは、全力で癒しましょう」


「それ聞いたらむしろ楽しみになってきた♡」


「ふふ、わかりやすいご主人様」


 そんな会話をしながら、ふたりは夕食を終えてしばしのリラックスタイムを楽しんだ。


 カインに甘え、甘やかし、お風呂の準備をしてもらって入り、寝る前の支度を任せて、『おやすみ』を告げる。


 そのあとは、いつも通りの夜が始まるのだった。


 


 ということで、咲は本日、某高級料亭にいる。


 格好はいつも通りのパンツスーツで、特別メイクをしているわけでもない。ささやかな抵抗だった。


 ビジネスマンの習性で、予定よりかなり早く着いた咲は立派な日本家屋の奥座敷へと通された。広々とした畳の部屋のど真ん中に、ぽつんと座布団が敷かれている。


 そこへ座って、かこん、と池の鹿威しが鳴る音を聞いていると、突然入口から車のエンジン音が響いた。


 こんな高級料亭に横づけするなんてどういう神経をしているんだ?


 ちょっと気になった咲は、席を立って入口へと向かった。


 ……黒塗りの高級車が五台ほど停まっている。ばたばたと出てきたのは全員なんらかの法律を犯しているであろう面構えをしていて、黒づくめのスーツもある意味で堂に入っている。


 断れない筋って、こういうことか……!


 罠にはめられた気分で、咲はすべてに得心がいった。


「坊のお出ましだ! 全員、粗相のねえように!」


 高級車から出てきたのは、紋付き袴姿の青年だった。意外にも顔面にいかついところはなく、サーフィンやサイクリングをしていそうなさわやかスポーツ系の雰囲気だった。背も高く、がっちりとした体格をしていて、ヤクザものたちににこやかに会釈をしている。


「それじゃあ、これからはふたりきりにしてくれよ?」


「もちろんでさぁ!」


「坊、ご武運を!」


「警備は任せてくだせえ!」


 極道映画に出て来そうな感じに送り出された坊とやらは、玉砂利の道を歩いて高級料亭の入口へとやって来た。


 そこで、ちょうど様子を見にきて愕然としている咲を見つけ、顔を明るくして速足になる。


 草履も脱がずに咲の手を取り、夢見るような声音で、


「ああ、やっと会えた! 僕のいとしいひと!」


 手を握りしめ、感極まった様子でそう言った。


「……どこかでお会いしたこと、ありましたっけ……?」


 少なくとも、咲には極道の知り合いなどいなかったはずだ。


 いぶかしげに問いかける咲に向かって、坊は小さく笑って見せた。


「ふふ、それはおいおいお話しますよ……ああ、申し遅れました。僕、倉敷祀っていいます。よろしくお願いします」


「……桜田咲です……どうも……」


 なんとも消化不良な答えに、咲はごにょごにょと名乗った。


 倉敷はそのまま咲の手を取って下足番に草履を預け、


「まずはお食事でも。ここの料亭は祖父の代からのひいきでしてね。きっと満足してもらえます」


「……はい……」


 されるがままの咲は、倉敷にエスコートされて再び奥座敷へと戻ってきた。


 玉露を飲んでいると、早速一品目が運ばれてきた。料亭の作法は接待などで心得ているので、その通りに口に運ぶ。


「……おいしい」


 家庭料理とはまた違った、ザ・店の味、といったおいしさだった。洗練された、職人の芸術作品だ。


「そうでしょう」


 同じようにマナー通りに料理を食べる倉敷は、特別誇らしげでもなく当然のようにそう言った。


「昔から、父や祖父によく連れてきてもらったものです」


「……あの、お父さんやおじいさんって、やっぱり……?」


 触れてはいけないとは思いつつも、つい口から出てしまった。


 しかし倉敷はイヤな顔ひとつせず、にこにこと語る。


「ええ、お察しの通り極道ものです」


 やっぱりそうか。事実確認をした咲は、気が遠くなった。何の因果でヤクザとお見合いなどしなければならないのか。あの専務、今に見てろよ。


 当の倉敷はのほほんと運ばれてきた二品目を食べながら、


「倉敷組、といえばこの辺りでも少々名の通った組でしてね。古くは江戸時代のころからの家柄です。父で18代目ですね」


「それじゃあ、あなたが19代目?」


 味もわからなくなってしまった料理を機械的に口に運びながら、咲が尋ねる。


 その問いかけに、倉敷は快活に笑って、


「ははは、僕はただのボンボンですよ。継ぐ気はありません。きょうだいもいませんし、このご時世血筋だ跡目だなんて言ってられませんから、今の若頭が継ぐんじゃないですかね」


 まるっきり他人事のように言ってのけた。どうやら、本気で極道になるつもりはないらしい。とはいえ、あの送り出し方である、今でもがっちり家族とはつながっているようだ。ボンボン、と自嘲するだけのことはある。


「僕自身はカタギの仕事をしていますよ。と言っても、父の土地を売買する不動産会社の社長なんですけどね」


 父の土地、とやらもおそらくはいわくつきなのだろう。継ぐ気はないと言っておきながら、カタギにもなり切れていない。倉敷自身はそこのところをどう思っているのだろう?

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