第三章 7

調べは、二週間後についた。

「天炎連山に送った間者によりますと、強力な魔導師が一名、サフサールについているとのことでございます」

「なんと」

「たったの一名……?」

「一名であれだけの術を……?」

「どのような高名な術師なのだ」

「名前まではわかりませなんだが、どうやら銀髪の若い娘らしいとのことでございまする」

「また銀髪か……」

 帝は片肘をついて低く呟いた。

「二人の白娘に、我が帝国軍が翻弄されているというわけか……」

「陛下……」

 帝は沈思した。そして目を瞑り、しばらくして目を開けた。

「技術室に、まだ使われていないはずの古代科学の武器庫があるはずだ」

「陛下……!」

「すぐさまそこへ行き、至急それらの武器を取り揃えて敵を迎撃するのだ。正面五連盟は騎馬隊を、背後天炎連山には弓隊であたれ」

「はっ」

「背後からまわって補給を止めろ。敵は三日ごとに移動しているぞ」

「はっ!」

「俺はサフサールへ行き、直々に大砲の指揮を執る」

「はっ」

 ラーズバルズは立ち上がった。そしてテントから出て、表へ出た。そこは高台になっていて、戦場が見下ろせるようになっている。

「まだまだ……帝国の秘密兵器は、これからだ」

 彼は目を細めた。

「この戦……勝つ」

 いつでも、俺は勝ってきた。この戦でも、勝ってみせる。勝って、母上を甦らせるのだ。 そして今度こそ、この渇きを癒してみせる。

 それまであと少し、あと少しなのだ。



「風よ吹け雨よ降れ 今 いにしえの魔法が甦る」

 イェータの詠唱と共に片手がサッ! と振られたかと思うと、前方でまばゆい閃光が迸り、レヴィルは思わず目を瞑った。

 次の瞬間、目の前の高地は焼け焦げて敵の姿は跡形もなかった。

「……」

 それをぽかんとなって見つめていたのも束の間、その後ろから敵が迫ってきた。レヴィルの後方から、味方がなだれ込むようにして走り寄った。それに流されるように、彼も走った。

 そうだ。見とれてる場合じゃない。戦わなくちゃ。

 戦いが始まって二か月、八番目の月、月光藍の月になっていた。

 乱れ来る敵を打ち払い薙ぎ倒し、レヴィルは必死になって戦った。

 その間も、真っ赤な炎が敵を飲み込まんばかりに炸裂し、風の刃がその身体を切り刻み、大地が裂けて彼らを吸い尽くした。イェータの魔法は、終わることを知らなかった。

 その日も戦いがひと段落して彼女がテントに帰ってきた時、レヴィルは一足先に戻ってきていて、湯を浴びてきた直後だった。さっぱりした顔の彼と違って、イェータは渋い顔をしていた。

「どうしたんだ暗い顔をして」

「……」

 久し振りに会ったというのに、イェータの顔つきはどこか浮かない。レヴィルは恋人を心配して、その腰に手を回した。

「なんだ、どうしたんだ」

「……やりすぎって言われた」

「なんだそりゃ」

 これにはレヴィルも驚いた。

「誰にそんなこと言われたんだ」

「大隊長に。隣国の」

「あの堅物か」

 レヴィルの顔が苦いものになった。隣国のリアーノの大隊長の一人はイェータを目の敵にしていて、軍議で殊の外彼女をあげつらっては責め立てる。まるで、今回の戦が彼女のせいであるかのように。

「殺しすぎだって」

「戦だぞ。殺してなんぼだ」

「私もそう言ってやった」

「そしたら?」

「黙っちゃった」

 レヴィルは愉快そうに笑った。

「それでこそ君だ」

 イェータが湯を浴びに行って、レヴィルはそれを待った。彼女が帰ってきて髪を乾かしているのを見ながら彼は言った。

「明日、久し振りに休めそうだろ。ちょっと森のほうまで行ってみないか」

「あんまり立ち歩いたら危険じゃないの。帝国軍の間者がうろうろしてるっていうわ」

「少しなら平気だろう。息抜きに」

「……じゃあ、少しだけ」

 連日の戦いで、イェータも疲れている。森に行くのは賛成だった。

 天炎連山は深い。異郷というほどの山間だから、森の様子もまた帝国領とは少し違っていた。

 見たこともない花が咲き、あちらこちらに泉が湧いている。草は生い茂り、樹々は黒く、鳥もいない、そんな深い森である。夏なのに涼しく、日が射して木陰に入ると木の香りがした。

