№3 小汚いオッサン拾ってみた

 それは身も凍るような底冷えの冬の日だった。


 しんしんと降る氷雨に傘を差し、いつも通り働いた後帰宅していた咲は、うつろな目で肩を落としていた。


 また、捨てられた。


 これで何度目だろう。


 今回こそは大丈夫だと思ったのに、ダメだった。


 欲しいものはすべて与え、なに不自由ない暮らしをさせたのに、『しんどくなった』『重い』と、ダメ男からクズ男にジョブチェンジした元カレからフラれてしまったのだ。


 いつものように咲自身はまったく求められなかったので、連続処女記録更新である。


 いっそのこと逆に襲えばよかったのかもしれない。いやいや、やっぱり無理矢理はよくないな……などと悶々と考えては、行きつくのはいつもの疑問だった。


 なにがいけなかったのか?


 好きな人に幸福を提供することの、どこがいけないことなのか?


 わからない。


 咲にはさっぱり理解できなかった。


 そんなこんなで気落ちしたまま仕事から帰っている夜道の、とある暗がり。


 ゴミ捨て場だろう、コンクリートで囲われた地面にはゴミが散らばり、気の早い住人がすでに明日のゴミを出していた。


 そんなゴミ溜めの中に、人影を見つける。


 そこに倒れていたのは、みすぼらしい中年男だった。ボロを着ていて、髭は伸び放題で顔面のほとんどを埋め尽くし、長い髪で目元も見えない。どこかをケガしているのか、ボロにはところどころ血痕がついている。


 その男は、かろうじて息をしていた。上下する胸の動きでわかる程度には。ゴミ捨て場で胎児のような格好で横たわり、ただ息をしているだけの存在。


 咲はとりわけ正義感が強いわけでも、慈善活動に興味があるわけでもなかった。


 が、なぜかどうしても無視して通り過ぎることができなかった。


 なにか魔力めいたものにひかれて、ちっぽけな存在である男に傘を差しかける。


「……大丈夫、ですか……?」


 おそるおそるからだを揺り動かしてみると、かすかに筋肉の反応があった。どうやら普通に生きているらしい。


 夜道、見知らぬ中年男、行き倒れ、血痕、不審者。


 様々なワードが咲の頭を駆け抜け、警察、という考えも浮かんだが、それは立ち消えてしまった。


 どう考えても事件性のある男だというのに、咲は男のからだをなんとかして立ち上がらせた。ビニール傘は捨ててしまったので冷たい雨で服が湿って凍えそうだった。


 かじかむ手を男の頬に当てると、男の頬もまた、咲と同じくらい冷えていた。


「……ともかく、あたたまりましょう。意識はありますか? 歩けますか?」


「……う……あ……」


 咲の問いかけに、男はかすれたうめき声を発した。どうやら混濁しているものの意識はあるらしい。


 男に肩を貸しながら、咲は冷え切った冬の夜道を、息を切らせて歩き始めた。


 


 マンションに帰り着くと、まずは男を熱いくらいの湯船に沈めた。男性用のカミソリや散髪バサミ、男性用下着も深夜営業のスーパーで買ってきて、ほかほかになって湯から上がった男のもっさりしたヒゲをそり、適当に髪を短く切る。


「……おお」


 ようやく明らかになった男の顔を見て、咲はついうなってしまった。


 超絶美形である。イケオジである。少し頬がこけてはいるが、筋肉もそこそこあるようだし、マトモに生活していればすぐに程よい肉がつくだろう。背も高いし、愛嬌のある顔立ちは、アクションもコメディもラブストーリーもマルチにこなすハリウッド俳優のように見えた。


 適当に買ってきたスウェットは、丈が足りていなくてつんつるてんだったが、今夜だけなのでまあいいだろう。


 あたためたあとは食事だ。


 が、咲は自炊などという家庭的なことはしない。


 いつも通りコンビニで買ってきたものをレンチンして、スプーンで少しずつ食べさせる。時折むせる様子を見せたが、ゆっくりと時間をかけて、男は食事を終えた。


 食後のコーヒーを飲むころには、男はすっかりひと心地ついたようだった。


「……本当に、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」


 ダイニングテーブルで差し向かいになって、イケオジはテーブルに額をこすりつけて謝意を表した。まさか自分がこんなセリフを言われる立場になるとは思ってもみなかった咲は、静かに混乱する。


「や、あの、別に、そんな……なんとなく、見捨てておけなかっただけっていうか……」


「そのやさしさに、わたくしめのいのちは救われたのです。あなたはいのちの恩人だ。どれだけ感謝の言葉を並べようとも足りない。わたくしめの寿命の半分をあなたにわけて差し上げることができればよいのですが……」


「い、いいよ! 寿命とか、縁起でもない!」


 慌てて固辞する咲。しかし男は引かず、


「申し遅れました。わたくしめ、カインと申します。わたくしめにできることがありましたら、なんなりとお申し付けくださいませ。たとえいのちを懸けるようなことであってもかまいません」


「いやいやいや、さすがにいのちまでかけてもらっちゃ困るよ!」


「ですが……」


 なおも言いつのろうとするカインに向かって、咲は『この話題はおしまい』とばかりにそっぽを向き、


「いいの! 全部私の気まぐれ! あなたはラッキーだった、ただそれだけでいいじゃない! わかったら、さっさと寝る! とりあえず今晩だけは泊めてあげるから、明日からマトモな仕事探しなよ!」


「……ありがとうございます」


 カインは少しの間を開けて、ふんわりと微笑んだ。


 おそらくこの笑みにやられる女は数多くいるだろう。やわらかでおだやかな、春の日差しのようなあたたかい笑み。なんの含みもない純粋な好意を乗せた笑み。


 しかし、咲はダメンズウォーカーゆえ、こんな笑顔にはいまひとつ惹かれなかった。


 まあ、こういうひといるよね、たまに。


 その程度の感想だった。


 超絶美形の聖人君子。きっとカインなら明日から順調に仕事が決まるだろう。


 なんとなくワケアリなのは察していたが、とりあえず仕事と家の世話くらいはしてやろう。咲のほとけごころがそう言った。


 しかし、今晩だけだ。明日にはさよならしよう。


 リビングに布団を敷いてカインを寝かせながら、咲のこころはもう決まっていた。


「おやすみ、カイン」


「はい、おやすみなさいませ……」


「……どうしたの?」


 布団の上に正座して言いよどむカインに、咲が問いかけると、困ったように笑いながら、


「そういえば、いのちの恩人だというのに、あなたのお名前を存じ上げておりませんでした。お聞かせ願えますか?」


「なんだ、そんなことか。咲だよ、桜田咲。ただのОL。明日からは赤の他人だから、覚えなくていいよ」


「いえ、その美しいお名前、しかと胸に刻みました」


「……大げさな……」


「おやすみなさいませ、咲様」


「うん、おやすみ、カイン」


 今度こそ就寝の挨拶を交わして、咲は自分のベッドルームへと引っ込んだ。


 今日は不思議な日だな……と思っていると、氷雨の中を男ひとり担いで持って帰った疲れからか、すぐにうとうとしてしまう。


 かくん、と舟をこぎ始めて、そろそろ寝るかと間接照明を消した。そしてそのまま眠りにつく……


 はずだったが。

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