第三章 6
帝国軍はその日、背後に聳えるサフサール天炎連山を控え、五連盟と向き合って戦っていた。後ろには山しかないのだから、正面の敵とだけ戦えばいい――そう高を括っていた帝国軍は、
カッ。
山側から突然迸った轟く雷鳴に逃げ惑い、恐れ慄く羽目となった。雲は分厚く黒く、不吉にどろどろと流れ、たちまち空を広く覆った。
そして空を割るおおきなおおきな音が二度三度鳴ったかと思うと、ドン、ドン、という耳をつんざく凄まじい音と共に勢いよく雷が大地を穿ち、たちまちの内に帝国軍の真ん中に何度となく命中したのである。
これには、さすがの帝も驚いた。
五連盟側からこのような魔法攻撃が来るのならまだしも、天炎連山側には弱小国しかないはず。三流といっていいほどの小さな国に、このような高位の術が使える魔導師がいるとは思えない。かと言って、また五連盟側にこれだけの魔導師がまだ残っているとも思えぬ。
何故だ。
帝は配下の者たちに次々と命を下しながら、懸命に考えていた。何故、このような術を使う人間があのような僻地にいる。何故だ。彼は至急使いを天炎連山側に送るよう命じた。
その間にも、戦いは続けられた。
針師の針は正面から兵士たちを容赦なく貫き、背後から迫る魔法の攻撃は炎となり風の刃となって帝国を脅かした。
戦場を移動することになり、ルウェインとヴラリアは西へ行った。どのみち、西へ行こうとしていた旅であった。都合がいい。
途中、花畑があった。ヴラリアはなんとなく戦で荒んだ気持ちが癒される気分になって、そこへ行くことにした。
「――」
白と黄色の、見たこともない花が咲きくるっていた。
花畑には、先客がいた。少女が二人、花を編んで遊んでいる。どうやら、おままごとをしているようである。
「こんにちは、パンをくださいな」
「パンはしろいちまいかきいろさんまいです」
「あら、きいろはいちまいしかもっていないの」
「だめです。きいろさんまいでしかうれません」
「こまったわ」
「しろいちまいでもいいですよ」
「しろならもっているわ」
女の子二人は白と黄色の花を通貨にして遊んでいるようである。とても、戦場が近いとは思えない。微笑ましい光景に口元が緩んでいたヴラリアであったが、
「おにくがほしいの」
「おにくはきいろじゅうまいです」
「そんなにもっていないわ」
「おだいがないとうれません」
というやり取りに、胸が詰まった。
お代がないと売れない――。
そうだ。物には代金がいる。何事にも、代価がいるのだ。
「――」
針師の能力を奪ってもらう代わりに、私はなにを払うのだ?
ふらふらと野営地に戻りながら、ヴラリアはそればかりを考えていた。ルウェインがそんな彼女を見つけて、
「おう、どこ行ってたんだ?」
と話しかける。うん、と適当にこたえる間も、そのことばかりを考えていた。
二、三日して、テントに花売りがやってきた。ヴラリアは考え事をしていて、それに気が付かない。どうやら、この地は花を多く扱っているようだ。
「いくらだ?」
「銅貨三枚よ」
「一輪くれ」
ほら、ルウェインは買った花をヴラリアに差し出した。
「え?」
「やるよ」
なんて花だ? 彼はヴラリアに聞く。
「これ? 薔薇よ」
そんなの、買ったあの子に聞けばよかったのに、ヴラリアは思う。こういう時のルウェインは、どこか抜けている。
「そうか、これが薔薇か」
ルウェインは花の名前などいちいち知らない。まだ蕾の、咲き初めの白い薔薇を持つヴラリアをじっと見る。
「お前は青い薔薇みたいだな」
「青い薔薇なんてないわ」
「そうか」
ねえ、ヴラリアは考えていたことを言おうか言うまいか、それだけを思っていた。
「ん? どうした」
「願い事のことだけど」
「ああ」
酒を飲みながら、ルウェインはうなづく。魔法の泉を訪ねるための旅は、いつ再開できるのか。
「戦がこんな状況じゃ、いつ帝国に行けるかもわかんなくなっちまったな」
「願いには代償がつきものよ」
彼は顔を上げた。
「……やめとく」
ヴラリアが短く言うと、ルウェインは杯を下げ、ため息をつくと、小さくそうか、と言った。
「でも、あなたといたくなくなったわけじゃないわ。ずっと一緒よ。ずっと」
「そりゃ嬉しいね」
ルウェインはにやりと笑い、それからなにかを振り払うかのように立ち上がると、あちらへ行ってしまった。それを見送っていると、入れ代わるように誰かと笑いながらやってきた金髪の娼婦がヴラリアのテーブルに座った。酔っているのか、とても機嫌がいい。
「針師の姉さん、元気?」
ええ、ヴラリアはこたえる。
「移動が多くて大変でしょう。疲れていない?」
「あたしたちは平気さ。馬車があるもの。姉さんこそ大丈夫?」
「うん、なんとか」
金髪はにこにこと笑いながら、ヴラリアの手元の青い石の指輪に目をやった。
「あたし、あんたの旦那と同じ故郷なんだよ」
「あらそうなの。偶然てあるものなのね」
「あそこじゃ、恋しい女と一緒になろうって時には指輪を贈るのさ」
「――」
ヴラリアの顔が、空間に貼りついたように固まった。
「え?」
「そのために男は色々と苦労して女の指の寸法を調べるの。大変なんだって」
あんたの時もそうだった? 金髪はあはははははと笑うと、じゃ、お幸せに、と立ち上がって行ってしまった。
お針子してる時でも見られるだろ――ルウェインの言葉が甦る。
くす、笑いがこみあげてきた。
馬鹿ね、ちゃんと言えばいいのに。顔を上げて彼を探すと、仲間の傭兵となにやら楽しく飲んでいるようである。それを見ていると、また笑いが浮かんでくる。
あれじゃ、言えるわけもないか。
ヴラリアはどうしようもなく嬉しくなって、ルウェインに抱きつきたい気持ちを懸命に抑えながら、自分のテントに戻っていった。後で、たっぷり彼に甘えるつもりだった。
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