№11 兄弟ゲンカ、勃発

「兄上! やはり、吸血鬼としての本性をお忘れではなかったのですね!」


「当然だ」


 鼻を鳴らして嘲るように答えるカインの様子を見て、アベルの表情がことさら明るくなる。


「その傲慢の権化のようなお顔……それでこそ、僕が憧れていた兄上だ!」


「ふん、うぬぼれるな。貴様ごとき、一万年かかっても私には追いつけんぞ」


「こころえております!」


 いまだに下に組み敷かれている咲を置いて、兄弟はふたりそろってなにやらうれしそうにしている。


「……カイン様……?」


「……やはり、その女なのですね?」


 つやめいたムードを引きずっている咲を、き、とアベルの真っ赤な眼差しが突きさした。


「その女のせいで、兄上はこんなことに……やはり、早々に排除しなければ……!」


 あらわになった敵意を肌で感じて、咲ははだけた夜着の襟元を合わせて後ずさる。


 そんな咲をかばうように、カインはベッドの外に立った。腕を組み、虫けらでも見るような目でアベルを嗤い、


「貴様程度の吸血鬼が、この私から今の生活を、サキを奪おうというのか? ふん、笑わせるな」


「……止めるというのならば、兄上とて容赦はしませんよ?」


「図に乗るなと言ったはずだ。だが……よかろう。ならばまずは貴様を粉砕せねばならんようだな」


「兄上……!」


 その瞬間、カインの姿が無数のコウモリへと変化した。波濤のようにアベルのからだに押し寄せ、その矮躯を窓を突き破ったマンションの外へと追いやってしまう。


 34階のマンションから突き落とされたアベルは、動揺もせずに近くの少し低いビルの屋上に華麗に着地した。


 夜。巨大な満月が見下ろすビル群のど真ん中で、異形の兄弟ゲンカが始まる。


 再び津波となって襲いかかるコウモリの群を、アベルは片手を振り抜いて引き裂いた。コウモリの大群は真っ二つになり、しかしやがては合流してひとかたまりになる。


 月光の元、夜着のカインが姿を現した。髪をかき上げ、べえ、と心底バカにするように、先ほどまで咲をなぶっていた長い舌を出す。


 挑発に頬を赤くしたアベルは、その身ひとつでカインの懐へと肉薄した。手刀の形にした腕で心臓を狙い、突き立てる。


 カインの背中からアベルの腕が生え、辺りに鮮血の色が飛び散った。


 しかし、血を滴らせながらもくちびるの片方を持ち上げ、カインのからだが爆散するようにまた無数のコウモリとなる。やがてコウモリたちは青く燃える炎となって、矢のように夜闇を疾駆した。


「……っ!」


 いくつもの青い弾丸に身を焼かれ、アベルは苦い顔をしながら飛び退る。ビルからビルへと飛び移りながらも、散発的に炎のコウモリは飛来した。腕ひとつで叩き落すも、アベルのからだに空いた穴は増えていく。


 マンションから離れたビルの屋上で、アベルは右半身を三頭犬に変化させ、青く燃えるコウモリたちを一気に食い散らかした。半分以下になったコウモリは再びカインの形を取り、どこまでもひとを食ったような笑みを浮かべながら片手を振り下ろして三頭犬の頭を粉々にする。


 失った右半身を再生させながら、アベルは高らかに笑った。


「あはは! 楽しいよ、兄上! 楽しい!!」


 吸血鬼特有の闘争本能が満たされ、狂気にも似た高揚感がアベルを包んだ。カインもまた血をすすっている時とは別の意味で深い笑みを浮かべ、叫ぶ。


「いっぱしの吸血鬼のようなことを言いおって! 今にひざまずかせてやる!」


「さあ、兄上! 踊ろう!」


「望むところだ!」


 愉悦に満ちた兄弟ゲンカは続く。


 右半身の再生を終えたアベルは、握りしめたこぶしでカインの頭をぶち抜いた。脳漿のしぶきを上げながらも笑みを引っ込めないカインは、頭半分を吹き飛ばされた状態で弟の腕をつかむ。


