№7 カインとアベル

 ばりばり仕事をして、帰ってきてカインといちゃいちゃしながら世話をされ、『おやすみ』のあとで服従する被捕食者となり、朝が来て土下座され、支度をしてまた仕事に行く。


 そんな愛すべき日常が過ぎていった。


 まるで何年も前からこうしているような気になっているが、実のところまだこの生活を始めてから二度目の冬はまだ迎えていないのだ。


 しかし、秋がやって来て、もうそろそろあの季節がやって来ると咲は感慨深く思っていた。


「カインー♡ お菓子食べさせてー♡」


「どうぞ、ご主人様。そのかわいらしいお口をお開けくださいませ」


「あーん♡」


 カインに食べさせてもらうと、安物のトリュフチョコも極上の美味に変わる。ひざの上に転がってもぐもぐと甘味を食しながら、咲はゆるやかなしあわせに酔いしれていた。


「ほら、カインも。あーん♡」


「ああ、もったいのうございます。ですが、ご主人様が手ずから、というのならば……」


 チョコを口に持っていくと、カインは指ごとくちびるで挟み込み、ぺろりと咲の指先を舐めるというイタズラをした。


 少し恥ずかしげに笑うカインの大人の遊びごころにすっかりやられてしまって、咲は思わず床をごろごろとローリングする。


「ああああああああ尊い推せる推せる推せるうううううう!!」


「ふふ、ありがたきしあわせ」


 その発狂っぷりを微笑ましげに眺めながら、カインはタバコに火をつけようとした。


 ぴんぽーん。


 タバコに火が移る直前、インターフォンが鳴る。もう夜も10時を回っているというのに、一体誰だろう。


「ま・いっか! 無視無視! カインの副流煙おいしー♡」


 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん。


「もう一個チョコ食べさせてー♡」


 ぴんぽんぽんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。


「そうだ! お酒飲もうよ! いいワインがあるからそれで……」


 ぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽぴぽ。


「っだあああああああ!! うるさい!!」


 インターフォン連打に、とうとう咲が吠えた。これだけしつこくチャイムを鳴らしているのだ、無視しきれない。


「わたくしめが対応しましょうか?」


「いいよ、どうせ私の客だろうから!」


 渋々カインの膝から起き上がって、咲は『ちっ、うっせーな』などと剣呑につぶやきながらインターフォンの画面を開く。エントランスがオートロックになっているマンションなので、相手はこちらの許しなしには入って来られない。


 インターフォンが映し出した画像では、目を見張るような美少年が不機嫌そうな顔つきで立っているのが見えた。


 金の短い巻き毛に、まつげの長い碧眼。中学生くらいだろうか、白い肌に一点の曇りもない、紅顔の美少年。だが、いかにも小生意気そうだ。こんなにもしつこくチャイムを連打しているのだから、咲はその少年をクソガキと呼ぶことにした。


 インターフォンで応答したことが分かったのか、クソガキは、はっと顔を上げてカメラとマイクにかじりつく。


『おい、ここにいるのはわかってるぞ!! 兄上を出せ!!』


「はあ??」


 あにうえ? なにが何やらさっぱりだった。もしかしたら部屋を間違えているのかもしれない。


『隠し立てするとためにならんぞ!』


「あのね、ボク。その兄上とやらの住所、もう一回確認して……」


「ああ、アベルではありませんか。お久しぶりです」


「へ?」


 ひょい、と画像を覗き込んだカインが口にした言葉に、咲は間の抜けた声を上げる。どうやら知り合いらしい。と、いうことは……?


