№10 かわいい弟
「今日、弟さんが会社に来たよー」
帰宅してからの癒し時間、カインにお姫様抱っこの体勢で抱き着きながら、咲は何気なく伝えた。
咲を抱きしめながらソファに座るカインは、頭が痛いような顔をして、
「まったく、あれときたら……」
「いや、ちょっと話しただけ。特に嫌がらせ受けたとかもないし、むしろ私がワンパン入れたっていうか……」
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません、ご主人様」
眉尻を下げてこうべを垂れるカインに、咲は慌てて首を横に振った。
「いいんだよ! カインが謝ることじゃないよ」
「しかし、身内のしでかしたことですから」
「いい弟さんじゃん、心配しすぎて私の会社まで乗り込んでくるなんて」
クソガキはクソガキだが、咲はアベルのことをそこまで嫌っているわけではなかった。推しであるカインの身内であり、カインのことを思っている。だからこそ、カインもあまり邪険に扱わないでほしかった。
やれやれ、とばかりに肩をすくめると、カインは膝に乗せている咲のからだをそっと抱きしめ、
「……あれは、昔はああではなかったのです」
「そういえば、仲良かったって言ってたよね」
咲が話に乗ってくると、カインはぽつりぽつりと続けた。
「はい。兄上、兄上といつもあとをついてきていました。なにをするにもわたくしめといっしょでなくてはイヤだとワガママを言い、両親を困らせていたものです。わたくしめも、そんな弟を憎からず思っておりました。父母との軋轢さえなければ、今でも昔のように振舞えたと思います」
兄弟を比較してどちらかを甘やかし、どちらかを疎んじる。典型的な毒親だ。そうやって自己肯定感をむしり取られたカインだったが、奇跡的にこんな聖人君子に育ってくれた。そこは感謝しかない。
一方だけに愛を注いだ親のせいで、カインもアベルと付き合いづらくなったのだろう。アベルも同様だ。毒親の手前、ふたりとも遠慮せざるを得ない。
だからこそ、アベルはあんなツンデレブラコンに成長したわけで、カインも実家から逃げてきたのだ。
聞けば聞くほど、咲はカインの両親、アダムとイブのことが嫌いになってきた。
「なんか、カインが実家を飛び出してきたのもわかる気がしてきた……」
「わたくしめは、普通に愛情を受けるということがこれまでなかったのです」
考えてみれば、咲もそうだった。特別親が毒だったということもなかったが、肉親以外の誰かから愛されるということはなかった。惜しみなく愛を注いだ相手は、必ず咲から離れていく。残された咲は、ただ茫然となにがいけなかったのかを自問することしかできない。
咲はどこかさみしげなカインの首を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
「けど、私がいるからもう大丈夫だよ」
「はい。ご主人様が初めてです、わたくしめをこのように愛してくださったのは」
咲の後ろ頭を撫でながら、カインはやさしくささやく。きっとまた、笑いじわを深めていることだろう。
それに満足した咲は、腕をゆるめてカインの目を見詰めながら、
「……やっぱり、似てない兄弟だね」
アベルの碧眼を思い出して重ねてみても、どうしても兄弟だとは思えない。
「でしょう?」
カインが自嘲のように苦く笑ったので、咲は思わず謝ってしまった。
「……ごめん、突っ込んだ話聞いちゃって」
「ご主人様がそのようなお顔をされる必要はございません。さあ、そのかわいらしいお顔を輝かせて、わたくしめにお見せくださいませ」
幼子を抱くように咲のからだを揺らし、カインがいつくしむような笑みを浮かべる。それだけで、咲の中の不安やうしろめたさは吹っ飛んでしまった。
「ああああああああ♡ やっぱり推せるー尊いー♡」
ぎゅむぎゅむとカインの首筋に抱き着き、カインから放出されるなにかしらの麻薬成分で脳内物質を垂れ流しにする。
これぞしあわせ、といった風情だった。
そんな咲を見て、カインもうれしそうな顔をする。
お互い明るい表情で見つめ合い、しかしそれ以上はなにもしない。
『おやすみ』を迎えていない状態のカインは、咲になにかアクションを吹っ掛けるということは決してしなかった。
咲はそれを少し物足りなく思っていたが、『おやすみ』のあとのカインには散々攻められることもあってか、これでいいとも思っていた。
一線を踏み越えることのない従者。
そんな従者が、『おやすみ』を境に征服者として君臨する。
その二面性が、咲にとってはたまらなく尊かった。
早くも深夜零時に期待をして、鼓動が早くなる。
それを察したのか、カインも早々に咲を膝から下ろし、食事の準備を始めた。
晩御飯を食べて、少しくっついて、お風呂に入って、世話をしてもらって、『おやすみ』を交わす。
その先の時間が、今夜もまたやって来る。
「……は、あ……!」
鎖骨を甘噛みされて、咲は吐息と共に甲高い嬌声をこぼしてしまった。
「……まったく貴様と来たら……よく鳴く家畜だな」
見下ろせば、やわく牙を立てたカインが傲然と笑っている。
噛み痕を長い舌で舐め上げると、より一層の快感が咲の背筋を駆け抜けていった。ふるりと震え、咲は涙目で懇願する。
「……もっと、いじめてくださいませ……」
「なんだと? 聞こえなかったぞ?」
絶対に聞こえていたはずなのに、カインはなぶるような声音でそう告げた。
早く言わなければオアズケだ。咲は声を振り絞って啼いた。
「いじめてください……!……もっと……!」
「いい子だ」
その痴態に満足したカインは、咲の首筋に、つ、と舌先を這わせる。ヴァイオリンの旋律のような切ない感覚に、咲はうっとりとした顔をしながらからだを震わせた。
耳を、あご先を軽く噛まれ、そのたびにびくんびくんと痙攣する。
「……はっ、あ、……ああっ……!」
「そうだ、メス豚らしくもっと汚い声で鳴け」
「……は、い……あっ……!」
ふと、息を乱して身震いする咲の首筋から顔を離して、カインは咲のからだにまたがったまま遠くを見た。
「……どうなさいましたか……カイン様……?」
尋ねる咲の声を無視して、赤い目をしたカインが口端を上げる。
「いいぞ、入れ」
誰に向かっていっているのかはわからないが、どうやら闖入者がいるらしい。聞いたことがある、『吸血鬼は招かれなければその家には入れない』と。
やがて、窓から一匹のコウモリが飛び込んできた。きいきいと鳴きながら寝室を飛び回り、やがて隣の空のベッドにとまる。
「私の食事の邪魔をするとは、いい度胸をしているな、アベル」
「……兄上……!」
弾んだ声と共に、コウモリのからだが一気に膨れ上がる。
それはやがて、ヒトと同じ姿に変わった。カインの言う通り、アベルの姿だ。
兄と同じように赤い瞳をしたアベルは、立ち上がってうれしそうな顔を見せた。
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