№14 ガチクズ生産者
「そうだ、兄上!」
「どうかしましたか、アベル?」
すっかり和解したと思っていたカインがきょとんとして尋ねと、アベルは頬をほんのり紅潮させてカインに迫った。
「真人間、ならぬ真吸血鬼になる時が来ましたよ! まずは労働から! 健全な精神は健全な肉体に宿る! 労働意欲はすべてを解決します!」
「アベル、少し落ち着きなさい」
カインがなだめてもアベルの勢いが落ちることは一向になかった。むしろヒートアップして、
「早速近所のコンビニの深夜バイトへ面接をしに行きましょう! すでにウソにまみれた履歴書は提出してあります! さあ、奴隷労働しましょう!!」
こぶしを握り締め、いきなりそんなことを言いだすものだから、咲まで熱くなってしまった。
「なに言ってんの!? 夜は私との大切な時間なんだから、深夜バイトなんてさせられない!」
「うるさいぞ女! 吸血鬼が本領を発揮するのは夜! 奴隷労働のパフォーマンスが最高に上がる深夜バイトこそが最適解!」
「とにかく、深夜はダメ!」
「アベル、ご主人様がこうおっしゃられておりますので……」
とりなすようにカインが言うと、アベルは苦い顔をして別の提案をした。
「では、昼だ! いかんせん昼は弱体化する吸血鬼だが、この際仕方ない! 事務のバイトならばそうからだを動かさなくともできるだろう!」
「昼もダメ! 昼はカインが目いっぱい遊ぶ時間なんだから! だいたい、働く必要がどこにあるの!? 私がちゃんと養ってるし、カインが働く意味がわからない!」
「女ぁ! お前はいい加減、自分がダメンズメーカーであることを深く自覚しろ!!」
「誰がダメンズメーカーだ! 私はただ、推しに何不自由ないしあわせな暮らしを送ってもらいたいだけ! 毎日のお布施はそのためにあるの! 私たちのしあわせな生活にずかずか入り込まないでくれる!?」
「これだから兄上はガチクズになり果てたんだ! お前がでろでろに甘やかすから!」
「カインはガチクズでも尊いの! むしろガチクズ聖人君子だからこそ尊いの!!」
「いや、尊くはないだろ!?!?」
やいのやいのと、いつの間にか言い合いを始めた咲とアベルの間に入って、カインが言い聞かせるようにアベルにささやいた。
「いいですか、アベル」
神々しい慈父の微笑み装備のカインには、有無を言わせぬ説得力がある。思わずアベルも黙り、その言葉に耳を傾けてしまった。
「わたくしめはこの生活に満足しています。ガチクズのままで良いのですよ」
そして、ダメすぎる内容に『聞いて損した』と思ってしまった。
「……兄上……そこまで堕落して……! 真祖吸血鬼の子でありながら、なんたること……!」
「堕落ではありません。わたくしめはご主人様の愛に触れ、『ふつう』になったのです。本当はあなたもわかっているのでしょう、『ふつう』の大切さを。だからこそ、わたくしめを真吸血鬼にしようとしている。違いますか?」
今しがた、『ふつう』の兄弟のように仲直りをしたアベル。
それが少しうれしかったことは否めない。
そして、否めない自分を情けなく思った。
特別な吸血鬼である真祖吸血鬼の子として、同じ血を引く兄がこんな風に日和ってしまい、挙句自分まで引きずられるなんて。
「……吸血鬼が、『ふつう』になんてなれるものか!」
なにかを振り切るように吐き捨てたアベルの言葉は、カインのこころにぐさりと刺さった。
そうだ、自分たちは吸血鬼なのだ。人間とは違う、『ふつう』ではない存在なのだ。それが、今更『ふつう』だなんて夢を見て……
咲との生活も、所詮かりそめのものなのかもしれない。いつかは『ふつう』ではないことが起こり、咲とわかれる日が来るかもしれない。
永遠に続く『日常』など、フィクションの中だけの話なのだ。
現実を突きつけられて、『ふつう』になれたとよろこんでいたカインは一転、『ふつう』にはなれないと弟に宣告され、混乱した。