「百合が咲いているわ」

 泉のほとりに、一輪の花が咲いていた。レヴィルはそれを摘もうとして、イェータに止められた。

「そのままにしておきましょ」

「君がそう言うなら、そうしておこう。どのみち君にあげようと思ったんだ」

 そして彼は、こうも言った。

「俺たちはパンだけでなく、薔薇も求めよう。生きることは薔薇で飾られなければならない」

「なら、この花はやっぱりここにあるべきだわ」

「そうだな」

 二人は静かにその花を見守った。

 そうして野営地に戻ると、なにやら味方の兵士が騒がしい。

「どうした」

「敵襲だ。帝国が大砲を出してきた」

「なんだと……」

 レヴィルとイェータは顔を見合わせた。

「すぐに行こう」

「うん」

 しかし、二人が支度を終える前に、帝国は襲撃を始めてきた。どすん、がたんという鼓膜を破らんばかりの轟音が何度も何度も響き渡り、大地が裂けんばかりに揺れ、がたがたとテーブルの上のものが震えたかと思うと、次の瞬間にはパキンパキンと割れてしまった。 レヴィルはイェータの手を引いて、野営地を移動した。そして闇のなかを行ってしまうと、高い場所からそれを見た。

「見ろ」

「――」

 味方の軍勢が、煙を上げて攻撃されていた。なかには火が上がっている場所もあった。「ひどい……」

 イェータが思わず唇を噛むと、

「帝は古代科学の技術を使っているんだ。一体どこまでそれがあるのか……」

「大砲まで使っているのなら、もう奥の手はないはずよ」

 古代科学を勉強したイェータは、その精髄までをも熟知している。

「今耐え抜けば、帝国は落ちる。あと少し。あと、もうちょっと」

「しかし味方がこれでは、あと少しももたないかもしれない」

「……」

 ドン、ドンという絶え間ない音は、もう近くまでやってきている。敵は、近い。

「私行く」

 イェータは居ても立ってもいられなくなって、身を翻して走り出した。レヴィルもそれを追って駆ける。二人は身支度もそこそこに敵を見つけ出すと、次々にそれらを打ち倒していった。

「いたぞ! 銀髪の魔導師だ!」

 物陰から出てきた五、六人の兵士たちが、イェータを見るなり叫んだ。反射的に、イェータは手を薙ぎ払った。ザン、という風を切る鋭い音がしたかと思うと兵士たちが後ろに倒れて、それと同時にイェータは自分の素性が敵に知られていることを知った。

「逃げなくちゃ」

 彼女はレヴィルに言った。

「でもどこへ……?」

 走りながら、レヴィルは絶望したように呟いた。自分たちは今、囲まれている。

「いたぞ! こっちだ!」

 後ろからも声が聞こえた。イェータはチッ、と舌打ちして、そちらに炎を放った。たちまち火事が起きてテントが燃え上がり、野営地は大混乱となった。

「この機に乗じて早く」

 しかし、どうやって。そして、どこへ。

 焦りだけが募る。

 その時である。

 ――ドン

 地響きのような音がしたかと思うと、大地が割れた。

「な……」

 レヴィルが呆気に取られていると、それは見る見るひび割れていき、ビシビシという音と共に地面を割っていっている。

「こんなことまで……!」

 これが、帝国の力。これが、古代科学の技術。

 イェータは直感した。

 帝がいる。

「帝が来ている」

「えっ」

「帝が、ここに来ている」

「どういうことだ」

「大砲がこんなところにまで来ているということは、帝はここにいるわ。間違いない。帝はここにいる。ここにいて、ここで指揮を執っている」

 首を取る、絶好の機会。

「くそっどうすれば」

 レヴィルは唇を噛んだ。

 そこへまた、ドン、ドン、という地響きがして、二人はめまいと共に吹っ飛ばされた。 たちまち下草に火がついて燃え始め、二人は逃げ惑った。イェータはどうしようどうしようとそればかりを考えながら、帝の首を討つことばかりを思い走っている。

