№9 社凸

 翌日。


 いつものようにカインに送り出された咲は、ばりばりと仕事をこなしていた。今日は営業回りは少しにして、後回しにしていた書類仕事を片づけなければならない。


 パソコンに向かって無心にデータを打ち込んでいると、社員用携帯が震えた。なにかトラブルでもあったのだろうか?


「はい、桜田です」


 電話に出た咲の声に、顔見知りのおじいちゃん警備員が応じる。


『桜田さん? ごめんねえ、忙しい時に』


「いえ。それで、なにかありましたか?」


 肩に携帯を挟みながら仕事を続けていると、警備員が言いにくそうにしながら、


『いや、ね。なんだかものすごくきれいな男の子が、桜田さんにお兄さんを監禁されてるって言っててね……』


「…………」


 昨日の今日、か。思わずキーボードをたたく指を止めた咲は、深くため息をついて携帯を右手に持ち換えた。


「ああ、知り合いです。ちょっと精神に問題を抱えてまして、たまに言動がおかしくなるんですよね。とりあえず、そこで止めてもらっててもラチが明かないと思うので、15番会議室まで通してください」


『本当にいいのかい?』


「ええ、私もすぐに向かいますから。よろしくお願いします」


 そこで通話を切った咲は、試合前のボクサーのようにうなだれ、しばらくそうしていたと思ったら、今度はつかつかとデスクを離れて会議室に向かった。


 同じフロアにある会議室の扉を開くと、中からきゃんきゃんと声がする。


「見つけたぞ、女!」


「うるさい、クソガキ。ちょっと黙っててくれる?」


 込み入った話を聞かれてはマズいと、咲は後ろ手に会議室の鍵を閉める。いきなり会社凸という暴挙に出たアベルの対面の椅子に座り、テーブルに頬杖をついてにらみつける。


「……くっ、昼間でなければあんな番兵……!」


「うちの警備員さん優秀だからねー。で、何の用?」


 と、聞くだけヤボか。


 案の定、アベルの目的はたったひとつだった。


「おい、女! 兄上を返せ! どんな手を使って監禁しているのかは知らないが、即刻兄上を自由にしろ!!」


「……いや、カインは今頃パチンコとサイゼ飲みだから、ものすごく自由を満喫してると思うけど……」


 ばあん!と机をぶっ叩くアベルに向かって、呆れたようにつぶやく咲。


 それを聞いたアベルは、立ち眩みを起こしたらしく頭を抱えて机に突っ伏した。


「……パチンコにサイゼ飲み……ガチクズの定番コースじゃないか……!」


 ちょっと弱ったところを見せると不覚にも『かわいい』と思えてしまうので、美少年というのは得だ。


 だが咲にはすでに最推しがいるので、どれだけ弱っていても容赦はない。


「今頃、パチンコでお金溶かしてサイゼのワインで気持ちよくなってるんじゃない?」


「あああああああああああ!!」


 痛いところを突かれたアベルは、また金髪をかきむしって、がば!と顔を上げた。


「お前がそんなガチクズにしたんだろう! 昔の兄上はそんなんじゃなかった! 即刻兄上を真人間、もとい真吸血鬼にしろ!!」


「カインはあれでいいの! むしろあれくらいだから推せるの!」


「いいわけあるか! あんなもの、クズオブクズだ!」


「だって私のヒモだもん! カインがしあわせなら私もしあわせなの! だいたい、私から推しを取り上げるだなんてあんた何様!?」


「真祖吸血鬼の子、アベル様だ! お前こそ、推しだのなんだのわけのわからんことを言って! 兄上をどうやってとりこにした!?」


「人聞きの悪い! カインは好きで私のところにいるの! あんたたちのところになんか帰らないんだから! カインは私が養ってるヒモなの!」


「やっぱり、お前がダメにしてるんじゃないか! 養っているというより、飼っているだろう! あんなの、家畜も同然だ!」


「家畜は私の方だよ!!」


「はあ!?」


 咲のメス豚宣言に、アベルのきれいな碧眼が真ん丸に見開かれた。咲も、ああこれは言っちまったな……と若干の後悔に襲われる。