アベルの言うことももっともだ。
しかし、カインは咲との日々を信じたかった。
信じきれない自分がいるのもまた、事実だが。
「ともかく! 明日からバイトだからな! 昼迎えに来る!」
イヤな空気をかき消すようにそう告げると、アベルはまたコウモリに変化して窓から出ていった。
うつむくカインに、残された咲はおずおずと声をかける。
「……カイン……?」
「……失礼しました。お見苦しいところを……」
「いいよ。兄弟ゲンカの仲直りはできたみたいだし、ひとまずは良しとしておこう?」
「……はい」
咲にフォローされ、情けない気持ちでいっぱいになりながら、カインはタバコに火をつけるのだった。
『おやすみ』のあと、いつものように『情事』にふけっていると、家畜と化した咲はふと顔を上げた。
「……カイン様……?」
「黙れ。誰が顔を上げていいと言った?」
「……申し訳ありません……」
すぐさま黙り込む咲の手首に舌を滑らせると、その白く細い腕がひくりと痙攣する。
しかし、カインはなかなか『情事』に集中できないでいた。
『ふつう』ではない存在……弟の言葉が、ずっと頭の隅にうずくまっている。
本性である真夜中のカインも、実のところ『ふつう』を望んでいた。
この『ふつう』の女と、いびつながらも変わらない日常を送るというしあわせ。
カインは咲以外を眷属とするつもりは毛頭なかった。悠久の時を共に過ごす、たったひとりのつがいとして、咲を選んだのだ。
こんな風に、ずっとむつみ合っていたい。
やがて来る朝を憎らしく思うほどに。
だが、結局のところ、自分は『ふつう』ではないのだ。
いくらそれらしく振舞おうとも、どうしても『ふつう』にはなれない。
いやらしく乱れる咲を見下ろしながら、カインはつい感傷的になってしまった。
「……私は、『ふつう』ではないのか?」
我知らずこぼれたつぶやきを、咲の耳が拾い上げる。
肌を桃色に火照らせながら、咲はこわごわと答えを返した。
「……はい、普通ではありません」
「……ほう?」
「……普通の枠になど、収まりきらないほど……至高の存在です」
「そういう意味での普通、ではない。そうではなく、貴様は私がこわくないのか?」
問いかけてしまってから、カインは『しまった』と内心青くなった。
もし咲の口から『こわい』などという言葉が出てきたら、もうおしまいだ。『ふつう』にはなれないという事実が、決定的に突きつけられる。カインのささやかな願望が粉々に砕かれてしまうのだ。
らしくもなく怯え、しかしそれを悟られまいと目を細めるだけにとどまり、カインは咲の答えを待った。
「……はい、こわいです……」
終わった……と、カインがうなだれる寸前、咲は言葉の続きを紡いだ。
「……畏怖しております……ですが、恐怖はしておりません……カイン様は唯一にして至高の存在……私など、ただの家畜ですので……」
なるほど、神のようにおそれている、ということか。恐怖はしていないと聞いて、カインは密かに安心した。咲にとって、カインは君臨者だ。畏敬の念を払って、夜ごとからだを差し出している。
「……そうか。やはり私には、『ふつう』というのは難しいらしいな」
くく、と喉を鳴らして、安堵半分、自嘲半分の笑みを浮かべるカイン。
「……カイン様……?」
「もう黙れ、メス豚。畏怖しているというのならば、そのように振る舞えるな?」
「……はい……」
「いいだろう。今宵もむさぼってやる」
手始めに、カインは咲の耳にやわく犬歯を押し当てた。それだけで咲の呼吸が、脈拍が早くなる。
こんな自分たちなりの『ふつう』が続いていけばいい。
そんな風に思いながら、今夜も咲の首筋の『キスマーク』が増えていくのだった。
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