「弟です」


「弟!?」


 まさかの兄上本人だった。そもそも、兄弟がいたことも知らなかった。


「カインの身内なら、とりあえず家に上げないわけにはいかないか……入っていいよ、ボク」


 オートロックを解除すると、クソガキの顔色がぱあっと明るくなった。エレベーターに駆け込んでいく姿が見える。


 数十秒後、部屋の扉が叩かれたので開けると、やはり金髪碧眼の超絶美少年がいた。


「兄上! こんなところにいたのですか!」


「ちょっと!? ここ私んちなんだけど!?」


 押し入ってこようとするので制止しようともみくちゃになるが、カインがしずしずとスリッパを出すとクソガキ……アベルは急におとなしくなってもみ合いをやめた。


「ひとまず落ち着きなさい。今コーヒーを入れましょう」


「落ち着いていられるか! 兄上、今すぐ……」


「アベルはミルクと砂糖マシマシでしたよね?」


「そ、そうですが……」


「了解しました。ダイニングテーブルにかけて待ちなさい」


 カインのマイペースに巻き込まれて、アベルはぶすくれた顔でダイニングテーブルに着席した。


 咲もいすに座ってコーヒーを待っていると、三つのカップを手にしたカインがすぐにやって来た。それぞれにコーヒーを配り、自分もカップを持って席につく。


「……ええと、ふたりは兄弟、なんだよね……?」


 コーヒーをすすりながら咲が遠慮がちに問いかけると、アベルの方が先に口を開いた。


「そうだ! カインとアベル、と言えば真祖吸血鬼のたったふたりの子として、この界隈では高名だ! あるものはおそれ、あるものはあがめ、脈々といのちを繋いできた! そもそも、真祖吸血鬼というのは……」


 くどくどくどくど。


 こういう手合いは勝手にしゃべらせておくに限る。へー、やら、ふーん、やら適当極まりない相槌を挟みながら、咲はコーヒーを味わっていた。


「……だから、僕たち兄弟は特別な吸血鬼なんだ! わかったか、女!」


「うん、なんとなく。で、そのトクベツナキュウケツキがなにしに来たの?」


 あからさまに小バカにした様子で問うと、アベルは急にそっぽを向いて、


「ふん! 兄上が失踪されたということで、ちょっと様子を見に来ただけだ! 別に心配などしていないぞ!? 勘違いするなよ!?」


 典型的なツンデレブラコンだった。こんなお手本のような個体を、咲は見たことがなかった。


「へえ、いなくなったお兄ちゃんのことが心配で見に来たんだ」


「だから! 心配などしていないと……!」


「アベル、わたくしめは元気にしていますよ。なので、心配せずとも……」


「だーかーらー!!」


 あくまでも心配していないテイでいきたいらしい。荒くなった息を甘いコーヒーを飲むことでしずめ、アベルはまたぷいっと明後日の方を向いてしまった。


「どうせ、この女に弱味でも握られて監禁されてるんだ!」


「はあ!? 私がそんなことすると思う!?」


「じゃあこの状況は何なんだ!? 真祖吸血鬼の秘蔵っ子である兄上が、こんな家畜小屋のようなところに……」


「ひとんちを家畜小屋とか言うなこのクソガキ!」


「うるさい! だったら今すぐ兄上を返せ!!」


「まあまあ、アベル」


 ヒートアップするふたりの言い合いのそばでのほほんとコーヒーを飲んでいたカインが、ぴ、と人差し指を上げる。


「わたくしめが元気に暮らしている様子を見れば、アベルも安心すると思いますよ。さあ、ご主人様。いつも通りに過ごしましょう」


「えっ、いいの?」


「そこまで言うなら、『いつも通り』とやらを見せてもらおうじゃないか!」


 アベルもそれでいいらしい。ならば、いつも通りにしてみようか。


 咲とカインは席を立ち、アベルを空気扱いして普段と同じようにリビングでいちゃこらし始めた。


 しゅぼ、と百円ライターでタバコに火をつけ、膝に乗せた咲の頭を撫でるカイン。いつの間にか持ってきていた高いワインをマグカップで惜しげもなくぐいぐいいき、


「ねー、カイン。『ご主人様のワイン、おいしいです』って言ってー♡」


「はい、アル中のわたくしめにとっては味など些末事ですが、ご主人様のワイン、大変おいしゅうございます」


「はあー♡ 報われるー♡」


「ご主人様、今日も競馬にドンキ、行きつけの赤提灯、存分に楽しませていただきました」


「カインが楽しいなら私もうれしい♡ はい、これ、明日のお小遣いね♡」


「ありがとうございます、ご主人様。明日も楽しく過ごすことにいたします。ご主人様も、どうぞお仕事ご無理されぬよう」


「えー、カインががんばれって言ってくれたらいくらでもがんばっちゃうのになー?」


「では……お仕事頑張ってくださいませ、ご主人様」


「はああああああああん♡ 癒されるうううううううう♡ うん、死ぬ気でがんばるね♡」


「わたくしめも、死ぬ気で散財いたします」


「あ、カイン! 灰落ちそうだよ! 私ならよろこんでカインの灰皿になるけど♡」


「おっと、失礼。ワインも二本目、開けてもよろしゅうございますか?」


「もちろん♡ がんがん飲んでね♡」


「ありがとうございます。では二本目を……」


「ぐああああああああああああああああ!!」


 その時点で、アベルがキレた。金髪をかきむしりながら、惨憺たる有り様の実の兄を見て、苦悶の悲鳴を上げる。

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