 目を見開いたアベルのからだをぐっと引き寄せると、カインはたわめた手の指をアベルの胸へと突き立て、沈める。やがて心臓にたどり着いたその手は、ぐ、とコアをわしづかみにし、そのまま握りつぶそうとする。


 血を吐きながらも笑っているのはアベルも同じだった。またしてもこぶしで連続してカインの頭部を殴りつけ、残っていた部分もすべて粉々にしてしまう。


 首なしになったカインだったが、それでもアベルのからだごと持ち上げるようにして心臓を満月に捧げ持ち、一瞬で握りつぶしてしまう。


「……ぐっ……!」


 アベルの赤い瞳がぐるりと反転し、白目を剥いた。血溜まりに沈み込むからだを支え、なんとかしてコウモリの姿へと変じる。


 コウモリの大群が頭部を失ったカインに群がり、少しずつ肉を削っていった。ついばまれ、全身から血を吹き出し、首なしのカインはついに膝を突く。


 もう変身するちからも残っていない、と踏んだアベルは、集まったコウモリからヒトの姿に転じ、最後の攻撃を仕掛けた。


「これで、終わりだ!!」


 鉤のように尖らせた指先でカインの心臓を貫けば、兄のからだはそのまま崩れ去り、灰になってしまう。


「やった……!」


「この程度か?」


 ふいに、アベルの背後から声が聞こえた。振り向くより先に両腕をつかまれ、暴力でもって肩から先を引きちぎられてしまう。


 両腕を失ったアベルは、なんとか背後に立つ兄の姿を視界の端に捕らえた。頭部も再生していて、完全にノーダメージだ。どうやら、壊したと思ったのはカインの『残骸』だったらしい。


 ビルの屋上に倒れ伏し、それでも起き上がろうとするアベルの頭を、カインの長い脚が踏みつけにした。強制的に土下座の格好をさせられ、アベルは歯を食いしばる。


 そんな醜態を、カインは勝者の嘲笑と共に見下ろした。


「はははははははははははは!! いいザマだな、我が弟よ!!」


 哄笑が、ビルの谷間に響き渡る。


 アベルの方も、もうコウモリに変化するちからは残っていない。されるがままだ。コンクリートに額をこすらせ、アベルにはもう反抗する気はなくなっていた。


 屈辱的な姿勢のまま、笑う。


 ああ、やはり兄は兄のままだった、と。


「……くくっ……あはははははははは!!」


「ははははははははははは!!」


 ふたつの高笑いが重なり、その異様な光景を月だけが見降ろしていた。


 カインはアベルの頭から足をどけ、吐き捨てるようにつぶやく。


「ふん、貴様はやはり私の弟だな……まあ、いい。兄弟のよしみだ、二度目はないぞ」


「はい、次は、必ずや」


 血しぶきの飛んだ頬に笑みを乗せ、赤い瞳をらんらんとたぎらせて、両腕を失ったアベルは立ち上がり、そのままコウモリの群になって夜空の彼方へ消えていった。


 ずいぶんとマンションから離れてしまったな、とビルとビルの間を跳び、再び咲の元へと帰って来るカイン。


「よかった、カインさ……」


「黙れ」


 よろこびに染まっていた咲の表情が、服従者のそれへと一変する。夜はまだ、明けていないのだ。


 ガラスの割れた窓にカーテンを引き、カインは散らかった寝室のベッドの上に咲を押し倒す。


「どうにも高ぶってな……久々にちからを使ったせいで、腹が減った。さあ、今宵も血を捧げるがいい、私の家畜よ」


 心配などすっ飛んでしまった。相変わらず傲然と笑うカインは、なんの許しもないまま無遠慮に咲の首筋に犬歯を突き立てる。


 咲の嬌声が上がり、今夜も『情事』はクライマックスを迎えた。


 血を浴び、血を流し、血をすする。


 赤のカルマに身を委ね、カインはその夜も咲の上に君臨するのだった。

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