 丸めた目をぱちぱちさせて、アベルは咲を指さした。失礼なクソガキだ。


「……まさか、お前……兄上の眷属になったのか……!?」


「そうだけど!?」


 むしろ胸を張って咲が答えると、アベルは愁眉をひそめて握ったこぶしをぶるぶると震わせた。


「……嘆かわしい……!……こんな女を眷属になさるなんて……!……あの兄上ともあろうお方が……!」


「なんか悪い!?」


「悪いに決まっている! 真祖吸血鬼の子の眷属ともなれば、真祖の孫も同然! この世にはびこる吸血鬼の、系統樹のトップに近い位置にいるんだぞお前!」


「それがどうした!」


「ああ、女! お前はことの重大さをなにも理解していない! 説明したところで理解できる脳があるわけでもなさそうだ!」


「それはあんたの説明の仕方が悪いんでしょ! やれ真祖だやれアダムだって、専門用語ばっかり並べて!」


「専門用語などではない! もういい、おいおい身をもって実感するだろうからな! だいたいお前、あの兄上の眷属のクセに、『ちから』も使いこなせていないみたいじゃないか!」


「『ちから』?」


 たしか、カインは初めて血を吸うときに、『自分と同じ吸血鬼になる』と言っていた。そして、『他人の血を飲まない内は半端者』、とも。


 血を吸われてから今のところ、咲に目立った変化は見られない。以前と同じように仕事をして、普通にご飯も食べるし夜も眠れる。ひとの血なんて吸いたくもならない。


 それが、眷属としての『ちから』を使いこなせていない、ということなのだろうか?


「ふん、眷属としてまだ目覚めていないようだな! 今にわかる、お前は夜の住人になるという選択をしたんだ! 僕らと同じ、バケモノになるという選択をな! 今のうちに人間としてのぬるま湯生活を満喫しておくがいい! それより兄上をぶべらっ!!」


 熱くなったアベルの端正な顔面に、咲のグーパンが炸裂した。みち、と骨が歪む音が聞こえた気がする。


 椅子から転がり落ちたアベルはぶたれた頬を押さえながら、涙目で咲を睨み上げた。


「なにをする!?」


「うっせえわ! さっきから聞いてりゃ、自分の都合ばっか! 言ってるでしょ! カインは私との生活がしあわせなの! だいたい、推しを甘やかして何が悪い!?」


「女子がグーパンはないだろグーパンは! 自分都合なのはお前も同じだ! 推しだのなんだの、意味の分からないことを言って、兄上を甘やかして鎖でつないで! それが本当に兄上のためになると思ってるのか!?」


「ヒモってのはそういうもんなの! どれだけダメになってもカインのこと推せるし、私はカインがしあわせに暮らしてくれてるだけでいいの! あんたみたいにやみくもに実家に帰そうとしてるよりはマシでしょ!?」


「あんな状態を見たら誰だって実家に帰したくなるだろう! お前、自分がどれだけダメンズメーカーなのか自覚あるのか!?」


「なにそれ?」


「ないのかよおおおおおおおおおお!!」


 頭をかきむしって吠えるアベルに、そろそろ潮時かと、咲はさっきかかってきた電話に折り返した。


「あ、もしもし。お疲れ様です。今話終わったんで、適当につまみ出してもらっていいですか?」


「ば、番兵を召喚したな!?」


「当たり前でしょ」


 通話を切った数分後、会議室に警備員のみなさまが押しかけてくる。両脇をがっちり固められたアベルは即座に社屋の出口まで連行されていった。


「くそぅ! 覚えてろよ! 必ず兄上を更生させて連れ戻すからな!!」


 負け犬の遠吠えをすると、アベルは咲の視界から消えていった。


 会議室の椅子にもたれかかりながら、また厄介なのが来たな……と肩を落とす。


 単なるカインの敵ならばわかりやすいのだが、相手は弟で、なおかつ兄を心配している。そうそう無碍にはできない。


 これからどうやってかわしていこうか。


 しばらく考えても答えが出なかったので、とりあえず咲は仕事に戻ることにした。

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