№6 絆の結び目

 そんなこともずいぶん昔に感じるなあ、と、ふふっと笑声をこぼす咲。


 その様子を、リフレッシュルームで目ざとく見つけた同僚女性が声をかけてきた。


「なあに? 桜田さん、本当に最近調子出てるよね。カレシでもできた?」


「カレシなんて下等な存在と同列に扱わないでください! 推しですよ、推し!」


「ああー、最近はやりの『推し事』ってヤツ?」


「言うなればそうですね!」


 きっぱりと言い放った咲を見て、同僚はその勢いに若干引いたようだった。


「ま、まあ、それで生活に潤い補給できるなら……それで、誰推し? 二次? 三次?」


「しいて言うなら三次ですけど……違うんです。私の推しは、もっと高次の存在なんです。もう次元の壁を突き破ってるんです」


「……そこまで推すか……」


 ずず、と紙コップのコーヒーをすすりながら、同僚女性は呆れたようにつぶやく。


「あのあの! 少し語ってもいいですか!?」


「待って待って、その様子じゃ明らかに『少し』で終わらないよね!?」


「じゃあ三百字以内で!」


「それならいいけど……」


 うっかり許諾の言葉を口にしてしまった同僚女性の手を握りしめ、念を伝えるかのような異様な気配で咲は語り始めた。


「萌え要素のてんこ盛りというか全部乗せというかともかく一粒で何度でもおいしくて見た目はもちろんがんがんに好みどストライクでめちゃくちゃカッコいいしかわいいんですけどやっぱり雰囲気とかニュアンスで勝負してくるところが天然のひとたらしで思わず振り回されちゃうんですよねけどそんなところも魅力っていうか振り回されることが至上のよろこびっていうかむしろどんどん振り回してくださいお願いしますというか決して手の届く存在ではないんですけど近くに感じられるからどうしても親近感わくし独特の間合いがまた心地よくてつい甘えちゃうしなんだかんだでまるっと受け入れてくれるから私の推しは三千世界最強ってことでいいでしょうか?」


 速くもなく遅くもなく、ただただ呪文の詠唱のようにきっちり三百字で推しを賛美する咲は、語っている最中同僚の手をがっちり握って決して離さなかった。


 その鬼気迫る推し語りに、同僚女性もとうとうドン引きしてしまい、なんとか手を離そうともがく。


「わかった! わかったから!! 桜田さんがめちゃくちゃ『推し事』してることは十二分に理解したから!!」


「そうなんです! 私の最推しはともかくあまねくすべてよりも尊いんです!」


「ちょ、桜田さん! 今宗教に憑りつかれたひとみたいな目してるから!! 鏡見てみ!!」


 言われて初めて、咲はリフレッシュルームに置いてあった鏡で自分の表情を確認した。ようやく手を離してくれたので、これさいわいと同僚女性は去っていく。


 ……たしかに、なかなかイカれた目をしている。


 カインが気に入るのもうなずけるな、と自画自賛して笑うと、なんだか不気味な笑みになってしまった。


 今日もまた、カインが待つあの部屋へ帰るのだ。


 そのためならば、どんなキツい仕事でもやりこなそう。営業、案件、書類仕事、どんとかかってこい!だ。


 スマホの待ち受けにしてあるカインの画像を10秒ほど凝視して目に焼き付けてから、咲は夕方の仕事を再開した。


 


「ただいまー、カイン♡」


「あっ、ご主人様……!」


 咲が玄関を開けるなり、カインはなにやらリビングでごそごそとやっているようだった。明らかにいつもとは違って、なにかを隠している。


 が、咲に浮気という概念はない。相手は『彼氏』ではなく『推し』なので、自分以外の女がいようがいまいが、推しがしあわせならばそれでいいのだ。


「どうしたの、カイン?」


 それでも気になったので、ついパンプスを脱ぎながら聞いてみた。


 カインはクッションの下に隠したものをちらちら見やりながら、


「……いえ、その……せっかくなので、サプライズにしようと思ったのですが、思いのほかお早いお帰りだったので……」


「サプライズ?」


 なにをどうやって驚かせようと言いうのか、咲にはまったくわからなかった。


 そんな咲に、カインはおずおずと隠していたものを取り出して差し出す。


 手のひらに乗るような小さな箱だ。お菓子などではなさそうだった。


「こちらをどうぞ、ご主人様」


 捧げ持つように差し伸べられたそれを、咲はおそるおそるつまみ上げる。


 リボンをかけた真っ白な箱を開くと、そこにはプラチナの輝きを放つネックレスがふたつ、入っていた。ひとつは小粒なダイヤモンドを中心に抱いたもので、もうひとつはダイヤモンドが入っていない一回り大きなものだ。どちらも、ノットのデザインである。


