№8 『実家』

「なんだ!? なんなんだこれは!?!?」


「なにと言われましても……これがわたくしめが元気に生活している証です」


 きりっとして言い切るカインに、アベルは血の涙を流さんばかりの形相でこぶしを握ってうつむき、


「……とても真祖吸血鬼の子との姿とは思えない……!」


 なにやらひどく嘆いている様子だった。


「ですからアベル、どうか安心して……」


「できるかああああああああああ!!」


 なだめるカインだったが、アベルはとうとう爆ギレしてしまった。


「お前か! お前が兄上をダメにしたんだな!?」


 どうやらダメなことは認めるらしい。


 食って掛かられた咲をかばうようにしてカインが前に出る。


「アベル、およしなさい。ご主人様は立派にわたくしめを養ってくださっております。わたくしめは日々、パチンコや競馬、競艇、麻雀、ドンキ、漫喫などなど、大変楽しく過ごしておりますよ。タバコももくもく、お酒もぐいぐいです」


 言葉にすればことさらガチクズだが、本人や咲にその認識はないらしい。ふたりともにこにこと事実を述べるばかりだ。


 その異様な光景に、アベルもドン引きしたようだった。兄の変わり果てた姿を見て目じりに涙をため、


「もういい! いいか! 絶対に兄上を元に戻すからな! 必ず更生させてやる!!」


 半泣きになったアベルは、そのまま部屋を去り、乱暴に扉を閉めて出ていった。


「……なにかいけなかった?」


「いえ、あれも昔から根が真面目なもので……」


 特別真面目でなくても今のカインの状況はマズいと判断するだろうが、そこは置いておく。


 困ったような顔をするカインに、咲はそろりと尋ねてみた。


「でも、カインって家族がいたんだ? そういえば私、カインのことあんまりよく知らなかった」


 どんな事情があれ推しは推しだ。今まで深く詮索したことはなかったが、そろそろ話してもらう時が来たらしい。


 咲を後ろから抱きしめ、その肩に顎を乗せながらカインはつぶやいた。


「わたくしめ、実は実家を出奔した身でして……追手やらなにやらでちから尽きていたところを、あの夜ご主人様に拾っていただいた次第です」


「実家? 追手?」


「はい。アベルが言っていた通り、わたくしめの父と母は真祖吸血鬼……この世で最初に誕生した吸血鬼でして、名をアダムとイブと申します。そのつがいが産んだ子が、わたくしめとアベルでございます」


「そういえば言ってたね、特別な吸血鬼だって」


「ええ。吸血鬼としてのちからはそこらのものよりも格段にすぐれています。現存する吸血鬼たちの系統樹の根幹に位置するのが、わたくしめの両親なのです。もう何年生きているのかわかりませんが……」


「その実家から、なんでカインは家出してきたの?」


「それが、昔から父母と折り合いが悪く……きっかけはあったのですが、いずれこうなることはわかっておりました。父母はわたくしめに追手をかけ、実家に連れ戻そうとしています。真祖吸血鬼の子ともなれば、おいそれと俗界に身を置くことは許されない、と考えているようです」


「まあ、いわば王様だもんね……家族仲、あんまり良くないんだ」


「いえ、父母とは軋轢がありましたが、弟は別です。アベルは昔からよくわたくしめのことを慕ってくれて……決して口にはいたしませんが、わたくしめなどのことを尊敬すらしてくれています。よく兄上、兄上とついてきたものです」


「弟さんはカインを実家に連れ戻そうとしてるけど……」


「難儀なものですね。アベルはわたくしめとは違い、両親が特別目をかけておりまして……その立場上、わたくしめを必ず連れ戻せと言われて、断り切れなかったのでしょうね。あれは昔から苦労性なのです」


 ふう、とため息をついて、カインは少し表情をかげらせた。そんなフクザツな家庭環境に身を置いていたのなら、さぞかし息が詰まっただろう。


 吸血鬼の王子様。疎まれたカインと、甘やかされたアベル。両親との確執。


 どういうきっかけがあって実家を飛び出してきたのかまでは聞かず、咲はカインの頭をそっと撫でた。


「……てっきり、天涯孤独かと思ってたけど、そんな事情があったんだね……」


「さようでございます。お話しするのが遅れて、大変申し訳ございませんでした」


 うなだれるカインの髪を撫でながら、咲は首を横に振った。


「いいよ、私も詮索したくないし。なにがあったって、カインはカインだから。私は自分の推しを全力で応援する、それだけ」


「……ありがとうございます」


 ようやくいつものように笑ってくれたので、咲は頭から手をどけて、カインの琥珀色の瞳を見詰めた。


「……カインは、帰りたいの?」


 もし、両親と和解できたら。


 出奔の件は、両親のお気に入りであるアベルがとりなせば何とでもなるだろう。アベルもそのつもりでカインを連れ戻しに来たようだった。


 もし、ここよりも実家の方が居心地がいいと言うのなら、咲も考えなくてはならない。


 もちろん、推しのしあわせがまず第一だ。そのためならばよろこんで身を引こう。だが、どうしてもワガママを言いたい気持ちはあった。


 結局は、カインがどちらを選ぶかだ。咲はその決定に従うしかない。


 じっと琥珀色を見つめて答えを待っていると、今度はカインが咲の頭をやさしくなでた。


「わたくしめの居場所は、ご主人様の元です。今更、帰る気などございません。わたくしめの帰る場所は、ずっとご主人様の足元です」


 まぶしげに目をすがめて笑うカインに言われて、感極まった咲はカインを押し倒すように抱き着いた。その体重を受け止め、背中に腕を回すカイン。


「じゃあ、ここにいてくれるんだ?」


「もちろんでございます」


「私の居場所もカインのいるところだよ」


「光栄です」


「ずっといっしょにいようね」


「はい」


 涙声になってしまったが、大切なことは伝えた。胸に顔をうずめる咲の背中をあやすように撫で、カインはやわらかく答えてくれる。


「弟はわたくしめがなんとか説得してみます。話の通じない相手ではございませんので」


「うん。私、あのクソガキ相手じゃケンカになりそうだから引っ込んどくよ」


「ご主人様は、存外に激情家でございますからね」


「そういうところも……?」


「はい、大変好ましく思います」


「はあああああああああ♡ しゅき♡」


 改めてカインを抱きしめ、咲はそのにおいを肺いっぱいに吸い込んだ。なにか麻薬成分のようなものが出ている気がする。


「さあ、そろそろお風呂にいたしましょうね。湯を沸かします。ご主人様は、どうぞおくつろぎくださいませ」


「ありがと♡」


 ようやく腕をほどいた咲を置いて、カインはバスタイムの準備をしに行った。


 ぼんやりとクッションを抱えて、咲はカインを守るという決意と共に、一抹の不安を覚える。


 そりのあわない両親。追手。


 なにやらきなくさいが、カインのためならねじ伏せてやる。


 なにせ、カインは咲の最推しなのだから。


 数分後、完璧にお風呂の準備を終えたカインの呼ぶ声に、バスルームへ向かった。


 シャワーを浴びて湯に浸かり、優雅なバスタイムを終えて、いちゃいちゃしながら寝る支度を済ませてもらい、いつも通りの『おやすみ』がやってくる。


 そのあとは、夜ごとの『情事』に夢中になり、咲とカインはまた朝を迎えるのだった。

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