「こっちだ」

 レヴィルははぐれないようしっかりとイェータの手を握りながら、どうすれば帝のいる場所へ辿り着けるか、それだけを考えて走り、イェータはイェータで、どうやって追ってくる兵たちをまけるか、どうやって大砲をよけて通れるかばかりを考えている。

 ドン、ドン、と放射状に大砲の弾が飛んできて、二人はそれをよけるのに必死になった。

 なんとかして、なんとかして帝の首を討たないと……! 煤だらけになったイェータが尚も必死になってそんなことを思っていたとき、突如としてそれは起こった。

 そこにいた兵士は、その時のことをこう述べている。

「いきなり白い光が空から降ってきたかと思ったら、ふわふわしたものが降りてきて、それから黄色い柔らかい光が降り注いだんだ。そのあとのことは覚えていない。気がついたら、火は消えてたし地面も元に戻ってた」

 カッ。

 突如として沸き起こった光に、イェータは目を細めた。不快な光ではない、心地よいものであった。そう思うのと同時に、その声は頭に響いてきた。

『泉の百合に触れずにすませた者よ、願いを言うがよい』

「……?」

 その、厳かな声。女とも男ともとれる、厳粛で、それでいてなめらかで、低くて、耳に快い響き。

「……なに……?」

『百合に触れられるのに触れなかった清廉なる者よ 願いを』

「……」

 イェータはその不思議な声の近くに行こうとして、歩き出そうとした。そして、レヴィルに止められた。

「イェータ」

 彼は歩き出すイェータの腕を掴んだ。

「よせ。得体が知れない。危険だ」

「そうは思えない」

 イェータの海のように深い青い瞳が、安息の揺らぎを得ている。彼女は白い光を示した。「見て」

 レヴィルはつられてその白い光を見た。

「あんなに安らぎに満ちた光は、初めて見る。大丈夫よ。行ってみる」

 大丈夫、イェータは笑って見せた。レヴィルは尚も言った。

「――愛してるんだ」

 その言葉に、イェータは振り返った。そして柔らかく微笑んだ。

「大丈夫よ」

 そしてレヴィルにそっと口づけすると、ゆっくりと白い光に歩み寄っていった。

「大いなるものよ、私の名はイェータ。あなたの名を教えてほしい。あなたの名は?」

 その声は静かに言った。

『我が名はヴプリウム。忘れられて久しい泉の神』

「……泉の……?」

『この先の森の泉に姿を変えて幾星霜……最後に人の子の願いを叶えたは何千年も前のこと。その昔、百合の花に魅了されし乙女ありてその花を手折らんとするも花の姿の美しきに心惹かれそのままにせしその優しさに心動かされ願い叶えた。以来百合の花に触れられるのに触れなかった者にはその願いを叶えることにしておる。さあ、願いを』

「願い……」

 私の願いは。

『しかして宿願には、代償がつきもの』

「……代償……?」

『左様。何事にも代価が伴う。そなたの一番大切なものをもらう』

「――」

 私の一番大切なもの――?

 それはなに?

 イェータは振り返った。そこには、レヴィルがいる。

 一番大切なもの。

 彼? それとも、魔導師としての才能? それとも――?

 困惑のうちに、白い光を見る。

 どうしよう――

 わなわなと唇が震えた。今ここで言わないと、願いは叶わない。言わないと、帝は倒せない。

「――」

『願いを』

 震える唇から、そっと言葉を紡いだ。

「帝の首がほしい」

『帝の首とな。確かに。帝の名はなんと申す』

「ラーズバルズ。ラーズバルズ・レイナール」

『では、そなたの一番大切なものを』

 つ、と頬を涙が伝った。

「私の、一番大切なもの……」

 すう、と息を吸った。

「私の、魔導師の真の名前は……」

 イェータ、と後ろからレヴィルが自分を呼ぶ声がした。イェータは構わず、白い光に向かって呼びかけ続けた。

「魔導師としての本当の名前は……」

 白い光が、一層まばゆく光り輝き始めた。

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