「……これは……?」


「献上品でございます」


「つまりは、プレゼント、ってこと?」


「さようでございます」


 結び目のデザインのネックレスをしげしげと眺めてから、咲はとあるネットの記事を思い出した。たしか、これと同じものが結構なお値段で載っていたような……


「もしかしてこれ、高いやつ……?」


「本日はパチンコで大勝いたしましたゆえ、そのあぶく銭でデパートに駆け込みました。少しでもご主人様がおよろこびになるお顔を拝見したく……」


 パチンコで勝ったカネでプレゼントを買うというクズ発想だったが、咲はそんなことまったく気にしなかった。


 むしろ、そのこころ意気をとてもうれしく感じた。


「わあ、すごい! 私、アクセサリーなんてもらったの生まれて初めてだよ!」


 目を輝かせながら小さい方を手に取り、ダイヤモンドとプラチナの光にこころを躍らせる。今までジュエリーなどとは縁がなかったが、まさかこんな高価なものを贈ってもらえるとは。高価なだけあって、アクセサリーに疎い咲もがっちりハートをつかまれた。


 なによりも、それがカインからの贈り物だということがうれしくてたまらなかった。ライブでギターのピックを投げてもらったような気分だ。


 ただただ手に乗せて輝きをめでていたネックレスを、そっとカインがつまみ上げる。


「少々拝借いたしますね」


 そう言って咲の背後に回ったカインは、髪を横に流すと、そっと腕を回してネックレスを首に着けてくれた。


 改めて正面に回り、カインは笑いじわを深める。


「とても素敵ですよ、ご主人様。よくお似合いです」


 最推しからジュエリーを贈られて、それを手ずからつけてくれる。その瞬間だけでも、有り金全部はたいていいくらいの価値を感じた咲だった。


「ネックレスなんてつけたの初めてかも……ほんとに似合う?」


 不安げに尋ねると、カインは少し苦めに笑いながら、


「ええ、本当ですとも。ご主人様は、もっとご自分の魅力を理解した方がよさそうですね」


 カインが似合うと言っているのだ、他の誰に何を言われようとも、一生肌身離さずつけ続けよう。咲はそうこころに決めた。


「ですが、飾らないご主人様こそが、最高にお美しいです」


「ああー、もう!! 激推し……!!」


 たまらなくなった咲は、そのままダイブするようにカインの胸に抱きつく。ぬるぬると頬を寄せる咲の頭を撫でながら、カインはもうひとつのネックレスを手に取り、


「わたくしめごときがおこがましいとは思いますが、せっかくですのでペアで迎え入れました。いついかなるときでもご主人様のことを忘れないよう、この首に鎖をかけようと思いまして」


「そんなこと気にしなくていいのに……! ああもう、健気!! 尊い!!」


「そうはいきません。このモチーフの意味も聞いてみたのですが、決してほどけない結び目は、固い絆を象徴しているとのことでした。ふつつかながら、わたくしめとご主人様の絆も、このように永遠にほどけることがないようにと」


「もちろんだよ!! かた結びして接着剤漬けにして溶接してダイヤモンドコーティングするよ!!」


 咲が思っている以上に、カインは咲との絆を大切に思ってくれている。この上ないよろこびに、咲の脳みそは処理落ちしそうだった。


「さあ、ご主人様。わたくしめの首に、鎖をかけてくださいませ」


 胸になつく咲に大ぶりなノットのネックレスを渡し、シャツの襟を開くカイン。いつもは隠されている首筋と鎖骨がとんでもなくセクシーだ。


 ごくりと生唾を飲んだ咲は、ネックレスを受け取ってカインの首の後ろに手を伸ばし、四苦八苦しながらなんとか金具を止めた。


「……ふふ、これでおそろいですね」


 少年のようにはにかんで笑うカインがそんなことを言うものだから、咲は発狂しかけてフローリングをごろごろと転げまわる。


「ああー!! 尊さで殺されるー!! いや、この際死んでもいい!!」


「滅多なことを言うものではありませんよ、ご主人様」


「じゃあ、生きる!!」


 がば!とからだを起こした咲は、そのままカインの膝に飛び込んだ。腰に腕を回して、いつものように膝枕をしてもらう。


「ああー、生きてるー♡ カインが生きてるー♡ それだけでしあわせー♡」


「恐縮です」


 ぎゅっと抱き着く咲の頭をやさしくなでながら、カインはいつも通りいつくしむような表情を浮かべた。


「ネックレス、ありがとうね、カイン! 一生大事にする!」


「とんでもございません。わたくしめも、大切にいたします」


 互いの首にかけられた鎖。


 それは絆であり、執着でもあった。


 増え続ける『キスマーク』然り、カインもまた、咲のことを離しがたく思っているようだ。その薄暗い独占欲に、咲はぞくぞくした。


「……どうにも、格好のつかないプレゼントになってしまいました。もっと素敵な場所で、素敵なムードの中でお渡ししたかったのですが……」


「カインがいるだけで、そこがごみ溜めだろうと肥溜めだろうと素敵空間だよ♡」


「ありがとうございます、ご主人様」


「しあわせ♡」


「わたくしめもです」


 リビングでしばらくいちゃついたあと、カインが作ったかにクリームコロッケと味噌汁、チョレギサラダとごはんという素朴な晩御飯を食べ、お風呂に入って世話をされながらまたいちゃついて……


 そして今夜もまた、『おやすみ』のその向こう側の時間がやって来る。

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